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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第六節 不穏な影
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1-6-2.どこかで会った青年







 知らない、男性だった。黒髪を肩口くらいまでの長さに伸ばして、それをわさわさと跳ねるようにセットしている。身長はティリルと同じくらいか。やや中性的な顔つきをしている、なかなかの美青年だった。


「あんたこそ。こんな時間にこんなところで、珍しいわね」


「お互い様だろ。今日はゼミじゃなかったのか? バドラ先生何かあったのか?」


「休講じゃないわ。私がサボっただけ。訳ありでね。あんたは? いつもだったら寝てる時間じゃないの?」


「あはは、キツイな。いくら俺だって毎日毎日午前中寝て過ごしてるわけじゃないんだぜ」


 からっとした声で笑う。それだけでティリルは、この人物に何となく好感を抱いた。話しやすそうな雰囲気は確かに醸されていたが、一番の理由は、このところ印象の悪い人物と続け様に出会ったことかもしれない。


「こいつはゼル。私と同じ本科研究生。私よりずっと大先輩らしいんだけど、留年ばっかりしてちっとも卒業しようとしないのよ。だから呼ぶときは『こいつ』で十分だからね」


 軽快な軽口の叩き合いもそこそこに、ミスティがティリルにその青年を紹介してくれた。立ち上がろうと椅子を動かしたが、ミスティとゼルとが二人がかりで「いいからそういうの」と制してきて、軽く腰を浮かせるだけに終わった。


「ミスティの言う通りコイツで十分な奴だから、立ち上がったりしなくて大丈夫。ゼル・ヴァーンナイトです。どうぞよろしく」


「あ、はい、はじめまして、よろしくお願いします」


「うん、まあ、はじめましてじゃないけどね、厳密に言うと」


 と、ぺこり頭を垂れたティリルに、ゼル青年は不思議な一言を添えた。


 はじめましてじゃない? でも、ティリルには彼の見覚えはない。ミスティも、何知り合いなの?と首を傾げていたが、いくら記憶をあさっても、思い出せることはなかった。


「あれ、忘れちゃってる? 酷いなあ。傷つくわあ」


「あ、ご、ごめんなさい。その……」


「なんて。ちょっとすれ違っただけだもんな。忘れちゃって当然だと思うよ。ほら、数週間前に、早朝、校門の近くのベンチのところで」


「え……」


「私服で散歩してたろ? 人がいるなんて思わなくってごめんなさいって謝られた」


「あ、ああ! ああ!」


 思わず大声が出た。


 確か編入してきて最初の朝だ。やけに早く目が覚めて、誰もいない早朝の学校を散歩した。その時確かに人に出会った。


「思い出しました! あの時の方だったんですね」


「なにそれぇ。そんな話全然知らないー。ゼルのくせに私の知らないところでティリルと遊んでたなんて生意気な」


 ミスティが眉間にしわを寄せる。遊んだなんて程じゃないですよ、とティリルは弁明した。ほんの少しすれ違っただけ。挨拶を交わした程度のことだった。


「ふうん、でもそれにしちゃずいぶんしっかり覚えてるのねえ。ゼルのくせに」


「俺のくせにってなんだよ。そりゃ、学内で私服の子を見かけるのも珍しかったし、あんな時間にあんな場所でってのも印象的だったし。何より、やり取りが面白かったからはっきり覚えてんだよ」


 面白いやり取りなんかしたかなぁ? 首を傾げながらゼルの話を聞いていた。面白がられた記憶は確かにうっすらとあったけれど、あの時は何と言ったのだったか。自分ではちっとも面白くなどなかったことだけは覚えている。


「しっかしあの時の子が、ミスティの友達だったなんてねぇ。どこで知り合ったの?」


「どこでって、ルームメイトよ。まあ、出会ったのは校内の道端だったけど」


「え、ルームメイトっ?」


 マジかよ、そりゃすごい偶然だなあ。ゼルが何度と感嘆しながら、じろじろとティリルを見、ミスティを見る。なんだかその様子がとてもわざとらしくて、思わず噴き出しそうになった。


「で、お名前は何て言うんだっけ?」


「あ、ああ、ごめんなさい!」


 言われて、ようやく、まだ自分が名乗っていないことに気が付いた。とんだ失態だ、と今度こそ椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がり、腰の位置まで深々と頭を下げる。


「えっと、ティリル・ゼーランドと申します。ごめんなさい名乗るのが遅くなってしまって! 本当に申し訳ありません!」


 丁寧にしようとした勢い余って、逆に相手を威嚇するほどになってしまったティリルの挨拶。その迫力に、ゼルは思わず仰け反り、微苦笑を浮かべる。ミスティも頬を小さく掻きながら、呆れ顔で目線を送っている。


 そして、しかし。そこでゼルが、声を上げた。


「……って、えっ? ティリル・ゼーランドっ? それって、バドヴィアの娘っていう、あの?」


 え、ええ、まあ……。もごもごと歯に衣を着せて聴き取りづらくしたようなくぐもり声で答える。ミスティは澄まし顔でコーヒーを飲みながら、声が大きいよと冷静に注意した。


「あ、ああ、ごめん。驚いちゃって、つい……。え、で、で? 本当なの? その、君がバドヴィアの娘だって言うの?」


 声は小さくしてくれた。だが勢いは依然激しいまま。机に両手をつき、身を乗り出して、いかにも興味津々といった表情。目をらんらんと輝かせ、憧憬にぼんやりと口を開けながら、じっとこちらを見ている。


「あ、えーと、あの、そのー。…………本当、です」


 小さな声で答える。


 恐縮する必要などない。それでも気持ちが萎縮してしまうのは、むしろ嘘をつきたくないという自分の想いの重みゆえ。ここまで来ると、そんなわけないでしょう私なんかが、とごまかしてしまえた方がずっと楽だった。ゼルには嘘をつきたくなかった。ミスティの友人というのもあったが、それよりただ彼に抱いた好感の故だ。


「やっぱそうなんだ。へぇー、そんなすごい人物が、この大学にいたなんてねえ。あ、編入してきたばっかりなんだっけ」


「ゼル。それよりあんた、何か用があってきたんじゃないの?」


 ミスティがゼルを睨みつけた、その迫力たるや、しきりに感嘆していたゼルが、腕組みを解いて姿勢を直しミスティに向き直るほど。腰に両の掌を当てて小首を傾げ、別に用があったわけじゃないよ、と眉を顰めながら言う。


「見かけたから挨拶に来ただけ。ミスティとも久しぶりだし、見たことのある子が一緒にいたからな。ま、それがかの有名なシアラ・バドヴィアの娘だなんて、ずいぶんびっくりしたけど」


 そして、何かに気付いたように、ん?と首を傾げた。




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