燻るベランダ
「ああ、ここにいたんですね」
森宮は、初日笹川のタバコに付き合わされたベランダのドアを開けた。研究員から、休憩中悪いが笹川を探してきてくれないかと言われたためである。
「お呼びでしたよ。」
後ろをちらりとみやるだけで、動こうとはしなかった。きっと、一本吸い終わってからいく算段だろう。森宮はしばらくドアを開けて待っていたが、すぐ来ないとわかると自分もベランダに出てドアを閉めた。
「なんであなたも入るのよ」
「えっ、いけませんでした?」
眉間にしわを寄せる笹川に、焦って出て行こうとすると、いいからと止められた。
2人手すりに寄りかかり、赤く染まった空が藍色に馴染んでいくのをただ見ていた。
「……森宮さんは、大事な人、亡くなった?」
「えっ」
笹川の急な問いかけに驚きつつ、うーんと髪をかきあげた。
「我が家は、特に……」
「そう」
いいわね、と短くいうと、長く煙を吐く。
「……笹川さんは……」
「うちは全滅よ」
森宮は、しまった、というような顔をしたが変わらぬ表情で笹川は遠くを見ていた。
「大学教授とワンマン女医の仮面夫婦。……こうなった途端、自分の身だけ守ろうと我先に逃げていったら、案の定噛まれて」
人先指と中指に挟まれたタバコが、チリチリと指に近づく。森宮はすこし気まずそうな顔をしながらも笹川の横顔を見つめていた。
「そして噛まれたらすぐに助けてって娘にすり寄って」
さっき押しのけて言った娘にね、馬鹿でしょうとこうべを垂れた。吸わないタバコから、煙が登る。
うつむいた顔は、変わらず真顔なのか、悲しい顔なのかは森宮には分からなかった。
「……さっきの恋人たち」
「は、はい」
「血縁関係でもないのに、何故あそこまで支え合えるのかしら」
親でもこんななのに、とタバコに寄せる唇が、夕日に照らされ赤く見える。鋭い目には、夕日の光は差し込んでいなかった。
「……信じてるからですかね。」
「くさいこというわね」
いやあ、のうなじをかく森宮を笹川が見る。人差し指と中指にタバコを挟んだまま、手のひらをに見せる形で森宮に手をかざした。
「吸う?」
森宮は少しどきりとした。手のひら越しから見る笹川は、変わらぬ表情だったがいつもの鋭い目線ではなく、普通の女性であった。
怖いといっても、柔らかそうな女の手に口を寄せるのは、笹川の吸ったタバコに口をつけるのは、なんだかいけない気がした。
「……いえ」
断られても変わらぬ表情で、またタバコを吸う。唇から出る煙が、先ほどと違うように見えた。
段々藍色の空が大部分を占め、星が見え始める。なぜか、まだすこしドキドキしている森宮は話題を変えようと空を見上げた。
「に、日中はそうでもないのに、夕暮れって変化が早く感じますよね」
笹川も、つられるように空を見上げる。
「……そうね」
フウと一息つくと、またギリギリまで短くなったタバコを床に擦る。左手で右肩を揉み、ぐるぐると回した。
「まったく……私1人いなくても平気でしょうに」
「おぶっていきましょうか?」
「そうしてもらおうかしら」
いつも通りギロリと睨まれると思っていた森宮は、焦った。その様子を横目で見て、嘘よとつぶやきエレベーターへと歩いていく。
「ベランダの鍵、締めてきてちょうだいね。」
あと、早く来ること、とエレベーターに乗り込み先に降りていってしまった。
横目で見られたときの、ニヤリと笑う笹川と、タバコと手のひら越しに見る笹川を思い出し、森宮は髪をかきあげる。
「……調子狂うな」
そういうと、鍵を閉め小走りでエレベーターに向かうのであった。




