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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第六節 不穏な影
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1-6-6.抗う心







 ミスティとは、ガルラードを食べ終わって、それから別れた。


 午後の授業は、一つ目が精霊学概論。二つ目が、四大魔法行使学。座学だが、実際に魔法を使う際の心の使い方など、魔法行使に役立つ知識を得られる授業だ。特に四時限の四大魔法行使学は、フォルスタ師の受け持つ講義。ダインも出席するはず。ミスティと別れても、不安はあまりなかった。


 だが、囲まれた。


 精霊学概論の授業が終わって、荷物をまとめ教室を移動しようとした、そのとき。


「少しお時間もらえるかしら?」


 背後から、恐れていた声が聞こえてきた。


 びくりと肩を震わせ、固まってしまう。振り返らなくてもわかる声の主。名も知らぬ三人の女性。嫌らしいしゃべり方と、人を刺すような滑らかな視線。昨日ティリルを囲んだ三人の女性だ。授業が始まったときにいた気配はなかったのに、授業が終わってから今突然教室に入って来たのだろうか。それとも、最初から見えない席に座っていたのだろうか。


 振り向き、会釈をする。目線は向けない。向けられなかった。


「あ、ええと、あの、私、次の授業もあるので――」


「そんなに時間は取らせないわ。すぐに終わること。ねえ、昨日のお話のお返事を頂けるかしら?」


 冷たい声で、黒髪の釣り目の少女が言った。昨日とまるで同じ様子。同じ口調。違うのは、ここが教室で、人がたくさんいる環境だということ。


 昨日はルースが来てくれて、それで彼女たちは逃げるようにティリルの前を去って行った。人目に付くところでこういうやり取りをするのは嫌なのかと思っていたが、そんなことはないらしい。


 申し合わせたように、教室の他の学生たちは、目線をちらほらこちらに向けつつも、決して話しかけようとも近付こうともしてこない。


「ねえ、ティリルさん。認めてくださるわよね? あなたがシアラ・バドヴィアの娘だなんて、真っ赤な嘘だって」


「それは……」


 まるで虎に睨まれた兎のように、身動きもできずただじっと震えるばかり。せめて午前中のうちに彼女らが来ていれば、きっとミスティに頼ることができただろうに。そんな風に考えてしまう自分が、ひたすら惨めで悔しい。


 ミスティがいなければ、この程度のいじめも跳ね返せないのか。ただの言掛かりに、何も言い返せず屈してしまうのか。


「……認めません。嘘では、ないですから」否。それくらいの意地は、独りでも張ってやる。「私はシアラ・バドヴィアの娘です。自分で母のことを覚えていなくても、国王陛下にそうだと証して頂きました」


 心の底を震わせながら、けれど、そのことを喉の外にまでは決して出さずに、はっきりと言ってのけた。


 空気が、凍りつく。ぴしりと音を立て、ティリルと少女たちとの間の空間に、細かく深い亀裂が走る。


「…………虚偽を重ねるばかりでは飽き足らず、国王様の御名までもを汚そうというの」


 黒髪の少女は、声の調子を変えなかった。表情もまるで変えようとしない。それでいて、今の一言には、さっきまでとは比べ物にならないほどの重く大きい敵意が込められていた。それが、伝わってきた。なにが違っていたのだろう。言い回しか、声の小ささか。震える心でそれ以上を分析することは極めて困難だった。


「そ、そんなこと……っ。私は確かに国王様に――」


「もう、いいわ」


 腕を組み、背筋を伸ばしてティリルを見下す黒髪。背後の二人、背の低い方は、ティリルが国王のことを口に出した時に一瞬だけ目を丸くし嘲笑を消して見せたものの、すぐにまたにやにやと右頬を持ち上げてにんまりと微笑んでいた。一方の背の高いショートカットは、俯き加減にこちらを見つめ、右手を頬に添えてふるふると小さく首を振った。


 三人とも、ティリルの話に聞く耳を持とうとしてはいない。そんなことは、わかりきっているつもりだった。なのに尚、彼女らに向けて弁明をしようとしてしまう。


「残念だわ。あなたとはお友達になれると思ったのに。性根が腐った嘘吐きとは、仲良くなれそうにないわね」


「な……っ」


「あなたみたいな人とは、私たちだけじゃなく、他の誰も仲良くしたいとは思わないでしょうね」


 絶句するほどの罵言。さすがに、小心のティリルですら何かを言い返してやりたいと気持ちが昂ったが、肝心の言葉が付いてこず、ただぱくぱくと口を動かすだけに終わった。


 その間に、三人は踵を返し、ティリルに背を向けてその場を離れていく。黒髪が先頭。背の低いツインテイルが二番目。最後を歩くショートカットは、ちらりと振り返り、悲しそうに眉を顰めていった。


 三人はさっさと教室を出て行った。ただその名残は、教室中にしっかりと残されていた。


 他の学生たちが、未だ遠巻きにティリルのことを見守っている。話しかけてくる者などいない。少しずつ、見なかった振りをして自分たちの会話や作業に戻る者が現れ始める。


 腫れもの扱いされているのが、感じられた。無理もない。逆の立場だったとして、多分自分も、囲まれて取り残された見ず知らずの人に、励ましの声などかけられるかはわからない。それでも、淋しかった。


 早く次の授業に移動しよう。次の授業はフォルスタ師のもの。ダインもいる。少なくとも気兼ねなく話ができる相手がいれば、気くらいは紛らわせられるだろう。


 教室の中、自分の周りだけ水と地の精霊が濃く停滞してしまったかのよう。頭が重くなるような空気を背中に担いだまま、どうにか立ち上がり移動を始めた。




 翌日は風曜日。二限の神学史の講義が休講になったと昨日のうちにフォルスタ師の研究室に連絡が入り、午前中は暇になった。


 昨日の出来事は、昨夜から朝にかけてしっかりとミスティに報告してきた。ミスティには、なんだかだで愚痴の零し甲斐がある。――何よそれ。私がその場にいたらぶん殴ってやったのに――。一緒になって、否ともすればティリル以上に憤慨してくれるその様子。話をするだけでティリルも胸の空く思いがした。


 フォルスタとダインの反応は薄い。ダインは「へえ、そんな人たちがいるんだ」くらいの感想。フォルスタに至っては、だからどうしたと言わんばかりのしかめっ面。ろくに言葉も返ってこなかった。


 確かに、授業の後の研究室の時間は、決してその日に起こったことを報告するふれあいの場ではないけれど。少しくらいの会話はあってもいいじゃないか。


 ベランダに出してある盥に魔法で水を張り、洗濯をしながらぶつぶつと文句を垂れる。ミスティが朝一番で専任教員の研究室に出かけ、思いがけず暇を持て余した留守番の自分が、天気と相談しつつ思い立った今日の家事。自分のブラウスと下着を三組ほど。ミスティのブラウスと部屋着を一枚ずつ。水を張る作業だけはティリルも魔法で行えるため、ミスティがやるよりはずっと手間がかからないが、それでも洗ったり絞ったりは手でしなければならない。なかなかの重労働だ。


 結局ハンガーにかけてベランダに干し終えるだけで午前中を費やした。フォルスタに挨拶する暇はなくなったが、今日は別に構わない。用がないわけではない、行きたくなかったのだ。




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