1-12-3.ティリルたちが取れる対抗手段は
「もちろん、それは前提にしておきたいところね」すっと、ミスティが顎を引き、眼を鋭く尖らせた。「少なくとも、ラクナグ先生の人となりを少しでも知っている人なら、あんな告知文には違和感しか抱かないわ。だとしたら、本当に先生が間違いを起こしたって可能性は捨てて考えた方がいい」
こくりと、頷いて答えた。
当たり前だ。あの謹厳実直な先生が、女子学生に手を出して挙句学院追放、などとやらかすはずがない。
「ラクナグ先生みたいな真面目な人にこんなふざけた罪状を言いつけるだけでも腹立たしいけど、私が怒ってるのはもう一つ、もっと大きな理由がある」
溜息交じりに首を振りながら、ミスティは再び足を動かし始めた。後に続くティリル。もっと大きな理由って? 素直に小首を傾げた。
「掲示板の前に屯ってた連中の話に鑑みて――、多分、先生が淫行したその相手ってのが、ティリル、あなたのことだと思うわ」
「へ?」
振り向かず、淡々というミスティ。
思いも寄らなかった発言だった。淫行などという言葉も知らなかった自分が、その当事者として疑われている? 傍から見たら容易に想像できることなのかも知れないが、ティリルの中にその発想は全くなかった。
なので、大声を上げた。
「ええぇぇっ? なんで? なんで私?」
「意外なことでもないでしょ。ティリルはラクナグ先生に、個別の補講をしてもらってるんだし。バカな連中の目にそう映ったとしても、驚きゃしないわね」
「じゃ、じゃあ、やっぱりこんなことになったのは、私が補講をしてもらってるせい……」
不安に駆られ、ぽつり呟く。目線を一瞬こちらに向け、ミスティが声を荒げる。
「さっきも言ったわね。補講をしただけで追放処分になるなんてバカげた話、あるわけないでしょう。
私は論理学専攻だから先生の授業を直接受けたことはないけど、理論についての質問で何度か個別に研究室のドアを叩いたわ。あの先生が個別補講するって、結構特別なことだっていうのはわかるわよ。でも、別にティリルを依怙贔屓してるわけじゃないってのもわかる。
ラクナグ先生は、魔法行使の基礎の基礎を教えることだけを自分の仕事だと考えているのね。このソルザランド王国随一の魔法大学院に入って、魔法行使を学んで、最低限ここまでは身に付けておかないと、ここを卒業したなんて言わせられない。そういうレベルを重視してる方なのよ。
だから、予科から上がってきたり、地方の学校を卒業して、行使学の基礎をそもそも身に付けている人たちは、講義を時間通り受けていれば問題なく先生の単位はクリアできる。そのレベルで落ちこぼれている人たちは、そもそも魔法使としての才能がないから、早めに論理学コースを勧めたり、専攻を変えることを検討させる。
ティリルみたいに、そもそも今まで基礎を修めてきていない。ただ魔法の才能は溢れてる。そんな学生は、ここではレアケースなのよ。だから、ラクナグ先生はそういう学生に対しての対策として、課外補講っていう手段をとったんじゃないかな」
足早に廊下を歩きながら、ミスティの流れるような言葉が続く。その話に、ティリルは感嘆し通しだ。ミスティの研究をしっかり覗いたことはなかったが、日常生活で彼女が小さな火も熾せない以上、彼女に魔法使としての才能は全くない。だからこそ、ミスティとラクナグ師につながりがあるとは思っていなかった。
「だから、こんな話がまかり通るなんて、そんな馬鹿げた理屈があるわけない。誰かが、悪意を持って、先生を陥れたのよ」
吐き捨てるように、侮蔑の念を込めて、ミスティは言った。そんなことに労を費やすなんて、何のためにこの大学に入ったのだろう。いつか言っていた言葉を、今日は口にしなかった。口にすることさえ、煩わしいようだった。
「誰かが……。……っ! ひょっとして!」
「他にいないでしょ。追放処分にしたことだって、多分先生に何か恨みがあったわけじゃない。先生が補講をしたりアドバイスをしたり、目をかけていたあなたに対する嫌がらせよ」
「そんな……」
口を覆った。目頭が熱くなった。ただの嫌がらせのために、ここまでのことをするのか。関係のない人一人の人生を狂わせるのか。思うだけで、吐き気すら催した。
「そんな……。そんなのって。一体どうすれば……」
「相手は、人脈も名声もある。おまけにこれだけのことを既にほぼ完結してるってことは、それなりに準備もしてきたんでしょう。今更どれだけのことができるかわからないけど、こっちはもう、正攻法で行くしかないわ」
「正攻法?」
訊ねると、ミスティは歩を止め、くるりとこちらを向いた。奇しくも、このタイミング。二人は目的地に、敵地にちょうど辿り着いた。
「学院長に直談判。これしかないわ」
そこは、歴史を感じる学院の建物の中で、一等荘厳さを感じさせる樫の扉の前。学院長室の、目の前だった。
「失礼します」
ティリルの心の準備もまとまらぬまま、ミスティは扉をノックした。
入りたまえ、と中から声が響く。静かな、低い、しかしよく通った声。ミスティは扉に手をかけ、ゆっくりと押して開いた。
中には、複数の人間がいた。正面の机に頬杖をついて座る、灰色の髪をした初老の男性。脇に立つ、クリーム色の長髪の壮年女性。学院長と教頭よ。ミスティが耳打ちしてくれた。二人とも鋭く厳しい眼力を持っていたが、ティリルの気持ちを萎縮させたのはその二人ではなかった。
ラヴェンナ・アルセステ。
スティラ・ルート。
シェルラ・アイント。
女子学生三名、学院長の前、やや向かって左側に立ち、首だけこちらに向けてうっすらと微笑んでいる。
サクル・ラクナグ。
憮然とした表情で学院長の右前に立ち、そしてティリルたちの姿を捉えた瞬間、僅かだけ目を見開いた。




