1-8-2.ミスティの学友が揃い
「あ、えっと、そちらの方は、始めましてですよね?」
額に焦燥の汗を浮かべるリーラから話題を逸らし、ティリルはもう一人の女性に話を振った。え? 私? 全員の視線が、自分の顔を指差すセミロングの彼女に集まる。
「そんな……、ティリルさんったら、私のことも忘れてしまわれたんですね……。悲しいですけど、仕方ないですよね。私なんて印象に残るような人間ではないですから」
「え、……え?」
俯き、両手で顔を覆う女性に、ティリルは心底から焦った。人の顔を覚えるのが得意だとは言わないが、大して広くない交友関係。ミスティの友人なら、まず忘れることなどないはずなのに。
「ごっ、ごめんなさい! どこでお会いしましたっけっ?」
「昨日、夢でお会いしたんです。いえミスティからお話は聞いていて、こんな方かなってイメージはあったんですが、夢の中のティリルさんよりご本人の方がずっとかわいらしい」
「…………え?」
引いた血の気が、静かに戻ってくる。
まるで冗談など言いそうにない黒髪の女性を、ミスティが、ゼルがじろりと睨みつけている。
「ああ、ティリル。この子冗談が下手なのよ。まあ、あんまり真面目に相手しないでやって」
「は、はあ……」
「もう、ミストニアったら、どうしてそんなことを言うのかしら。私はいつだってこんなに真面目なのに」
何が真面目よ、と女性の脇腹を肘で小突くミスティ。つゆと気にせず、頬に手を当て、ふるふると小首を振る女性。少し絡み辛い雰囲気の人なのかな、とティリルは内心で一歩後ずさった。
「あ、れ。あの、でも、何で私の名前を……」
「ええ、夢でお会いしましたので」
「違うでしょ。散々私から話聞いてるんだから、知ってて当然じゃない」またミスティが訂正を入れる。そして深々と溜息一つ。「話が進まないから、私から紹介しておくね。これでも一応私の研究室仲間。マノンってのよ。ま、こんなんだけど悪い奴じゃないから、よろしくしてあげて」
「マノン・ライツィハーと申します。よろしくお願い致しますね」
「あ、は、はい! よろしくお願いします! ティリル・ゼーランドです!」
からかうような言葉を一変、今度は静かに腰を曲げ、自己紹介してくれる、マノン。すっかりリズムを奪われたティリルは、しどろもどろになりながら、どうにか頭を下げて受け答えた。
そんなやり取りを、苦笑しながら見守るのはゼル。こいつらの相手は慣れてないと大変だよな、と二、三頷いてくれる。
「ちょっと。〝ら″って何よ。こいつ〝ら″って」
「ああ、いや、ほら。そ、そんなことよりさ。話しかけちゃったけど、ティリルたちどこかへ急いでたんじゃないのか? 俺たちもそろそろ行かないとだし」
「あ、ああ、そうね。ねえティリル、今忙しい?」
え、と喉から声を漏らし、徐にリーラを見た。リーラは大人しく、ティリルたちの会話が終わるのを少し距離を置いて待ってくれていた。気を使うことない、話に参加してくれればいいのに、と思う反面、参加し辛いその場の空気に共感もしていた。
「リーラさんが私と話をしに来てくれたので、お茶でも一緒に、と言っていたところです」
落ち着いて答える。マノンに乱された自分のペースを取り戻しながら。
「そっか。……ねえ、ティリル。それにリーラさんも。もし少し時間作れたら、一緒に来ない?」
「え、一緒にって――」
「お城から、宮廷魔法使のネスティロイ師が来てるそうなのよ。ひょっとしたら話が聞けるかもしれない。第一線の魔法使の話なんて、なかなか聞く機会のない貴重なものよ」
ネスティロイ師って……。聞いたことのある名前。ティリルは頭の中で、顔も朧気なその人物の正体を検索した。王陛下が難しい話をされていた、その横でふんぞり返っていたような。
「私たちの先生の情報でね、用事があって実習室にいらしてるんだって。行かない?」
訊ねられ、悩む。正直行きたい気持ちは強かった。だが、先に約束をしたのはリーラだ。彼女のことを放り出して、自分だけ付いていくわけにはいかない。
もちろん、そんなことはミスティもお見通しだった。躊躇うティリルの返事を待つ間に、今度はリーラにも顔を向け、誘いを掛けていた。
「リーラさんも、専攻は知らないけど、バドヴィアに憧れているんでしょう? ネスティロイ師はバドヴィア学も研究されているし、一緒にどう? ちょっと話を聞くだけでも参考になることはあると思うわよ」
「えっ、私もいいんですか?」
「いいって言うか、私たちも約束を取っているわけじゃないからね。断られちゃうかもしれないし、まぁそれでもよければどうかな?って話」
苦笑を頬許に浮かべながら、軽妙な口調で誘うミスティ。リーラは前のめりに、ぜひ行きたいです!と両拳を握り締める。それで決まった。リーラも行きたいと言っているのにティリルが何かに気を使う必要は、最早ない。
「よし。じゃあ、急いで行きましょ。もう帰られちゃうかもしれないし」
そう、ミスティが号令を出す頃には、既にゼルとマノンは二歩、三歩先へ歩き出していた。むしろ置いて行かれそうな勢いに、ティリルとリーラも慌てて、小走りについて行く。行く先は、第二校舎の魔法演習ホール。ラクナグの『基礎魔法演習』ではあまり使わない、実際的な操術魔法などを練習するのに使う大ホールだ。ネスティロイはそこにいると言う。
「まぁ、あくまで先生の話では、ね。ひょっとしたら他の場所に移動されてるかもしれないし」
そう言いながら、ミスティがホールの扉を開けた。
果たして、そこに師はいた。驚いたことに、ネスティロイ師と一緒にいたのはフォルスタ師、そしてダインだった。
「お? ゼーランドか。どこから聞きつけてきたんだ?」
フォルスタが目を見開いて、こちらを見つめてきた。
「先生……、先輩も」
「よく来たね! ネスティロイ先生がいらしたのがちょうどティリルの授業中だったから、呼びに行けなかったんだ」
ダインはいつもどおり、フォルスタは彼にしては柔らかな表情で、ティリルたちを招き入れてくれた。ティリルの中には「どうして彼らが?」という疑問が強かったが、他の面々の顔を眺めてみたところ、皆そこまで不思議な顔はしていなかった。
「フォルスタ先生。お久しぶりです。ネスティロイ先生とのお話の最中に申し訳ございません。私ども、当代最高峰と謳われる宮廷魔法使殿のお話を聞ける機会などそう持っていないものですから、つい向学心に負けてしまいまして」
丁寧に挨拶をしたのはマノンだった。こんなに当たり前の挨拶もできるのか、と失礼ながらそんなことに感心してしまう。
「ん、学生としては当然の姿勢だ。それに、私たちの話は終わったしな。どうだ、セラード。少し学生たちのために時間を使わないか」
「構いませんよ。それに、私自身の興味もある」
フォルスタとダインの奥。一際背の高い、赤茶色の長髪の男性が、浅い緑色のローブをまとって立っていた。ダインが場所を譲ったことで、その全身が見えた。それであの時のことを、ティリルは鮮明に思い出すことができた。




