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立風堂奇譚  作者: 篠崎砂美
3/12

景之参 路地の先

 温泉街は背戸屋(せどや)と呼ばれる細い路地が入り組んでいて、初めて訪れた者にとっては迷路を進むようで面白かった。

 そこここから立ち上る温泉の湯気が、霧のように路地の風景をなかば隠している。

 この湯煙の先に隠されている部分には、いったい何があるのだろうか。それは、今見えている風景と連なる物なのだろうか。それとも、それらとは違う、何かの驚きを隠しているのだろうか。

 勝手な想像を楽しみながら、路地を散策していった。

 途中で、温泉の蒸気で作られた蒸し卵をいくつか手に入れる。後で、酒のつまみにしようという算段だ。

 いくつかの角を曲がって、新しい通りを視界に納める。少し進んだ先が開け、東屋(あずまや)が見えた。

「立ち寄り湯かな」

 小屋根の下に、浅い湯船と、それをとりまく腰掛けの座があった。まるで囲炉裏を囲むように、湧き出す温泉を囲んでゆっくりと足をつけられる。

「これは、ちょうどいい」

 履き物を脱いで、嬉々として足を湯に浸した。温泉から伝わってくる熱さが気持ちいい。軽い疲れが、あっという間に退いていく気がする。

 腰を据えると、巾着(きんちゃく)に入れおいた徳利を取り出して栓を抜いた。宿で手に入れた地酒だ。

 蒸し卵を肴に、さっそく一杯始める。淡くたちこめる湯煙の中、酒のほのかな甘みと香りが心地よく広がる。

「お酒?」

 ふいに幼い声がして横を見ると、赤い半纏(はんてん)を着た子供の兄妹が、物珍しそうにこちらを見ている。

「ああそうだよ」

 好奇心に満ちて見つめる瞳に、大人としてちょっとばつが悪い感じがした。

「坊やたちにはまだ早いなあ」

「そんなことはないよ。すぐに大きくなるんだから。次に会った時は、一緒に飲めるさ」

 言いはる兄が、なかなかにかわいい。

「それは楽しみだ」

 心の底からそう思う。子供の成長を楽しみにしない大人など、いるものだろうか。

「あたしはいらない」

 妹が、興味なさそうに言った。

「どれ、ではこっちを一つあげよう」

 そう言って、加藤は蒸し卵を一つ子供の方へと転がした。

「ありが……ああっ」

 お礼を言った子供の手前で、転がる卵がふいにむきを変えてその手をすり抜けた。ぽちゃんと飛沫をあげて、お湯の中へと蒸し卵が落下する。

 あわてて湯に浮かんだ卵を取りあげた兄は、うっかりと半纏の袖を濡らしてしまった。

「大丈夫かい?」

 ちゃんと手渡せば良かったかと少し反省した。

「平気だい。ちょっと油断しただけだよ。でも、後で風に当ててちゃんと乾かさなくっちゃ」

 拾いあげた卵を妹に手渡しながら、兄が言った。

「僕には投げていいよ。上手に受けとめるから」

「よし、いくぞ」

 蒸し卵を投げると、言葉通り、兄がみごとに受けとめた。

 喝采を送ってから、三人で仲良く蒸し卵を食べる。

 蒸し卵と足下の湯から、全身へ内と外から温かさが行き渡る。この染み渡ってくる暖かさこそが、温泉の持つ力その物なのだろう。

「坊やたちは地元かな」

「うん。この時期には、いつもここに出してもらえるんだ」

 たわいもない話で、子供たちとの会話を楽しんだ。

「もうそろそろ行かなくちゃ。今日はお祭りで、コイノボリがあがるんだよ。みんなが待ってるんだ」

 ふいにそう言うと、子供たちが温泉から飛びだした。呼び止める間もなく、その姿が湯煙の中に消える。

 頃合いかと思って、自分も足湯から出ることにした。

 湯煙をくぐってのんびりと進むと、ふいに風で視界が晴れた。

 川が見える。

 そこには、何百というコイノボリが風に泳いでいた。

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