1-8-3.ネスティロイの話
「よう、どうだ? 学院生活は。少しは周りが見えてきたんじゃねぇのか?」
はたと口調を変えた宮廷魔法使――、セラード・ネスティロイが、真っ先に視線を向けた相手はティリルだった。微笑混じりに睨みつけられ、ふと体を固くしたティリルだったが、そこに怖さがあったわけではない。ただ、久々の相手に少しばかり緊張していただけだった。
「えっと、お久しぶりです、ネスティロイさん。その、おかげさまで、どうにかここの雰囲気にも慣れてきました」
「そうか? あんまりそうは見えないけどな」
言われ、目を丸くした。どういう意味か、問うことはしなかった。ただ、どこまで見透かされているのか、少し怖くなった。
「そっかティリルは、ネスティロイ先生とお知り合いなんだ」ミスティが呟く。
「はい。お城で一度だけご挨拶させて頂きました」
「そうだな、一度だけだ。最初の挨拶以来、何の相談にも来やしない。王女殿下も嘆いておられたぞ。『きっと私なんか友達とも思われてないんだ』ってな」
「そっ、そんなことっ」
口の端を上げてにやにやと笑うネスティロイ。からかわれているんだとわかりはするものの、そんな言い方をされると少々焦ってしまう。熱くなる頭をふるふると横に振り、深く、一つ深呼吸。気合を入れ直して背筋を伸ばし、改めてきびきびと口を開いた。
「そんなことありません! 王女殿下には、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございませんとお伝えください。もう少し魔法使として自信が付きましたら、必ずご挨拶に伺います」
「んン?」ネスティロイが低く唸ったが、気にしなかった。「まぁいいさ。とりあえず、学院の授業を受けて自分の実力に手応えを感じているならよし。そうでないなら、今まで以上に気合入れて勉強するんだな」
「はい。そうします。ありがとうございます」
思いの外、ネスティロイと自然に話ができている自分がいる。人見知りの激しい自分にしては、驚くべきことだった。師が自然体だから、自分もそれほど困惑せずに話ができるのだろうか。
ともあれ、自分の師への挨拶はこのくらいにしておこう。ミスティやみんなこそ、話したいことがきっといっぱいあるだろう。半歩下がって見回せば、目を輝かせているのは上級生三人だけではない。リーラもまた、この人が宮廷魔法使かと期待に両の目を見開いている。
さあどうぞ、などと自分が仕切るのは厚かましい気がして、ティリルはすっとミスティの脇に移動した。ミスティは、それで、察してくれるはずだった。
「あ、あの、私たち、ネスティロイさんのお話を拝聴したくて参りました。図々しくて申し訳ありませんが、いくつか質問などさせて頂くわけにはいきませんでしょうか?」
珍しい。ティリルはにやつきそうになる口許を、右手の平で隠した。ミスティがこんなに緊張しているなんて。しかもそんな状況で、自分は大して緊張していないなんて、多分今後も滅多にないことだろう。
もちろん、構わないと答えてくれたネスティロイに対して、まずミスティが、そしてゼルとマノンが、自己紹介とそれぞれの質問を口に出していった。その話はあまりに専門的すぎて、まるで理解が及ばなかったが、フォルスタが「それでも勉強にはなるから、きっちり聞いておくように」と言ってくれた。ダインがティリルの左肩に手を添えてくれた。
ネスティロイの話は、意外にも軽妙で聞きやすかった。話自体にはついていけないティリルも、その語り口と表情仕草、そして時折交える魔法の実演に、すっかり目を奪われた。ミスティがする質問の一つに、それはつまりと譬えるような魔法を手の平で弄ぶ。ゼルの言葉に、水の球を浮かべその中で火を灯して見せ、マノンの疑問に、手にした本を空中に浮かべ任意の文章を一行二行光らせて見せる。そしてその実演を合わせた説明が、質問した者たちの納得を強かに催しているのは、ミスティたちの誰もが、一つの質問に次の質問を重ねようとしないことで伝わってきた。全く別の質問を、また自分の番が廻って来たときに用意してはいるが、「ではこの場合は~」と回答に質問を重ねることはしない。正しく一問一答。門外漢になってしまっている自分が、少し悔しかった。
「ねぇ。ティリルは何も質問しなくていいのか?」
ゼルがふと、ティリルに発言のチャンスをくれた。だが首を振って断った。聞きたいこと、を用意するのは、完全に忘れてしまっていた。
「じゃあ、ええと、リーラは? 予科だからって遠慮することないぜ」
同じくゼルがリーラに振る。自分と同じく円卓の外だった彼女は、しかし自分とは違いキラキラと目を輝かせ、えっ、いいんですかっと声を弾ませる。「当然だろ」とゼルが答え、ミスティもマノンもにこやかに頷いた。それで、リーラの満面に笑顔が咲いた。
「じゃ、じゃあ! えっと、ネスティロイさんはバドヴィア学も研究してるって聞いてるんですが、シアラ・バドヴィアと実際に会ったことはありますか?」
「ある、と言えばある」
若干濁った表現で、それでもネスティロイは即答した。
ほんとですかあああっ!と、例によってリーラの悲鳴。キンキンと響く姦しさは、ネスティロイやフォルスタの耳に負担をかけたようだ。二人とも、露骨に耳に指を突っ込んで片目を顰めている。
「いつ、どこで会ったんですかっ? シアラ・バドヴィアってどんな感じの人だったんですかっ?」
空気を読まずにさらに声量を大きくするリーラ。まとわりつく蝿でも追い遣るように軽く小首を振ってから、面倒くさそうにネスティロイが答える。
「言っただろ。あると言えばある、って程度だって。子供の頃に、そうとは知らずに同じクラスになっただけなんだ。変な奴だなとは思ったが、それ以上印象に残っちゃいないよ。後になって、あいつがシアラ・バドヴィアだったのかって驚いたくらいさ」
「同じクラス? じゃあ、学院時代の話なんですか?」
「ああ。俺が子供の頃な、予科で一瞬だけ一緒になった。当時の宮廷魔法使だったライスワイクってジジイが、ろくに授業もしなかった癖に、そいつ拾った途端にちまちま学院に顔出すようになったんだ。どういう経緯でバドヴィアと出会ったのかは知らないが、孫でも出来たみたいなふやけた顔してたのは印象に残ってる。当のバドヴィアは俺達より二つ年上だったんだが、今まで学校に通ってなかったってことで最下級クラスから一緒にやることになった。それが、バカみたいな実力発揮して、入学後数カ月で三学年は飛び級しやがった。その上、更にちょっとしたらジジイが自分の研究室に隠すようになって、俺らは全くあいつの顔を見なくなっちまった。だからそんだけ。話をした記憶も全くないし、ああ、ただ、いつ見ても楽しそうな顔してたなってのはなんとなく覚えてるな。そんだけだ」
まくしたてるように、一気に話を終えた。多少、苛立っているようにも見える。それがリーラの勢いによるものなのか、それともバドヴィアの思い出がそうさせるのかはわからない。これまで極めて理知的に魔法理論を説明してきたその姿との印象の差が激しく、何となくそれが面白かった。
かくいうティリルも、師の思い出話に深く聞き入っていた。母の面影は、何も知らない。ネスティロイの話は、ほんの断片だったけれど、それでも幼い母に思いを馳せるに十分すぎる刺激をくれた。




