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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十二節 謀略
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1-12-6.校長と、そして師の言葉







「何を言って……っ。教師と学生がそのような関係になって、問題がないはずが――」


「ネルヴァン君、少しいいかな」


 顔を歪ませ声を荒げた教頭を、制止したのは学院長だった。ネルヴァン、とは教頭の名前なのか。敏感に反応した教頭は、自分の言葉を遮られたことが信じられないと、目を見開いて学院長の顔を見る。しかし、逆らいはしなかった。


「ルーティア君。それに、ゼーランド君か。確かに、今の話し合いは一方的だったかもしれないね。だが、それも仕方がないことだと考えてほしい。申し訳ないが、一連のことは既に決定事項で、結果が覆ることはあり得ないんだ。ラクナグ君は、学院から身を引くと言った。学院側としては彼の身の潔白は証明されず、彼自身も証明しようとはしなかった。なので、彼を『追放処分』と処せざるを得ない。だが、今彼の冤罪が証明されても、彼は学院を出ていくだろうね」


「存じております」ミスティは重々しく頷いた。


 ティリルは存じていなかった。この話し合いは、ラクナグの潔白を証明し、彼を教壇に戻すためのものだと思っていた。ラクナグが口を開かないことから、ミスティはそれを察していたのかもしれない。悲しかった。


「名誉の問題はあります。ラクナグ師は私の尊敬する教師の一人です。汚名を着せられ追放、となれば私も我慢がならない。ご本人の意思で学院を去られるのであれば、私は何も申しません」


「なるほど、道理だね。

 さて、君が先程問うていた質問だが、確かにこの学院の理念は『自立と自律』だ。各々が自己の責任により、自由に行動し、学問する。その前提の上であれば、教師と学生の恋愛が妨げられる謂れはない。

 だがもし、そのことにより教師が特定の学生にのみ目をかけるようになったり、他の学生の学問、授業に支障をきたすようなことがあれば、その限りではない」


「今回は、その限りの外に当たる、と」


「アイント君の話がすべて真実であった場合は、そうだね」


「そして、否定できる立場にあるのが先生ご自身だけであったにも拘らず、ラクナグ先生はそれをしなかった」


「そのとおりだ」


 深く、頷いた。学院長は、一言一言、言葉を丁寧に探しながら語っているような印象だった。


 ティリルには、学院長の真意は読み取れなかった。教頭の意図はわかる。自分たちには好戦的で、アルセステ達に協力的。いや、それ以上、恐らく彼女はアルセステ達に取り込まれているのだろう。脅迫か、懐柔か、知らないが。


 好ましいのも、怖いのも、学院長の方だ。背筋が震えた。


「……わかりました。ですが、私たちもラクナグ先生を慕い、先生の授業をもっと受けたいと思って、ここに来ました。学院長先生のお話は私たちの気持ちを治めるに足るものでしたが、それがラクナグ先生の本意に間違いがないと、ご本人に直接伺ってもよろしいですか」


 これ以上の埒はあかない。ミスティがそう判断したらしい。正直学院長の話はティリルの気持ちを治めるには到底足りなかったが、確かに何をどうひっくり返せば状況が覆るのか、見当はつかない。


「ふむ。本来、彼の嫌疑が晴れないうちのゼーランド君との会話は認めるわけにはいかないのだが、確かに君たちも納得はいかないだろうね。私の目の届く今この部屋の中でなら、多少の会話は認めよう」


「学院長!」


 教頭が、声を上げた。なぜそこまで認めるのか。抗議の声だった。


「不服かね?」


「ええ、もちろん。なぜこのような、礼儀も弁えない者たちに特例を認めるんですか」


「礼儀は弁えていると思うがね。彼女たちの態度は極めて冷静で、少々君の挑発に乗った以外は低俗な揶揄もなかった」


「なっ、……が、学院長、私は挑発など……」


「ラクナグ君との会話も、別に特例というわけじゃない。禁じる必要がなければ私は認めるよ。さあ、ラクナグ君、こちらへ」


 ようやくと頬杖を解き、背筋を持ち上げた学院長が、脇に侍っていたラクナグに声をかけた。彼は黙ってただ頷き、数歩、ティリルの近くへ移動する。


「私は学院を去る。お前は、ここで魔法を究めろ」


 たった二言。ラクナグの意志が、伝えられた。


「そんな、先生っ。こんな形でなんて……」


「そうですよ。学院を辞めるにしても、汚名を晴らしてからでもいいんじゃないですか?」


 うまく言葉を紡げないティリルに、ミスティが気持ちを補ってくれる。どの道ラクナグには伝わっているようだが、しかし彼の返答はつれないもの。


「意味のないことだ。私は自分の名誉のために教師をしていたわけではない。学院からも学生からも必要がないと言われれば、もうここにいる理由はない」


「必要はあります! 私は、まだ先生の授業を受けたいですっ」


 縋る。


 それでもラクナグは、顔を崩さない。


「お前には、先に話ができていたのでよかった。私がお前に思うことは、全て一昨日伝えた。次回の補講は行う、という約束が果たせないことは気掛かりだが、お前にはもう必要ないことだ」


「そんな! 必要ですよっ。やっと私、少しずつ魔法の使い方がわかってきたのに……。やっと、自分が何をすればよいか見え始めてきたところだったのに……」


 絞り出していた声が、どんどん震えて縮んでいく。


 言いたいことは山程あるのに、いざその機会ができると何も言えなくなってしまう。ああ、ラクナグの前で、自分は全く成長していないんだなあ。まだ、感謝すら碌に伝えられていないのに。


 そうこうするうちに、視界まで滲んできてしまった。まずい、アルセステ達の前で、こんな弱い姿を見せたくない。


「お気持ちは固いんですね」


 ミスティが、問うた。


「ああ。自分の迂闊さが招いたことだが、学生の我儘に振り回されて馘になるなど、馬鹿馬鹿しいにも程がある。歴史ある大学院も今や立派なのは時計塔だけかと思ったら、寧ろ早くこんなところから出たくなってな」


「お気持ち、よくわかります。私も、このような腐った人使いを見せられて、唖然を通り越して憤懣の心持ちです」


「ふ、相変わらずだな、ルーティアは。お前は良い師に恵まれているんだろう?」


「ラクナグ先生のお陰様です。あの時先生の研究室に忍び込んでおいて本当に良かった」


 ラクナグが、ミスティが、お互いにぼんやりとした微笑みを向け合った。


 ティリルには、二人のやり取りは全く理解できなかったが、見ていてほんわかとした気分にはなった。


 ミスティにとっても大切な先生。いなくなってほしくなかった。




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