1-12-4.学院長と教頭と、そしてアルセステ
「すまないが、今取り込んでいてね。少し待っていてもらえないかね?」
男性が、低い声で言う。この顔触れを見て、大人しく待っているわけにはいかない。いえ、と口を開きかけたミスティ。その声に言葉をかぶせたのは、黒髪を短く切り揃えた、冷たい瞳の少女。アルセステだった。
「ちょうどいいでしょう。彼女も関係者ですし、一緒にいてもらった方が早いと思いますよ」
「ふむ? アルセステ君は彼女たちのことを知っているのか」
「ご友人のことは存じませんが、シアラ・バドヴィアの娘君のことは当然存じております。ラクナグの補講でも同席しておりましたし」
「ほう。すると彼らのどちらかが――」
学院長が、頬杖から顎を外してこちらを見た。面長で、細い眼の印象的な男性が、見開くとこんなに丸くなるのか、と感嘆してしまうほど。だが人好きはしなかった。少なくともティリルが見た印象では。
敵地、と表現したとおり、ここには味方がいない。当然ラクナグ師だけは味方であると信じられたが、頼るべき相手ではない、寧ろティリルが彼を救わなければならないのだ。心の準備などできていない。どころか、自分のことを下に見据える五人の人間の眼差しに足が震えぬ由もない。それでも。戦わないわけにはいかなかった。気弱なティリルがそこまでする理由が、目の前にあった。
「私が、ユイス・ノル=ゼーランドとシアラ・ゼーランド――旧姓バドヴィアの娘、ティリル・ゼーランドです」
一歩前に出て、自己紹介をした。それが彼女の戦いの、第一手目。
「ああ、君が」学院長が、目を丸くした。どういう意味かは、まだ分からなかった。
「彼女のルームメイトのミストニア・ルーティアです」続けて、ミスティが名乗る。「掲示板の告知を拝見し、その件について物申したく参りました。見れば、学院長先生方も今まさにそのことを話されていたのではないか、と推察するところ。よろしければ、私たちにも意見を述べさせて頂ければ、と思います」
「意見ですって? 突然来室したにしてはずいぶんと尊大な態度なのですね。もしあなた方がラクナグの件についていらしたのなら、その件は懸案事項ではなく、既に決定したことなんですよ?」
学院長の脇に立つ、クリーム色の髪の教頭が、吊り上がった目で二人を睨みながら応対した。その迫力に圧倒されそうになる。思わず口を噤みそうになる。
気持ちを奮い立たせるは、憤り。彼らが、尊敬するラクナグ師のことを容易く呼び捨てにしている事実が、我慢し難かった。
「あ、そ、その……」
「決定したこととは、どういうことです」我慢し難いのに、いざとなると声が出ない。結局、先陣を切るのはミスティだ。「ろくに事実関係の確認もせず、先生の冤罪を真実と決めつけて、結果だけ決めてしまったということですか?」
「冤罪? あなたこそ、なぜ冤罪だとわかるのです?」
「少し考えればわかるでしょう! 愚直なほど真面目なラクナグ先生が、女子学生と淫行するなんて、誰が聞いたって信じられる話じゃない!」
「筈がない、でろくに証拠も提出せずですか。話になりませんね。
彼が過ちを犯したその証拠は既に提示され、彼は断罪されました」
向こう側が見えるほど澄んだ氷のような声で、教頭は断言し、視線をアルセステに向けた。アルセステはにっこりと微笑み、一歩、前に進み出る。
「本来、既に学院長先生、教頭先生、それからラクナグの前にはお示ししたお話。繰り返す必要のないことですが、この件に関してはゼーランドさんも関係者であるが故、もう一度だけアイントから説明させますわね」
遠回しに、貴女のために話をするの、と釘を刺すアルセステ。
黙したまま、その場の者たちの発言に注意深く耳を傾ける学院長。ミスティの言葉に敏感に反応し、――あるいはそれ以外の理由があるのか、とにかくミスティとティリルのことを犯罪者のように睨みつける教頭。この状況に何を考えているのか、黙して身動ぎ一つしないラクナグ。学生を管理する立場の大の大人が三人も揃って、この部屋の空気はとっくの昔にアルセステの掌中にあるらしい。そのことがすぐにわかった。
アルセステなら、そのくらい不思議ではない。不審なのは一点だけだ。なぜ、アイントに説明させるのか。彼女は自分で口を動かす方がよほど得意なはずだ。
「ええ。先程の話の繰り返しになりますが、もう一度私からさせて頂きます。
私共の基礎魔法実技演習、並びに補講をご担当下さっていたサクル・ラクナグ師ですが、悲しいことに一女学生との淫行を犯していたことが発覚致しました。これについては、ご本人からの肯定の言葉をまだ頂いていませんが、私共が示しました物的証拠により、事実であることはほぼ決定致しました。
そして、同じくその証拠により、淫行の相手がゼーランドさん、貴女であることも決定的です」
「なっ」
ミスティのおかげで、自分にかけられることに心の準備はできていた嫌疑。
アイントの言葉であるがため、欠片たりとも信用するに値しない容疑。
だが、面と向かってそうだと断言されると、感情を抑えることはなかなかに難しい。困惑。怒り。焦燥。悲嘆。なぜ自分がそんなことを言われなければいけないのか、理不尽さが、様々な感情を綯交ぜにした。
「そもそもあのラクナグ師が、個別の補講を開催することが最大の疑念でした。私共のみでなく、実習の講義を選択した、いえラクナグ師のことを知っていた全ての人間が、そのことを疑問に感じていました。
私共三名を補講に参加させてほしい、と依願した際も、師はなかなか頷いてはくれませんでした。師とゼーランド女史が、補講という名目でその間どんなことをしているのか、少しずつ見え始めてきました。
そして一昨日、一七日の風曜日。午後の実習に、師と女史が揃って遅刻。同時刻に教室に現れました。最早、疑う余地はありません。むしろ実習を受けている他の学生たちを蔑ろにしてまでそのようなことに時間を割けるのか、と呆れるのを通り越して感嘆してしまったほどです」
「なっ、デタラメですっ! 何を根拠にそんな……」
「根拠はその日の補講の際に――。
ああ、そうでした。すっかり忘れていました。一つ確認しなければならないことがありましたね。こちら、ゼーランドさんのものでお間違えないでしょうか?」
と、アイントは唐突に話題を変え、顔をルートに向けて何かを促した。あいあいっ、と軽い返事をし、ルートが手に持っていた鞄から何かを取り出す。グレーの布地。ハンカチ程の大きさの小さなもの。ハンカチではない。折り畳んであるのに、凹凸ができている。
それを、ルートがパタパタと駆け寄り、ティリルに手渡してきた。
「はいこれ。ゼーランちゃんのでしょ」
その笑顔に一瞬毒気を抜かれそうになったが、受け取った手許を見て血の気が引く。
それは、先日ティリルが失くした、胸当て下着だった。




