実験体
柿原医師が、総理に呼ばれ部屋をノックする。
「なんです総理、こんな深夜に」
ジジイはもう寝る時間ですぞとあくびをした。なんとも大きな椅子に総理はどっかりと座り、ギイギイと揺れている。暗い広い部屋に、立派な机と椅子が大きな窓の前に置かれている。その机の前には、絨毯が丸めて置いてある。予備の絨毯か何かかと柿原は顔を上げる。
まるで漫画のワンシーンのようだった。部屋の電気はついてなく、窓から差し込む外の明かりだけであったが、外の明かりもないため総理の顔は見えない。ただ、机に置かれたコーヒーの湯気だけが天井に立ち上っていた。
湯気がふわりと上がるが、椅子を動かした時の空気の流れですぐ消えてしまう。ただ薄暗い部屋に椅子の軋む音が響く。そして突然、総理が口を開いた。
「秘書が噛まれた。」
使え。
総理は確かに、そう言った。机の前に置いてある、不自然に丸めた……“何か”を包んである絨毯は微かに動いている。
「まさか、この絨毯」
「持っていけ」
「……つかえ……と言いますと?」
「原因を突き止めろ」
また部屋にギイギイと響く。柿原医師は真剣な眼差しでいう。
「……総理、先ほどの話し合いで言いましたように」
「許可なら生きている時にとった」
耳をすますと、包んだ絨毯の中からウゥウゥとうめき声がした。一瞬月夜に照らされた総理はいつも通りの顔をしていた。柿原医師は、開いているのか分からない目でしっかりと総理を捉えていた。
「総理、まさか、‘‘噛ませた’’のではありますまいな」
椅子の軋みがピタリと止まる。総理は口を開かなかった。まるでこの部屋だけ、時間が止まったかのようだった。ザワザワと外の木が揺れている。
「もし噛ませたとして……」
またギイ、の椅子を回し、柿原医師の真正面を向き、背もたれにしっかりともたれかかる。こめかみを抑え。フン……と鼻を鳴らす。冷たい目線が柿原医師を見る。
「いや……‘‘自分から’’噛まれに行った」
月の光の逆光で総理の顔は見えない。総理は足を組み直し、肘置きに肘をつき額を抑えた。
「彼は、国民を救うヒーローじゃないかね」
それだけ言うと、くるりと椅子をまわし柿原医師に背を向ける。
「……総理……」
「私は、彼を尊敬するがね」
以上だ、と手を振った。総理はコーヒーをすする。
柿原医師は軽く頭を下げると、部屋から出て行った。部屋を出たそこは、月の光も入らぬ静まり返った長い廊下。長い廊下の、暗闇の向こうから発症者が走ってきそうな、そんな雰囲気もある。
総理の部屋からは、依然唸り声が聞こえていた。
その声がするドアを冷たい目で見ながら柿原医師は、あくびをし自室へ戻って行った。