1-9-8.フォルスタの話
「というわけで、フォルスタ先生。母のことを教わりに参りました」
週明けの放課後。研究室にて、ティリルは自分から話題を切り出した。自分でもわからない何かを悩むのはやめた。リーラの姿勢に自分の意欲の薄さを知らされたなら、素直に見習えばいい。
フォルスタは、明らかに面倒くさそうな顔をしている。いつものように何やら本を開き書きものをしながら、一瞬だけティリルを睨みつけた。頬許をしかめ、あからさまに口を尖らせている。
「お前の母の、魔法理論について教わりに来た、という顔ではないな」
「はい。それはおいおい。それよりも、母の人となりが知りたいです」
睨まれても負けない、とティリルは食いついた。もちろん、魔法理論についても学んでいく。しかしそれは、もやもやの原因を一度払拭させてから。よしと前を向いてから、じっくりと取り組もうと思う。
「教えてあげたらいいじゃないですか。あんな話を聞かされて、やっぱり気になるもんですよ」
ダインが横から、応援してくれる。
フォルスタは深々と溜息をひとつつき、気乗りがしないと全身で示した上、重い口を開いてくれた。
「セラードはあんな言い方をしたが、私もバドヴィアの人となりを紹介できる程、彼女と触れ合ったわけではない。
一昨日も話には出たが、私の師は先々代の宮廷魔法使、ライスワイク師だ。私は彼の研究所で鍛錬を積み、魔法学や精霊学を学び、行使の実力を磨いた。師は優秀な魔法使だったが、何があったのか、宮廷魔法使を退いた晩年は糸が切れたように生きる気力を失っていった」
相変わらず、苦そうな表情を崩さないフォルスタ。それでも話してはくれるようだった。邪魔をしないように、静かに聞き入る、
「そんな師に生きる気力を与えたのが、幼いバドヴィアだった。師が彼女を拾った、と話を聞いた頃、私はもう四十に近かった。師の元を離れ独立していたし、そうしょっちゅう会う間柄ではなくなっていたので、時々会う際の世間話にそれを聞いたのが最初だった。実際に顔を合わせたのは随分後になってからだったよ。彼女が学院に入って、しばらくはセラードが話していたように予科で学習して。途中から、なぜか師がバドヴィアを隠すように手許に置くようになった。それは、本科で授業を一つ持っていた私の耳にも入ってきた。
そうだ。最初に会ったのは、師の研究室でだったな。奇行とも思える師の判断について、何故と問いたくて彼を訪ねたんだ」
すっと、ダインがお茶を入れてくれた。
ありがとうございます、と小さく頭を下げる。もう、何度こうしてカップを差し出してもらったか。こういうことは後輩の私の方がもっとすべきなんじゃないかな、と首を傾げることもしょっちゅうだが、実行できていない。
まあ、今はそれどころではないので、明日から実行しようと心に決める。
「初めて会った彼女は、そうだな、聡明で理知的な雰囲気をまとっていた。神聖な、と言うと大袈裟だが、ともすればそんな陳腐な表現に頼りたくなってしまう程、何というか、近寄りがたくも目が離せない雰囲気だった。しずしずと歩を進め、ふんわりと服を翻らせ、きゃらきゃらと笑い声を上げた。思わず、たかだか十歳そこそこの少女に見惚れてしまう程だったよ。
師は、バドヴィアの力を恐れているらしかった。なぜ学院に彼女を放たないのか、なぜ自身の手許に置いておこうとするのか。訊ねた返答は、『世に出すべきか答えが見つからない』だった。結局ライスワイク師は戦争に招聘されて戦死し、バドヴィアは養父の影を追って戦地で名声を得たわけだが……」
フォルスタは言葉を切った。何か、それ以上言葉を紡ぐのを躊躇っているように。
ティリルは待った。辛抱強く。フォルスタが自分の母を何と表現するのか、とても興味があった。まだ、僅かしか母の話を聞いていない。
「……いや。これはやめておこう。
とにかく、私は師の研究室、王宮の隅の一室でしか彼女と会わなかった。彼女はいつも気丈だった。師が戦争に赴き、一人になってからも。迷うということを知らなかった。私は何度か彼女の相談相手になろうと考えたが、彼女にそんなものは必要なかった。結局彼女は戦争に参加することを一人で決め、そして戦争が終わる頃にはエネア中に名を轟かせていた」
フォルスタは、ゆっくりと言葉を切った。
ティリルはまだ、次の言葉を待っていた。聞きたいことはまだあった。母シアラは、普段どのような語り口だったのか。表情は。仕草は。嗜好は。だが師、フォルスタの口はそれ以上動くことはなかった。話は終わった。そう言いたげなフォルスタ老は、しばし目を瞑り、物思いに耽るような表情をしていたが、やがて眼を開いて香茶を一杯口に含み、何か?という顔でティリルを見上げた。
もうないのか。ティリルは口を尖らせた。
「研究者としてのシアラ・バドヴィアは、どういった方だったんですか」
ふと、ダインが訊ねた。
フォルスタがまた、嫌そうな顔をした。ダインの腹芸だったが、その場の全員に読まれていては意味があるのかどうか。ただ、嫌な顔をしながらも師は再び口を開いてくれる。
「彼女が研究者として居た姿は、見たことがない。私はライスワイク師の弟子だったが、彼女が師に拾われた頃にはもう自らの研究室を学院に構えていた。バドヴィアは師の弟子としていたのか私は知らない。師は彼女のことを、養子とか孫とかしか表現しなかった。そして彼女は、自分の理論を、落書き程度にしか残していない」




