心の生傷
サバの味噌煮をおかずに、白米を雄太と華は頬張っていた。
「こんな貧乏飯、学生以来だ」
「十分美味しいよ」
テレビの前に2人並びに、雄太はカツカツとおわんの底に箸をあてかきこんでいる。ゆっくりたべなよと華は言った。
その久々な穏やかな表情に雄太は嬉しくなり、頬にご飯をいっぱいに詰めながら笑った。
テレビでは、ヘリコプターからの映像が流れていた。発症者しか闊歩していないはずの道路に、人が集まっていた。その様子を、キャスターはヘリコプターから実況している。ヘリコプターのプロペラの後に負けるまいと声を張っていた。
『見てください! ここにゾンビの症状を発症した人が隔離されているとの噂ですが、その施設に団体が集まっています!』
ヘリの振動で揺れるカメラの先には、プラカードや拡声器を持った人々がいた。手書きのプラカードには、『拘束は人権侵害だ』『家族を返せ』との文字が書かれている。
10人ほどいるだろうか、拡声器で『家族を返せー!!!』と復唱している。
「この人たち、こんなに叫んで大丈夫なのかな」
雄太は、はじめて外に行ったときを思い出す。叫び声をあげ、男性に発症者が群がる様子がフラッシュバックする。
破けるジージャン
噛まれる頬
助けを求める目。
滲む血、汗
心臓がバクリとはね、少し息が上がり箸をカーペットに落とした。騒がしいテレビの音にも勝ってしまうのではと思うくらい、雄太の心臓は脈を打っていた。
「ゆうくん?」
「あ……大丈夫。あ、いや、この人たちは、大丈夫じゃないとおもう……」
その団体の向かいには、自衛隊員が何かを掲げている。
『何を掲げているんでしょうか……!!』
揺れるカメラが一生懸命に寄ると、屋内に避難する旨が書かれていた。出来るだけ発症者を集めないように、声は出さなかったようである。
『答えろー!!』
そう叫ぶと、画面外からギャーと叫び声が聞こえてきた。急いでその声のともに、カメラが動くと、1人の女性に発症者が掴みかかっていた。持っていたプラカードでガンガンと発症者を叩いている。人権侵害だとあれほど叫んだ人間が発症者を殴っている映像は衝撃的で、キャスターも狼狽えている。
『え、えー……い、いま……』
プツン、とテレビが消える。
「なんで」
雄太に目をやると、だらだらと汗をこぼしていた。暑いからではなかった。
リモコンの赤い電源ボタンを押す指は震えている。
ハッハッと勝手に上がる息に、雄太は焦った。
上がる息を、跳ねる心臓を抑えようと震える手でTシャツを掴んだ。
「ゆうくん?」
その華の声も届かないほど、バクバクと大きく脈打っていた心臓は止まらず目の前のご飯茶碗をグニャリと歪ませた。
「はっ……はっ……」
はな、と声に出そうとするがうまく息が吸えない。歪んだ茶碗の端から黒いものが視界を遮る。
ああ、倒れる。
その時、華が近くにあったレジ袋で雄太の口を押さえて、震えた冷たい手を華の手で包んだ。
冷たくなった指先から、華の手の暖かさがジワリと伝わる。レジ袋の中に溜まった、焦った呼吸が、徐々に落ち着いてくる。
「大丈夫、ゆうくん、落ち着こう」
華の心地よい、高すぎない声が素直に耳に入ってくる。目尻からジワリと涙を滲ませながら、上下する肩を落ち着かせていく。
ピリピリと少し痺れていた手で、華の手をギュと握る。
「うん、もう大丈夫……落ち着いたね」
背中をさする感覚に、だんだん落ち着いてくる雄太は、両手で華を抱きしめる。まだ荒い息を華の首筋に当てながら、一杯に力を入れる。
「ごめんね、私のせいで頑張らせて」
ううん、と首を静かに振る。ポンポンとリズムよく叩かれる背中が心地よかった。たった2回の外に出た経験が、発症者に襲われた経験が雄太の中にしっかりと、傷跡を残しているのであった。