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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十一節 寝坊と、借りた本
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1-11-1.風曜日の朝は寝汚く







 その日は眠かった。昨夜遅くまで本を読んでいたせいか、とにかく眠かった。


 朝、ミスティが先に部屋を出て行った。布団から出るのに苦労するティリルに、呆れ半分、半分ほど「珍しいものを見る」というような楽しげな視線を混ぜつつの、そんな表情だった。


 今日は二限からなので、なんとしてもあと二十分で目を覚まさなければいけない。そう思って最後の悪足搔きと布団に抱き付いていたのだが、それが失着だった。


 次に目が覚めたのは、正午の鐘が鳴った時。はっと意識が覚醒した瞬間、背筋が凍り付いた。


挿絵(By みてみん)


 出掛けに、ミスティの言っていた言葉が頭の中に響いている。「寝坊で欠席とか恥ずかしいよ。ちゃんと起きなさいね」。自分がした返事が思い出せない。何か声をはした記憶はあるのだが、さて何と言ったのか。


 いやいや、そんなことを気にしてどうなるか。それよりも考えるべきは、この後どうするか、だ。


 いまだベッドの上から、上半身を起こした姿勢から微動だにできず硬直している。


 ティリルがベッドにいる間に、過ぎてしまった講義は、神学史。行使学専攻だけではない。論理学や、魔法学以外の専門学科の学生たちも受けている。五十人近くが教室に集まる教養授業。教員に把握されるのは仕方がないとしても、学生の中で自分の欠席に気付く者はいないだろう――。あ。


「そっか。ヴァニラさん……」


 そこで思い出した。いつも友人と隣の席に座って受講していたことを。


 いつもこの時間には、食堂か美術室で一緒に昼食をとっていたことを。


 約束していたわけではないが、なんだか悪いことをしてしまった。額を押さえながら、頭を横に振る。


 ……とりあえず、起きよう。ようやくその結論に辿り着いたとき、時刻はさらに正午の鐘から十五分ほど過ぎてしまっていたようであった。


 身支度をして、急いで部屋を出ようとする。ふと、目の端に、一冊の本が引っかかった。なんと、アルセステが貸してくれた精霊学の本。


 アルセステ達に会ったのは、例のエレシア堂での昼食から二日。火曜の演習の時間のことだった。迷惑をかけたと頭を下げると、気にするなと、むしろ体は大丈夫かと心配された。そこから二、三言葉を交わし、気が付くと魔法論理学の話に移行していた。思えば、アルセステと学問についてを話題にして話したのは、これが初めてだったように思えた。


 翌日、アルセステは一冊の本を貸してくれた。「昨日の話を聞いて、あなたのためになると思ったので持ってきました」。そう言ってくれた彼女の、表情は相変わらず人を見下したようだったが、目許は優しげでもあった。


「せっかくアルセステさんと距離が縮められた気がするのに、こんな失敗自分でやらかしちゃだめだよね……」


 自戒を込めてボソッと呟き、本から目を外した。


 足早に玄関を通り過ぎ、外に出る。


 曇り空だった。じめついた生暖かい空気が、鬱陶しく肌を包んでくる。そういえば、部屋の中もじめついていたな、となぜか今頃気付いた。


 まぁ、そんなことはどうでもいい。とにかくまずは、神学史のセリング教授を探し、今日の失態を謝罪しなければ。


 ティリルは急ぎ、研究室棟へ足を向けた。


 


 教授の研究室へ行く。


 生憎と、彼女は留守であった。


 昼休みなのだから当然、食事に出る可能性も高いだろう。待つとしよう。欅製の古びた扉に背中を凭れ、ぼんやりと考え事に興じながら時間を潰す。


 しまったな、先にヴァニラに会って謝っておけばよかった。まぁでも、ヴァニラの方もすぐに会えるかもわからないし。最近は大概は美術棟で昼食を取っていたけれど、あれは要するにティリルに付き合ってくれていただけで。ティリルがいないなら、ひょっとして食堂で好きなものを食べているのかもわからない。


「まぁいいや。後でまたちゃんと謝ろう」


 溜息をつきながら、そう独り言ちた。


 本当に今日は大失態だった。改めて、肩を落とす。


 ティリルはこれまで、授業を休んだことがなかった。当然、休むことはできる。体調不良や、他に受講したい単発講義とのバッティング。学院生でも、授業に参加すること以上に大切なこともいくつかはある。なるべくなら授業前に。どうしても時間が取れなければ最悪後刻でも、担当教員と専属教員に事情を説明し、欠席届を出す。それで十分だった。


 とりわけ、ティリルのしてしまったことが取り返しのつかない失態、であるわけではないのだ。猛省する理由があるとすれば、その理由が「寝坊」であることくらい。に拘わらず、ティリルが大きく肩を落としてしまうのは、「これが初めての失態だから」という一点に尽きる。もう、寝坊なんて二度としない。そう心に深く誓った。


 なかなか、セリング師が来ない。手持無沙汰に、目線を窓の外に向ける。通りが一望できて、昼休み中の学生たちの様子が窺えた。


 いつもと変わらぬ、昼休みの喧騒。ここで静かに、時間を浪費していると、まるで違う世界にいるような気がしてくる。いつも同じ通りから、同じ高さから見ていた喧騒が、上から覗き見るだけでこんなに違って見えるなんて。あそこで腸詰のせ大麦パン(ソルソー・ルベッグ)を歩きながら食べている女の子も、その向かいからジュースを片手に歩いてくる男性も、いつもと変わらぬ昼休みを過ごしているんだろうに。


 ふう、と息を吐き、扉に体重をかけながらずるずると重力に従う。すとんと尻を床につけると、ひだるい感覚に襲われて、首をかくんと前に垂らした。





寝起きのティリルの絵をイコ様に頂いた、のはもうはるか昔。

ですがせっかくかわいいのでどこかに載せたいなと思い、このシーンになりました。

お気に入りなのでツイッターのアイコンにも使わせて頂いております。イコ様ありがとうございます!

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