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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第九節 闇曜日に街へ出て
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1-9-7.ルースとの帰り道







 ルースとタニアが、静かに顔を見合わせた。それから、しっかと頷き合い、「それだな」と口を揃えた。


「なるほどね。クラス中の人に自分の息をかけておけば、その眼の前で誰かを罵倒するだけで、クラス中にこいつは敵だって示せるわけだ。なかなか腹黒いことやってるじゃん」


 ティリルも深く頷いた。確かあのときの授業は精霊学概論だったはずだ。少なくとも、あの授業に出ている人たちは、ほとんどがアルセステ達の味方をする人たちなんだ。それを思うと、敵の多さに背筋がぞっと凍りついた。


 と、同時に、なぜ自分が、彼女たちに目を付けられるのかが全く分からない。バドヴィアの娘だと噂が広まったことが、そんなに気に喰わなかったのだろうか。


「なんにせよ、これ以上彼女たちに目を付けられないようにした方がいいわ。私や父さんは彼女たちのことが大っ嫌いだけど、街のお店の中でもアルセステさんに味方して、あなたに意地悪しようっていう人たちもいなくないはず。気を付けてね」


 彼女の言葉に、ティリルは神妙に頷いた。


 学院の外に、アルセステのことを相談できる知り合いができたことは、有り難かった。


 だが同時に、アルセステの手がこんなところまで広く伸びているのかと思い知り、改めて不安も抱いた。


 長居してしまったと、ティリルはタニアに、それから店内にいた店の主人、彼女の父親にも深く頭を下げた。会計にと先程の札。最初はお代など結構、などと遠慮されたが、この金がアイントの置いていったものだと言うと、速やかに受け取ってくれた。


 店を出る。


 なぜかルースが、隣にいた。


「彼女に、用があったんじゃないんですか?」


 歩きながら、聞いてみる。


「うん、あったよ。顔見たから、もう用事は終わり。この後別の娘と待ち合わせなんだ。方向が同じだから、一緒に行こうよ」


 一日に何人もの女の子と待ち合わせをする感覚も、女の子との待ち合わせ場所に別の女の子と向かう感覚も、ティリルにはわからなかった。


「ルースさんと一緒にいると、他の女性から敵視されるのであんまり嬉しくないんですけど」


「ええっ? つれないな。俺ティリルちゃんのこと助けてあげたと思うんだけど、一緒に歩くのも嫌なくらい?」


「……いえ、そんなことは、ないですけど。……っていうか、助けて頂いたことはありがとうございました。それは感謝しています」


 静かに、礼を言った。その感謝の気持ちは真実だった。


 実際、ルースに対しては口先程、信用していないわけではない。何度も助けてもらったことも理解しているし、見かけよりもずっと頼れる人だと思っている。


 ただ、あまり頼ってはいけないのではないか、という予感も、静かにあった。この、どこを見てもおちゃらけた様子しかない軽薄な男が、その裏にとある秘密を隠し持っているのではないか、と、


「えと、ルースさん。一つ伺ってもいいですか?」


「なに?」


「ルースさんは、どうしていつも、あんなにたくさんの女性と一緒にいるんですか?」


「愚問だな。たくさんの男に囲まれてても気色悪いだけじゃん」


 そうじゃないです。口を尖らせる。


「一人ではいられない淋しがり屋さんなんですか?」


「ああ、うん。そうだよ。俺一人だと淋しくてさ。だからティリルちゃんも、どうか俺のこと慰めてやってくれよ」


「いえ、結構です」


 ああもう、疲れるなぁ。この人はどうやったら、本音をさらけ出すんだろう。せっかく、一度ゆっくりルースと話したいと思っていて、その機会が訪れたというのに。いざとなると何から聞いたらいいのか、どうしたら彼が本音を見せてくれるのか、攻略法がろくに思いつかない。


「逆に、ティリルちゃんに一つ聞いてもいいかな」


 頭の中でぐるぐるしていると、今度はルースから質問された。


「ティリルちゃんは、今日は何しに街まで来てたの?」


 え、ええと。隠し事があるわけでもないのに、思わず口ごもってしまうのは、単純に今日を上手く表現できないから。考えた挙句、出てきた答えは「深呼吸しに」。なんだそれ、とルースにも笑われたが、自分としては随分よい表現ができたように思えたのだった。


「深呼吸が必要なくらい、学院の毎日が息苦しくなってきてたってことか。じゃあ、どう? 少しは落ち着けた?」


 ええ、はい。それは。とりあえず、頷いた。


 フォルスタ師のこと、アルセステのこと。自分の成績や、今後のこと。頭の中でぐるぐると渦を描いていた不安が、今は整理して片付けられているような感覚。決して不安そのものがなくなったわけではないが、やるしかないと腹を括れたのは確かなようだった。


「おかげさまで、ですね。ありがとうございました」


「わ、何にもしてないのにお礼言われた。どういたしまして。あ、じゃあさ」


「しませんよ」


「……まだ何にも言ってねぇよ」


 口を尖らせるルースに、けたけたと笑って返す。


 ふむ。そんな軽口を叩き合っているうちに、ひとつルースにしてみたい質問を思いついた。質問というか、先程思いつかなかった、彼の本音を聞き出すための攻略法。ひょっとしてこの質問なら、彼の本音の一部を聞き出せるのではないか。


「……あの、ルースさん。えっと、ミ――」


「ああー、遅い! 何やってたのよルース!」


 口を開いたところで、別の声が聞こえた。道沿いにあった、小さな公園。ベンチのところに一人の女性が立っている。年のくらいならティリルと同じ程だと思うが、服装や化粧具合がかなり大人びて見える。


「ごめんごめん。ちょっと野暮用でさ」


「何よ野暮用って。あっ、なに女連れで来てんのよ! さてはあんた、ルースの邪魔をしてたんでしょ!」


「あ、えっと……」


 言いがかりを付けられたが、なまじまるきり的外れでもないので、否定し辛い。多分自分がルースの足止めをしてしまったのは本当だ。


 それと、いつもだったら怒気を孕む女性の形相に委縮してしまいかねない状況だが、今日はこの、あまりと言えばあまりに想像通りのシチュエーションと、わかりやすい彼女の態度に笑みさえ零しそうになる。とても、面と向かって話をできる風ではなかった。


「いやいや。彼女はすぐそこで出会ってね。挨拶がてら、ちょっと聞きたいことがあったんで教えてもらってたんだ。今日は君とのデート。彼女とはここでお別れだよ」


「んもう、ルース! そうこなくっちゃよねぇ! ほら、あんたはもう用事終わったんでしょ。早く帰って帰って」


 大人びた女性が、まるで小さい子供のように、ティリルに向かって益体のない敵意を示してくる。かわいらしくさえ思えてしまった。


「ええ。私はこれで。ルースさん今日はありがとうございました」


 素直に挨拶する。「さっきまで一緒だった彼女さんにもよろしくお伝えくださいね」などとわざとらしい冗談を放り込んでみようかと思った。女性が逆上したら自分にも害が及びそうだったので、やめておいたが。


 午後の、ぬるみ始めた日差し。街の中へ消えていくルースと女性の背中を見送って、空を見る。


 少し、雲が出てきた。明日には曇るだろうか。まだまだ大地を濡らしそうな雲には程遠い。相変わらず、潮の匂いが濃い。それでも刻一刻と、街は違った表情を見せてくれている。


 もう少しだけこの街を見てから、帰ろう。ティリルの口許には、いつの間にか笑みが浮かんでいた。




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