赤い犠牲
分厚い絨毯で巻かれていた発症者を毛布、カーペット、カーテンなどで巻きつけガムテープで固定する。何重にも巻かれた布の隙間からは、苦しげな声が聞こえてくる。まるで人とは思えぬような、獣のような声であった。
「よし、車に運べ」
ぐるぐるの巻かれたものの端を持ち、持ち上げる。屈強な男たちはすこし気味の悪い顔をしながらも、重さなど感じさせない様子で廊下をえっさほいさと歩いていく。
高齢の柿原医師はその速さに追いつけないため、あとをゆっくりとついて行くことにし、ゆっくりと部屋を出る。なんとも言えぬ膿のような、腐敗物のようなにおいが立ち込めていた。
「……」
柿原医師が総理を見つめ、ゆっくりとドアを開ける。総理は変わらず、椅子に座りコーヒーを飲んでいた。
「さっさと行かないのか」
「見送りはされんのですか」
そういうと、コーヒーカップをかちゃりと机に置いた。
「いいから、早く調べてくれ」
「……秘書のお名前は」
総理が柿原医師をギロリと睨む。
「……なぜそんなこと聞く」
「問いかけに応じるかなども調べねばならんので」
「……藤田だ」
柿原医師は、藤田さんね、と復唱する。そういうと総理はくるりと椅子を回し柿原医師に背を向けた。これ以上話したくないという態度であった。
「……では」
バタン、と大きな音を立ててドアが閉まる。
しばらくすると、官邸前に止められたボックスカーに乗せられる様子が総理の部屋からも見えた。総理は、ボックスカーに乗せられる巻かれた物体を、苦虫を噛んだ顔で見つめる。
3日目の夜のことを、総理は思い出していた。
『ああクソ……どうすればいいんだ……!』
自室でいくら文句を言おうと、机を叩こうと問題は解決しないことなどわかっていた。
世論から求められる早急な対応、まとまらない考え、そのことで総理は胃がこれまでにないほどに締め付けられている。
『総理』
そう声をかけたのは、議員時代からの秘書であった。温かいコーヒーをガチャリと置く。
『……藤田か』
『私の体を実験に使ってください』
自分の手を胸に当てていう。そういう藤田に総理は目を見開いた。
『何を言ってるんだ』
『私の体を実験として使っていい許可なら今、私自身が許可しました。』
そういい、部屋を出て行こうとする。総理は、咄嗟に藤田の腕を掴んだ。掴む腕に、自然と力が篭る。
『何を言ってるんだ!』
『総理は!!!』
藤田の出す大声に、部屋がシンと静まる。
藤田は、泣きそうなのか、笑っているのか分からない顔で総理を見つめた。
『……総理はこんなところで終わっていい人間じゃない』
そうでしょう。そういうお、藤田は自分のネクタイピンを外すと総理に渡す。傷だらけのそのネクタイピンは、総理からの贈り物であった。総理の秘書として、藤田はダーティなことにも手を染めた。が、それとこれとは全く別次元の話である。
手に乗るそれは、今までの何十年間を詰めたように重く感じた。
……ありがとうございました。
そういうと藤田は、部屋を出て行った。総理は、月の光が差し込む部屋でただ、佇むとしかできなかった。
しばらくすると、玄関で護衛していたものが騒がしくなる。
『総理!!! 藤田秘書が……!』
護衛に拘束されて連れてこられた藤田の右腕には歯型がついており、どこをみているのか分からない目に血走った皮膚。先ほどの藤田は、見る影もなくなっていた。
さっき自分が立っていた場所にダラダラとよだれを垂らす。
『……実験に使う。柿原医師を呼べ』
絨毯で拘束しろ、護衛に言い放つ。その心無い言葉に護衛は顔をしかめた。
『……総理』
『何してる。早くしろ』
護衛が総理をにらみ出て行くと、重い扉がバタンと閉まる音がした。
うっすらと唸り声が聞こえてくる。……到底、藤田の声とはかけ離れている声であった。布に包まれていくに連れ、うなり声は遠くなっていく。
1人になった部屋で総理はネクタイピンを見つめている。
『……馬鹿だよ、本当』
ネクタイピンをギュ、と握りしめ、壁に背中を預けた。
ガタガタとガラスなどが散らばった地面をボックスカーが走る。後ろからは、ウゥウゥと唸り声が依然聞こえた。運転をしていたSPがその声に顔をしかめる。
「……総理もひどいお方だよ」
秘書を実験台になんて。そういうと柿原医師は白いヒゲを触りながら、フムともらす。
「……本当にそうかな」
「はい?」
そとの悲惨な様子を眺めつつ、独り言のように言った。
「本当に……この秘書に情がないのなら、自分の危険を案じて、自分の部屋になんか入れないと思うがね」
荒れた路面店、歩き回っている発症者、散らばるガラス。車の音に反応するも車の速さにはついてこれなかった。ウゥウゥと唸るものを乗せた車は、研究所へと走っていく。