景之拾弐 梅の酒
「しかし、旦那にしては、よくこれが残っていたものですな」
梅酒の入ったグラスを片手に、上方が言った。
「それは、この日のためだろう。さすがに用意がいいと、ここは褒めてほしいところなんだが」
ちょっとあてがはずれたと、少しつまらなそうに返す。
庭にある縁台に緋毛氈をかければ、即席の梅見の席ができあがる。緋色の花笠でもあれば完璧なのだろうが、そこまで贅沢を言っても始まらない。
庭に一本だけある紅梅は、なかなかに味のある枝振りだった。赤よりも暖かみのある濃い桃色の梅の花は、梅酒を片手に鑑賞するだけの価値があると言える。
「いや、これでも褒めているんですが。なにしろ、去年作った自家製の梅酒は絶品も絶品やったからなあ」
「苦労のしがいがあったというものだろう。ひとつ、今年もたくさん作ろうじゃないか」
「それは、ぜひに協力いたしましょう」
難波が、身を乗り出して提案にのった。
とはいえ、さすがにこの庭の紅梅では、梅酒用の実は採れない。もともと梅の種類が違う。まあ、それ以前にたいした量の実がならないわけだが。
また季節が来れば、大量の梅の実を瓶に詰めるとしよう。
「これで、つまみようにカリカリ梅が残っていれば言うことなしだったわけだが……」
「さすがに、それはなしですかいな」
上方が残念そうに言った。
梅酒としてエキスを出した後の梅の実も、それはそれなりにおいしいつまみになる。それがため、おやつにちょくちょく囓ってしまい、あっという間になくなってしまうわけだ。
「つまみと言うよりはお茶請けになるが、ずんだ餅なら用意してあるんだが」
「なんでずんだなんです。梅ヶ枝餠か鶯餅が出てくるかと思ってましたが」
「いや、それも考えたが、たまさか手に入らなかったものだから。色は鶯色といったところだから、代わりとしてはいい選択だろう」
見透かされていたとは、上方もだんだん油断ならなくなってきて困る。だが、今回はずんだ餅だ。
「鶯色ですかねえ。ところで、これは知っとりますかいな。本物の鶯は、鶯色をしていないという……」
「メジロの間違いだというのだろう」
なんだ知っているのかと、上方がつまらなそうな顔をする。
「本当の鶯色も、鮮やかな緑色ではなく、鳥と同じ茶色がかった色だそうだよ」
「ほうほう。ですが、それだと、えらく地味になりゃあしませんか」
「ああ。だから、間違っていたってかまわないじゃないか。いちいち目くじら立てるのも興ざめということさ。無粋なことはせず、目の前のものを楽しめばいいということなんじゃないのかな。というわけで、餅でも食おうじゃないか。おや、鳥が飛んできたぞ……」
とりあえず一区切り。