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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十二節 謀略
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1-12-5.反攻







「……ど、どうして、ルートさんがこれを……っ」


 湧き上がる感情は、恐怖。どこでこれを失くしたのか、ティリルは全く記憶にない。ルートが持っていたということは、彼女はそれがどこにあったのかを知っていたということ。口振りからすればアイントも、そして、そうなれば当然アルセステも、だ。


 自分の極めてプライベートな品物を、外で脱ぎ捨てるなど考えられないものを、目の前の敵が然も当然とばかりに鞄から持ち出してきた。恐ろしかった。


 ゆっくりと、三人の顔を見る。三人とも、にやにやと、溶けた砂糖のような甘ったるい微笑みを浮かべている。中でも、アルセステの目は印象的だった。まるで蜘蛛が獲物に毒針を刺すような、鋭く鈍い笑みだった。


「にひひ、やっぱりゼーランちゃんのだったんだね。これ、おとといの補講の時に、シェルりんが拾ったんだって。そうラクナグセンセーの研究室でね。フツーこんなもの、先生の研究室に忘れたりしないよねぇ?」


 ちら、ちらと横も睨みながら、ルートが粘っこい声を出す。視線の先は、長身の長髪男性、ラクナグ。彼はまるで言葉を封じたかのように、一言も喋ろうとしない。


 ルートの微笑みに、ティリルの混乱は極まった。どうして師の研究室に置き忘れたのか。そんなことをするタイミングが、どこかにあったのか。――いや、ない。ないはずだ。師の研究室で服を脱ぐことなど、一度だってなかった。鞄の中に間違って入れてしまったそれを、誤って落としてそのままにしてしまう、そんな機会だとてありえない。ラクナグが見てくれる補講は魔法行使に関する内容で、鞄を開いたりノートを確認したりすることさえ滅多にないのだから。


「と、まあそういうわけです。風曜日の昼過ぎに、まず遅刻などしない先生が、女学生と同時に遅れてきた。そしてその後の時間に先生の研究室にはその女学生の下着が落ちていた。およそ、弁解の叶わない状況だとは思いませんか」


「嘘ですっ、そんなの! 私、下着を先生の研究室なんかで失くしてません!」


 ヒステリックに大声を上げた。


 黙って状況を見守っていた、学院長と教頭が目を丸くしている。ティリルの雰囲気から、大声など出さない大人しい学生という印象だったのか。とんでもない。大学に来てから、ずいぶん鍛えられた。部屋中に響き渡る程度の声くらい、簡単に喉から吐き出せる。


「確かにこの下着は私のです。失くしてたこともわかっていました。ただ、先生の研究室で失くした、ということはあり得ません。何せ私の手許には、この下着と入れ替わりに、別の下着があるんですから」


「へえ?」


 アイントが、鼻を鳴らした。


「どういうことかね」


 初めて、学院長が口を開いた。この先は彼らの知らない話になる。興味を示したのだろう。


「どう、とも言えません。いつそれが入れ替わったのか、私にもわからないんです。ただ、昨日洗濯をしていて、気が付くと私のものによく似た、しかし私のではない下着があったのです。数えてみて、その代わりにこれがなくなっていたことに気付きました。下着が入れ替わる、なんてことがどうすれば起こり得るのか、私にもわかりません。ただ、先生の研究室で脱いで忘れてきたなんてことはあり得ません。それだけは確かです」


「貴女のお話も、随分ぼんやりとしているのね」


 今度は教頭が口を開いた。「も」というのは先程のミスティとのやり取りを前提にしているからだろう。ミスティの話も、ティリルのものも、まるで聞く価値がないと溜息一つで断じて寄越した。


「ぼんやり、ですか?」


「貴女のお話には証拠がない、と言っているの。下着が入れ替わっていた、という証拠がね。では今からその下着を取ってきましょうといったところで、それが入れ替わったものだという証拠などない。あなた以外の誰かのものだという証明などできないでしょう。そんなことを主張されても、じゃあ信じましょう、とはならないわね」


「そんな……。私が嘘をついてるっていうんですか」


「本当だという証拠がない、と言っているの。アルセステさんたちのお話は、ちゃんと証拠が揃っているわ。ラクナグと貴女が遅刻したことは、実習の選択生全員が知っている。研究室に落ちていた下着も、現物がきちんとここにあって、それを貴女自身が自分のものだと認めたわ。その話を覆そうというのなら、もっと確たる証拠が必要ではないかしら?」


「その下着が、ラクナグ師の研究室に落ちていたという証拠は?」


 胸を張る教頭に、反論したのはミスティ。想外のところから言葉が届き、教頭も一瞬驚いた様子を見せた。


「何が言いたいの?」彼女の視線がミスティに向けられる。ミスティは涼しい顔。腕組みをし、ほんの少し顎を上げたその様子は、相手を見下しているときのそれだと、ティリルには容易にわかる。


「そのままの意味ですよ。証拠に拘っていらっしゃるのはあなたの方でしょう? 教頭先生。ティリルの言葉を疑うなら、彼女たちの言葉も疑うべきではないですか? まさかラクナグ先生が、確かにこの下着は自分の研究室にあったとお認めになったわけではないでしょう?」


 言いながら、ミスティは顔をラクナグに向けた。


 向けられたラクナグは、小さく首肯。今日、初めて自分の意思を表に出した。自らの潔白を示すのに、もう少し口を開いてくれてもいいではないか、ティリルはそう思っていたが、ミスティは彼が黙っている理由を把握しているらしい。その首肯を促し、期待した反応が届くや、もう、目線は教頭に戻っていた。


「あ、アルセステさん達には嘘をつく理由がありませんからね。証拠も何も、ただ落とし物の拾得場所、拾得状況を報告してくれてるだけです。ラクナグを弁護しようと必死になっているあなたたちの言葉とは違う」


「嘘をつく理由がない、でろくに証拠も確認せずですか。話になりませんね」


 ミスティは、先程の教頭の言葉を真似て見せた。ギリギリと、教頭が奥歯を噛み締める。


「あともう一つ、気になっていることがあるんですが、学院長先生。伺ってもよろしいですか」


 そして、わざとらしく挑発したかと思うと、今度はミスティは教頭を完全に無視し、学院長に呼びかけて話しかけた。なんだね、と学院長が静かに口を開く。教頭は何かを言いたげにミスティを睨みつけたが、学院長が返答したため、その言葉を飲み込むしかなかった。


「私は魔法行使学の師としてラクナグ先生を、親友としてこのティリルを尊敬しています。この二人が今話に上がっているような淫行などに耽るはずがない。なので、以下の仮定をするのは非常に心苦しいのですが、どうやら信頼以外の物的な証拠がないとこの場では発言することが許されないようなので、敢えて有り得ない仮定をさせて戴きます。

 この二人がもし本当に男女の関係にあり、そのような行為に及んでいたとして、それの何が問題なのですか?」


「えっ、ちょ、ミスティ……」


 ミスティが何を言うのかと、期待と不安を織り交ぜながら横で聞いていたティリルだが、結論的にミスティが口にした質問には思わず吹き出してしまった。前置きもある。ミスティがそんなことを疑っていないことは、重々承知している。それでもティリルは、ついつい「仮定の話」に反応してしまった。未熟だと思う。




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