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立風堂奇譚  作者: 篠崎砂美
9/12

景之玖 霧の衣

「このあたりでいいだろうか」

 橋の欄干(らんかん)にもたれかかりながら内海を臨む。

 海には、幾つかの小舟が静かに浮かんでいる。朝の空気は、さすがに身を凍えさせる寒さだ。

「これは、さっそくやらないと身がもたないな」

 いそいそと、持参した酒瓶の封を開けた。

 しっかりと用意したぐい飲みに酒を注ぐと、まずは一杯あおった。

 爽やかな酸味とともに、甘口の酒が身体に染み渡っていく。

甘露(かんろ)、甘露。これで、寒さにも耐えられそうだ」

 ゆっくりと火照ってくる酒の暖かみを感じながら、川の上流の方へと視線をやった。

 時間とともに、そこかしこからゆっくりと白いもやが立ちのぼってくる。

 わきあがってくるもやは、大地の息吹のようにも思える。それとも、ここで生きる物たちの呼気がより合わさってできた、生命の狼煙(のろし)だろうか。

「観望ですか?」

 いつの間にか、横にきていた娘が声をかけてきた。

「ええ。これは見る価値ありと聞いてきたものですから。それにしても寒い。いかがですか? いや……」

 おもわず酒を勧めてしまい、若い娘にそれはどうかと思いなおす。

「いいえ、戴きます」

 ニッコリと微笑みながら、娘がぐい呑みをねだった。予備のぐい呑みに酒を注いで手渡す。

 いい飲みっぷりだ。

 さて、そろそろであろうか。

 もやが一段と深まったような気がした。

「きますよ」

 娘が、言った。

 川の上流から何かが押し寄せてくる。

 大地から立ちのぼったもやがより合わさって大きなうねりとなり、深き霧の塊となって、川を押し渡ってきたのだ。

「これが、あらしか」

 押し寄せる霧の圧倒的な迫力と、あまりにもそれに似つかわしくない静けさが、この世の物とも思えない不思議な景観を作りだしていた。

「あれは、山より出でて、海へと還っていくのですよ」

 娘が言う。

 川を押しつつむようにして霧は流れ、やがて、この橋をも呑み込んだ。一瞬にして、視界のすべてが白一色につつまれる。

 霧はそのまま海へと流れ出し、静かに広がりながら、小舟や鳥たちをも呑み込んでいった。

 すべてのものが、この土地の息吹に呑み込まれ、そして、息吹はすべてのものの中へと還っていく。

「すごいものでしたね」

 声をかけたが、娘の姿はすでになく。欄干に空のぐい飲みが残されているだけであった。

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