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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
序章 第二節 ユリの町での買い物
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0-2-4.とても堅固で揺るがせず




「……いつ、行くの?」


 せめて、聞く。


「ナイフを買って準備は整ったから、明日には出発しようと思ってる」


「明日っ?」


 寝入り端に山火事の騒ぎを届けられても、もう少し落ち着いて対処出来たのではと思う。


「そんな急すぎるよ! どうしてそんなに突然……っ!」


「急じゃないよ。ナイフを買う金ずっと溜めてたって、さっき言ったろ。旅に出ることも、もう何年も前からずっと考えてて、少しずつ準備もしてきたんだ」


「でも……。……でも、ならどうして――っ」


「ティリルに話さずにいたのは悪かったよ。いつも、相談しなきゃって思いながらなかなか言い出せなかった。もう少し前に相談しててもきっと、ティリルは俺が出発するまでずっと落ち込んでるんじゃないかって思って。それならいっそ、直前に話した方がいいんじゃないかって思ったんだ」


「そんな、そんなこと……」


 勝手に思われても困る。いや、きっとウェルの言うとおりだったろう。例えば一週間前にこの話を聞いていたとしても、ティリルはやっぱり同じようにショックを受け、しかもそのショックを一週間ずっと引きずって、怒るとも悲しむとも淋しがるともわからない気分のまま、ろくにウェルと顔も合わせず旅立ちの日を迎えてしまっただろう。


 けれど――。だからと言って、こんな扱いに納得がいくわけでもない。長く、命を賭けた旅に出る。そんな話を旅立つ前日まで内緒にされていて、怒りが湧かぬはずがない。


 ティリルはついに、ウェルから目を逸らした。俯いて、肩を震わせて、膝の上に両拳を揃えて。様々な感情を必死になって押さえ込んだ。


「すぐ帰ってくるよ。おじさんみたく、五年も六年も待たせたりしない。だから、その、待っていてほしい。ユリの家で、母さんと待っていてほしいんだ」


 俯いていても、ウェルの真っ直ぐな視線が自分に注がれているのがわかる。今は、それが辛い。これ以上は彼の前にいるのが耐えられないと、やがてティリルは静かに悟った。


 ふと体を動かして、右手をスカートのポケットに伸ばす。


「ティリル?」


 取り出すのは財布。中身のありったけを机の上に広げて、ついでに理性のありったけで笑顔を作ってウェルに向けた。


「旅に出るんなら、ちょっとでもお金、必要でしょ? ここはいいよ、私がおごるから」


「え、……ティリル、でも――」


「ごめん。私、その、先に帰ってるね」


 言うや、立ち上がって自分の分の袋を手に抱え、ティリルはすぐさまウェルに背を向けた。


「あ、おいティリル!」


 制止の声が届くはずもない。ありったけのティリルの理性は、もう既に使い果たされていた。後はもう、溢れる涙に気付かれないよう一刻も早くウェルから、店から離れるばかりだった。


「ありがとう、ございました……」


 不穏な空気を感じたか、どこか怯えた女性店員の挨拶が、一言背中に張り付く。やはり振り向きもせずティリルは店を飛び出し、勢い町も飛び出して一目散に家へと逃げ向かった。




 ユリの町から家へと続く山道。空は俄然、白々しいくらいに青く、広い。


 涙を堪えながら走ったが、いずれまだ町が背後に見えるうちに、ティリルはその足を止めた。体力に自信がないわけではないが、町のメインストリートからの全力疾走。しかも重い荷物を抱えながらの山道では、息の限界も知れている。


 はぁはぁと息を荒げながら、口許に僅か苦笑まで浮かべながら、ティリルは自分の姿を心の中で嘲った。


 ――私、何してるんだろ。何で逃げ出したりしたんだろ。私が悪いわけじゃないのに。ウェルに怒っていたはずなのに。


 ティリルは静かにその場にしゃがみこみ、山菜やらウサギの肉やらの入った買い物袋をぎゅっと抱きしめた。


「――あ」しまった。思い出す。


 持ってきたお金のうちのいくらかは、買い物のときに使ってしまっていたのだった。『私がおごるから』なんて言ってウェルにお金を叩きつけたけど、きっとあれじゃ足りなかったろうな。


「……かっこわる」


 やはり小さく自嘲。


 今頃ウェルに何と思われているだろう、と鼻の先で小さく嗤った。


 それがきっかけ。ついにティリルは涙を堪えきれなくなって、最初は静かに、やがて大声を上げて慟哭した。わぁん、うわぁん。と、その声はまるで、山の一つや二つ飛び越えて世界中に届いてしまいそうだ。


 こんなに大声で泣くのは一体いつ以来だろう。……そうだ、父親が旅に出たときも、確か今と同じほど大きな声を上げて泣いた。


 なんだ。自分は誰かが自分の傍からいなくなる度、我慢できずにこうやって泣いているのか。あの時、もっと強くなるって、ローザおばさんやウェルや、お父さんにだって心配をかけずにすむくらい強くなるって決心したはずだったのに。


 ――あれから五年経っても私、何も成長してないんじゃない。ウェルがほんの少しの間待っててくれっていうだけで、もう立ち上がって歩くことも出来ないくらいに淋しくてたまらなくなっちゃうんじゃない。置いていかれるのが、こんなに辛くてたまらないんじゃない……。


 ティリルはいつまでも、そう言って自分のことを罵り続けた。涙はいつまでも止まらず、立ち上がることがなかなか出来なかった。




 夕飯は、ローザの得意料理であるところのウサギのシチューになった。……らしかった。


 結局ティリルは家に帰りつくなり自分の部屋に閉じこもり、ベッドに突っ伏して枕を濡らし続けた。ウェルがいつ帰ったのかも知らないし、どんな顔をして夕飯のシチューを食べていたのかもわからない。


 唯一つだけ。明日になれば、ウェルはいなくなってしまう。ティリルにわかったのは、空虚なその事実だけだった。





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