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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十三節 スタディオンの風景
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1-13-3.見えない反攻手段、その中で得た味方







 そして、そんな彼らと戦うための手段として――。


「でも、こんな酷いものを私に貸したってことがわかったら、きっとアルセステさん達の立場を悪くできるよね」


 ティリルの中に、してやったりという一つの思惑が生まれた。ラクナグ師に仕掛けられた何かにどんな痕跡が残されているかは全くわからないが、自分の手許にはこれがある。


「それよ! あの教頭に、この本見せつけて黙らせてやろうじゃない。学院長だってあいつらの悪巧みを認めないわけにはいかないわ!」


 満面の笑みで呼応するミスティ。よし、このままこの足で、学院長室に向かおう。


 はやる気持ちに水をかけるのは、相談相手のゼルだった。


「あー……。はいはい、大体見えてきた。この本を貸し付けてきた奴はアルセステなのか。だとすると、よっぽど証拠を握らないと難しいんじゃないか?」


「何が? この本がもう動かぬ証拠じゃない。薬についてはあんたも証明してくれるでしょ?」


「薬については証言するけど、その本をそいつから借りたっていう保証はできないぜ」


「? そんなの当り前じゃない。そんなことあんたに期待してないわ」


「じゃあ、誰に期待してんだよ?」


 熱を帯びるミスティの言葉に、ゼルは冷ややかに質問を挟む。ティリルには、まだ彼の言いたいことがよくわからない。だがミスティには、気付くところがあったらしい。あ、と口を丸くして、がっくりと肩を落としている。


「例えば俺が、その本をティリルちゃんに貸し付けよう、ティリルちゃんを陥れようとしたら、まず俺が貸したっていう証拠は一切残さないな。返すって言われても自分のじゃないって白を切るし、それどころか自分に冤罪を被せようとしたって主張するね。

 そもそも、この本は今はティリルちゃんの手許にある。だから、これを公にすることで立場を悪くするのはティリルちゃんの方かもしれない。多分この薬物は、ソルザランド王国では禁止はされてないけど、使うのに資格が必要なやつだと思うんだ。だから、なぜティリルちゃんが持ってる? 誰かに借りた? 証拠は? ――そういう話になると思うな」


 ぐうの音も出なかった。確かに、少なくともあの教頭ならそう言いそうだ。だが、たかだか本の貸し借りで借用書など残すはずもない。


 アルセステの私室を、あるいは他の二人の部屋を隅々まで家探ししたら、ひょっとしたら何か出てくるかもしれない。だが、出てこないかもしれない。そもそもそんなことを誰が許可するか。誰が、アルセステに非がある可能性を認め、彼女たちに部屋を検分させるように言い渡すのか。学院の教頭ですら言いなり、学院長ですら見て見ぬふりの彼女たちのやりようを、『公平に』裁くことなど最早できないのかもしれない。


「腹が立つくらい正論ね。確かにこのまま攻め込んでも勝機は薄いかも」


「大丈夫かミスティ。この程度のこと、普段のお前なら気付いてるだろ。よっぽど頭に血が上ってんじゃないか」


「上りもするわよ。あんな姑息な手段で、きっと吹けば飛びそうな小さな理由で、優秀な教員一人学院から追い出されたのよ。そいつの我儘のせいで、何百人の学生が優れた講義を受ける機会を逸したのよ。学院生として腹を立てないのがおかしいわよ」


「ああ、ラクナグ先生の件か」


 ゼルが、納得したように二つ、三つ大きく頷いた。特に理由もなくただタイミングを逃しただけだったが、そういえばゼルには事の顛末をまるで説明していなかった。それでも、話を聞いてあああれか、と思い至るくらいには、ラクナグ師のことを聞き及んではいたらしい。


「けど、相手はあのアルセステ通運の社長の一人娘だろ。並大抵のやり方じゃ対抗できないだろ」


「わかってるわよ。わかってるけども!」


 ふうぅ、ふしゅるぅ、と鼻息を荒くしながら、ミスティが声を大きくした。わかってはいる。けれど、気持ちの整理が追い付かない。ティリルも同じだからこそ、ミスティの心中はよくわかる。


 今すぐにでも、アルセステを断罪したいのだ。並大抵では不可能、などという現実に、納得できるわけがない。


「はあ。ったく、しょうがないな。いいぜ、少しくらいは協力するよ」


「えっ」知らず声を出すティリル。「……いいんですか?」


「何ができるかはわかんないけど、俺だってラクナグ先生に恩は感じてる。アルセステの会社にも関わりないし、オ嬢サマに嫌われても問題ないからな」


「あ、ありがとうございま――」


「何を当たり前のこと言ってんのよ」


 感激し、両手を合わせ、目を潤ませながら礼を言おうとしたティリル。その例の言葉を遮って、ミスティは事も無げに息を吐いた。


「あんたとマノンが協力するのは決定事項! そんなこと許可取りに来たんじゃないの。とにかく私たちは、あのクソガキどもを今すぐに黙らせる武器が欲しいのよ」


「いや、だから、無理じゃね? 持久戦覚悟しないと」


「くぃいいいっ! ふざけてるわねホントっ」


 ここまで感情的なミスティを見るのも珍しい。隣に立ってそう思いながら、内心は同じだったので制止はしない。ラクナグ師のことを思えば、ティリルとて、今すぐにでもアルセステを退学にしたい程だった。難しいと言われ、歯軋りをしたくなる。


「まあ、了解。とりあえずあの娘らについてのネタを見つけたら、拾っておくよ」


「積極的に拾ってちょうだい。女子寮入って構わないから」


「……俺が退学になるわ」


 熱を込めたミスティの拳に、ゼルががっくりと肩を落とし溜息をついた。


 後で聞く。スパイさながら、ゼルは一般の学生には出回らないような隠された情報を集めるのが得意なのだという。以前ネスティロイが学院に来ることを嗅ぎ付けたのも、元を辿れば彼だったらしい。


 よろしくと頭を下げて、ゼルと別れた。


 それきり二か月。進展は、何もなかった。


 事件の真相は、それ以上探るのは難しかった。闇曜日に食堂で同席したのが偶然だったのか、必然だったか。ともあれそこでティリルに薬を盛り、下着を取り換えた彼らは、計画を一気に実行に移すべく薬漬けの本を用意し、ティリルに貸し出した。そして、ティリルと師に遅刻をさせ、あらぬ噂を流した。


 ひょっとしたら師にも何らかの仕掛けを用意したかもしれない。何か手間をかけて取り寄せたり作ったりしたものがあったかもしれないが、最早それを探るすべはない。ラクナグ本人なら思い当たる節はあるかもしれないが、彼はもうここにいない。それに、いたとしても何も語ってはくれないようにも思う。


 結局のところ全ての元凶がアルセステだとわかっていても、それを証明する品は何一つなく、あったとしてもそれを認めてくれる人間が誰もいない。この状況で、何をどうもがいても無駄だということを、理解せざるを得ない状況だった。


 たまにすれ違うと、アルセステは常に底冷えのする笑みを向けてきた。せめて負ける気はないと胸を張り、堂々とその前を素通りすることが、ティリルにできることのせいぜいだった。




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