早く救いを
華はとある違和感に眼を覚ます。
カーテンの隙間から見える空はまだ白み始めたばかりでまだ夜は開けきっていなかった。その違和感が何かは分からなかったが、変に目が覚めてしまい上半身を起こす。
隣で寝ている雄太は変わらず、深い眠りに落ちている。
「喉乾いた……」
そう1人で呟くと、動かしづらい左足を両手で持ち、ベットから立ちあがる。その軋みに気付いたのか、雄太は寝ぼけ眼でどうしたの、と聞いて来た。
「水飲もうかなって……いる?」
そういうと、また枕に顔を埋め、聞こえるか聞こえないかくらいの声量でいらないと言う。
しばらくするとまた規則正しい寝息が聞こえてきた。それを見届けた華は、左足をすこし引きずりながらキッチンに立つ。昨日の晩御飯を作ったままのキッチンには、まな板に包丁。流しには茶碗がそのまま置いてある。
「ああ……片付けないと……」
ハアとため息をつき下を見る。包帯に巻かれた自身の左足を見ると、不安にかられどうにかなってしまいそうだった。暗い沼に、戻れない沼に入りかかっているような左足はとても汚く見えた。
そんな思いを流すように、大げさにペットボトルのキャップを開ける。指の隙間からキャップが足元に落ちる。プラスチックの軽い音がコンとすると、何処かに転がっていった。
「あー、もう……」
まだ暗い中しゃがみ、手探りであたりを探す。
中々見つからないキャップにため息をつきながら、左足をさすった。
華の動きがピタリと止まる。
違和感の正体が、分かった。
「あ……あ……」
だんだん浅くなる息で、そろりと、流しに手を伸ばした。
ーーーー
雄太は、なにかを床に打ち付けるような音で目がさめる。
「なんの音……」
隣にいるはずの華に問いかけるも、もぬけの殻であった。ダンダンという、強く打ち付けるような音は、キッチンからしていた。何事かと、雄太は恐る恐るキッチンに向かう。
何か、廊下になにか溜まっている。
ー血だ。
赤黒く変色した血が、血だまりを作っていた。雄太はそう認識すると、すぐにキッチンに走った。
「華!?」
「ゆうちゃん……」
頬に沢山の涙の筋を作った華は、キッチンマットにしゃがんでいた。清潔感のあるようにと選んだ白のキッチンマットも、血で染められている。
異常な様子に、駆け寄ろうも駆け寄れない雄太がいた。目の前のことを理解できない様子で、ちいさく口を開く。
「なにして……」
華の血に濡れた右手には、包丁が握られていた。
「……いたの……」
「え?」
「動いたの……!」
包丁を床にカランと落とすと、血に濡れた手など気にもしない様子で顔を覆った。
「こゆび、勝手に動いたの……!」
傷を負った左足の小指が、勝手に動いたと大粒の涙をバタバタと零した。
雄太は、その大量の血に、救急車だと思ったが、こんな状況で来るはずがない。
柿原医師にもらった番号を思い出し、震える手で携帯を取ろうとする。
「で……電話……」
その様子に、手についた血が顔にべったりと擦りついている華が、大きく眼を見開き雄太をギロリと睨んだ。
「なんで近づいて来てくれないの……」
「え……?」
携帯を持った雄太の手はガクガクと震えた。雄太を見る華の目は不安で成形された狂気に満ち満ちている。通常の思考回路であれば、彼女が大量の血を流していれば慄くものを、華は正しい考え方が出来なかった。いや、できる状況になかった。
「ゾンビだから?」
「おちついて、華」
「ゾンビになるからなんでしょ……!」
そういうと、血で滑る右手でまた包丁を握り、小指へと振りかぶる。
「華!!!」
華の右手を、思いきり払う。刃こぼれしそうなほど、包丁は強く壁にぶつかった。
足元の血など関係なく、華の前に跪いて抱きしめる。寝巻きのジャージの膝に、ジワリと生暖かいものが沁みてくる。
不快感すら感じないほど、雄太は必死であった。
「やめよう、華……お願いだよ……」
華の肩に、ポタリと涙が落ちる。
華は、力が抜けたように腕をダラリとさせる。血まみれの手を見ると、あ、と短い声を出して、目からはボロボロと涙をこぼす。雄太の背中に手を回し、服を掴む。
堰を切ったように、しゃくりあげ涙を流した。
「ゆうくん、こわいよ、こわいよぉ」
「華……」
「たすけてぇ……」
華の子供のような嗚咽は、既に夜が明けカーテンから朝焼けが漏れている部屋で、か細く響いた。
早く、早く、治る薬を
雄太は、心からそう願い、また一層腕の力を強めた。




