景之伍 鵲の翼
「ほう、元気がいいな」
橋の上から川面に麩の屑をぱらぱらと捲きながら、面白そうにつぶやく。
眼下では、川に住む色とりどりの錦鯉が、我先にと餌に殺到している。その勢いで足許にまで水飛沫があがるほどだ。
町の方からは、祭りの様々な物音が風に乗って聞こえてくる。
「良い気分だ」
携帯用の徳利から猪口に酒を注ぐ。白い濁り酒は、こくがあって甘い。
肴は、串に刺した焼き鮎だ。ばくりとかぶりつく様は少々野性味にあふれるが、独特の香ばしさが実にうまい。鮎は、この季節ならではの肴だ。
夏は、今が盛りと感じる。
上機嫌でいると、なにやらこちらに走ってくる男がいる。
そのまま橋を走り抜けるのかと思ったが、ちょうど手前で、息が切れたのか立ち止まってしまった。曲げた両膝に手をおいて、肩で大きく息をしている。
「大丈夫かい?」
少し見かねて、男に声をかけてみた。
「ええ、大丈夫です。すいません、お騒がせして」
息を整えながら、男が答えた。
それにしても、何をそこまで急いでいるのだろう。
「あなたこそ、観光に来たのでしょうに。鷺舞は見られないのですか」
逆に、男が聞き返してきた。
「急ぐ旅ではありませんから。それに、鷺舞は町の中を練り歩いて踊るそうじゃないですか」
「でも、さすがに橋の上では踊りませんよ」
そう言われてしまっては、そうですねと答えるしかないなと小さく苦笑する。
ここは通り道ではあるはずだが、確かに橋の上では踊らないだろう。
「それに、今の時間は子供たちの子鷺踊りの時間ですから。ああ、こうしちゃいられない。急がないと出発してしまう」
背筋をしゃんとのばすと、男は再び走り出そうとしてふいに思いとどまった。
「あなたもどうですか?」
「悪くはないですね」
勧められて、一緒にその子鷺踊りを見にいくことにした。
さすがにここまでくれば間にあうと思ってか、それともつきあう私に悪いと思ってか、男は普通に歩きだした。
「出発する所から見るって約束したんですが、野暮用で手間取っちゃいましてね。遅れたら、後で叱られますから。妻とも、うまく合流できれば良いんですが、人も多いですからねえ」
「なあに。すぐに会えますよ。なにしろ、鷺の翼は架け橋になるのですからね」
鷺舞の鷺は、大元は天の川に翼で橋を渡したという七夕伝説の鵲だ。この地に鵲がいなかったために、白鷺に置き換えられてしまったらしい。それがそのまま伝わって、今も残っているというわけだ。
小学校には、朱の袴と白い上衣を着た少女たちが綺麗に整列していた。鷺の頭の飾りを被り、背中には羽根飾りがある。なかなかに壮観な眺めだ。
「やあ、いたいた。あれが娘です」
男が、少女たちの集団に向かって手を振った。目ざとくそれを見つけて、少女の一人が手を振ってから、道の反対側の方をさっと指さした。
「ああ、あんな所に妻がいました。良かった」
「どうぞ行ってあげてください。私は私で楽しみますので」
連れ合いを見つけた男を、そう言って送り出してやる。
ややあって、子鷺踊りが始まる。
小さな子供たちの踊りは、少したどたどしくてほほえましいものだ。
「どれ、次は大きい方の鷺舞を見にいくとするか。あちらでは、橋の翼は誰の所へと通じていることやら」
理由もなく誰かとの出逢いを予感しながら、ぶらりと歩き出す。町には、祭りの唄が流れゆく。
「橋の上におりた、鳥はなん鳥。かわささぎの、かわささぎの。やあ、かわささぎ。さぎが橋を渡した……」