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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十二節 謀略
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1-12-2.重要事務連絡事項







 人集りがあった。学生寮から程近い、伝達用の掲示板の前。


「何かしら。こんな時間からお知らせなんて。あの事務連中が珍しい」


 ミスティが、興味を示した。


 確かに珍しい。闇曜日に告知事項があるなんて。普段ここに書かれるのは、その日の授業に関する取り急ぎの伝達事項。誰々先生が急病のため、何時限の授業は休講。何時限の何という授業にあれを用いるので、受講者は持参すること。その類の「事務連絡事項」だ。


 授業のない、事務員も殆どが休みを取っている闇曜に、新しい告知事項が張り出されるのは、全くもって稀有な事例だ。


「行ってみましょう。重要なことかもしれない」


 ミスティの提案に、ティリルも当然とばかりに頷いた。


 近付いてみる。人集りの向こうに見える、黒みがかった石板。本当の重要事項は羊皮紙に書かれ四隅を止めて張り出されるらしいのだが、ティリルは昨日までそれほどの重要告知に出会ったことがない。前述した、些細な連絡事項は、表面の平らな黒い石板に白墨で書き込まれる。


 だが、今日の告知は、どうやら本当の重要事項らしい。黒い石板に、白い四角いものが張り付けられているのが、遠目から見てわかった。


 緊張感が、否応なく高まる。


 人の波を掻き分け、掲示板の前に辿り着いた二人が、その羊皮紙に書かれた文字を読むと。先に、ティリルの動きが止まった。呼吸さえもが止まる思いだった。


『統合歴九二八年六月一八日地曜日付、下記の者を、当学院より追放処分とする。基礎魔法実技演習指導教員、サクル・ラクナグ。特定の女子学院生との淫行の疑いにより』


 ざわざわと。途端に、周囲の声が鮮明に聞こえ出した。


 ――ラクナグ先生が淫行? バカな。


 ――もし本当なら、相手は例のバドヴィアの娘でしょ?


 ――そういえば、一人だけ特別に補講してるんだっけ。


 ――ああ、あれってそういう補講だったのか。


 心臓が、握り潰されそうな思いがした。先日までの、視線とともに陰口を叩かれる注目の日々が思い起こされる。そして、今はその陰口が些細なものに思えるほどの、大きな、衝撃的な告知事項が、頭の中身を金槌で殴りつけてくる。


 ラクナグ先生が、追放……? 俄かに信じられない文字の羅列だった。


「なぁに、これ。誰かの悪戯じゃないの?」


 ミスティが、わざと大きな声で言った。声量でわかる。感想ではない。周囲を牽制するための言葉。


 周囲のざわつきが一瞬収まった。ティリルの代わりに、ミスティが注目を集めてくれた。だがそれもほんの一瞬。次の瞬間には、まためいめいが好き勝手なおしゃべりに興じていく。


「いこ。ここはよくないよ」


 強引に手を引かれ、ティリルも動き出した。呆然と、困惑し思考を放り出したティリルは、ただミスティに引っ張られるままその場を離れた。


 人混みは、ティリルたちに目を向けはしなかった。多分誰も、ティリルが件の『バドヴィアの娘』だとは気付かなかったのだろう。ティリルの胸中も、それどころではなかった。注目されていたとしても、そのことを負担に感じることさえ出来なかったのではないか。


「……どうなってるのよ。ラクナグ先生が追放処分だなんて」


 混乱の第一歩を、ミスティが口にした。それで、ほんの少しだけ、ティリルの気持ちも整理された。


「…………私のせいなのかな。私にだけ、特別に補講をしてくださっていたから……?」


「バカ言わないでよ。補講してクビになる先生なんて聞いたことないわ。まさか本当に、二人っきりでよからぬことをしてた、なんてことないでしょ?」


 歩を進めながら、強い口調でミスティがティリルを問い詰める。信じているからこその強い口調、だというのは、ティリルにも十分伝わった。ただ一つ、わからないことがあった。


「……あの、よからぬことって、なぁに?」


「え? よからぬことってのは、だから――」


 ティリルには、あの掲示板の文言で、文字通り『意味がわからない』ことが一か所あった。『淫行』とは、何のことなのだろうか。


「……もしかして、そういうこと、知らない?」


 問われ、素直に頷く。するとミスティが、なんとも不思議な反応を取り始めた。突然にんまりと目を細めるや、ティリルの肩を抱き、「いやぁー、それでこそ私のティリルだわ。この純朴娘め」などと訳のわからないことを言いながら頬を指で突いてくる。何が何だかわからないが、とりあえずバカにはされているようなので、ぷくぅと頬を膨らませミスティの指を押し返した。


「仕方ない。このミストニアお姉さまが教えて進ぜよう」


 校舎の廊下の真ん中。立ち止まって両手を腰に当てて体を逸らし、威張った見せた。ティリルと比べてもとても豊満な胸が、特に強調される。


「淫行とは! まあ要するに、一言で言えばいやらしい行為、ね」


「え、いやらしい……?」


 極論され、眉を顰めた。


「それって、具体的には……」


「具体的に? まあ色々よね。胸を触ったり、お尻を触ったり、服を脱がせたり脱がせた上で触ったり。最終的にはセックスとか。そういうことを相手の女性と、合意、または無理矢理やってしまうことを言うのよ」


「…………っ」


 顔が熱くなった。


 いかな純朴娘のティリルであっても、直接的な表現であればそれらの行為の意味くらいは知っている。父の蔵書にはその手の記載はなかったが、町の貸本屋で見たコミックにはそんな表現も載っていた。


「学生同士とかなら、この学院は比較的自由よ。何せ『自立と自律』が規範らしいからね。自立も自律もしてなさそうだけど、ルースなんか、取り巻きといろんなことしてんじゃないの?」


 ミストニアお姉さまの講義は続く。最後の方は、少し投げ槍だったようにも思う。


 炎に炙られたかのように体が火照ってしまったティリルは、ミスティもそんな経験あるのかな。ヴァニラさんは、まさかリーラさんとか……、などと知り合いの顔をぐるぐると思い浮かべ、自分の場合はと宛てもない男性関係に思いを向け。そして、かなり遠回りをしたその先で、ようやく、掲示板の告知の内容に思考の向きを戻した。


「……え。待って。それじゃ、ラクナグ先生のことって……?」


「掲示板には、先生が女子学生にイタズラしてたから、追放にするって書いてあったわね」


「そんなっ! 先生がそんなことするわけない! 何かの間違いよっ!」


 知らず、大声が漏れた。独り言だったのか、ミスティへの主張だったのか、自分でもわからない。ただ、自分が師事し、信頼しているラクナグの評価を、学校中の皆に向けて主張したかった。




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