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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第五節 身の上が暴露されて
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1-5-6.自室の引き出しの中







「あれ。行っちゃいやんの。ひょっとして、俺邪魔した?」


 横の階段、一段ほど上から、ルースはきょとんと目を丸くしてティリルに訊ねた。ティリルはようやく肩の上に乗っかっていた重たい空気をおろし、深い溜息をひとつ。それからゆっくりとルースの顔を見、表情を緩ませた。


「いいえ、ちっとも。むしろありがとうございました」


「へえ? なんだろ。お礼言われるようなことしたのかな。あ、でも、お礼を言ってくれるんだったら、今度の休みこそ遊びに行かない?」


「え、……いえ、それはちょっと」


 息をするように誘いの言葉を向けてくる人だなぁ、と内心呆れながら、ティリルは小さく首を横に振った。えぇ、そんなに俺と遊びに行くのって嫌かなぁ、なんだか傷ついちゃうなぁ、と大して傷ついたようでもない軽い口調で、ルースは眉をへの字にする。


「それにしても、今の子たちもティリルちゃんほどじゃないけどかわいい子たちだったね。あ、じゃあさ。友達と一緒だったら良くない? 今度あの子たちも紹介してよ。それで、みんなで一緒に遊ぼう」


 いえ、それはもっと……。声になるかならないかギリギリの、掠れた声でティリルは答えた。ルースにその言葉は聞こえたのだろうか。彼はきょとんとした顔で、ただ次の言葉が紡がれるのを待っているように見えた。


 それでもティリルが黙っていると、結局焦れた様子で先に口を開くのだった。


「なに。俺みたいな怪しい男には友達も紹介できないってわけ?」


「いえ! ……違います。私、あの人たちの友達じゃないですから」


「え、違うの?」


「はい。名前も知りません」


 ふうん、そうなんだ。腰に手を当て、三人の女性が去って行った廊下の先に目をやりながら、ルースはぼんやりとした返事をした。そして、何かを考え込んでいるのだろうか。それ以上、何も言わなくなってしまった。


 沈黙に耐えきれなくなり、ティリルはその場を離れることにする。「じゃあ、私用事がありますので」というと、案外すんなりルースも手を振ってくれた。


「ああ、うん。じゃあまたね。今度は遊びに行こうね!」


「え、ええと、……いつか、きっと」


「えぇ、それ、絶対来ないいつかじゃん」


 軽口でルースと別れ、階段を駆け上る。


 胸の中が混乱して、なかなか気持ちが鎮まらない。このまま、当初の目的地であったフォルスタの研究室に行って、ゆっくり落ち着いて休憩など取れるのだろうか。疑念はあったが、他に行くところも思い当たらず、とりあえず当初の目的を遂行することにした。



 

 研究室の扉をノックしたが、応える者はおらず、扉にも鍵がかかっていた。


 そう言えば初めての経験だった。この部屋に、フォルスタもダインもいないというのは。


 そういうことがある、というのは当たり前のことなのに、今はそれがとても不安で仕方がない。逃げるように、肩を丸め、目指す先を否応なく変更した。


 無花果の生える校門方面のベンチは――。ダメだ。誰かがやってくるかもしれない。どこかの空き教室を探してみるか――。いや、いつ授業が予定されているかもわからない。あれこれと時間を潰す場所を検討するが、なかなか良い場所は見つからず、結局最後に辿り着いたのは学生寮の自室。中に入ってしまえば、きっともう今日は外に出ないだろうな、と思う行き先だった。


 鍵を開ける。自室にも、人の気配はない。ただいま、と蚊の鳴くような声を一言上げるが、やはりミスティの姿はなかった。


 自室のベッドの上に座り、サンドイッチの箱を机の上に乗せる。お腹は空いていたが、食べる気にはなれなかった。


 やはり、先程の出来事が胸の底の方にずしんとのしかかってきていた。あれほど剥き出しの敵意に当てられたのは、なかなかしたことがない経験だった。ひょっとすると、生まれて初めてかもしれない


 授業中の、あるいは授業の終わった教室の、無言の圧力もそれは疲れるものだった。加えて先程のやり取りなのだから、ティリルの心は底の底まで疲弊しきっていた。


 なんだか周りの人間が全て敵になってしまったようで、なんだか自分が素っ裸にされて教室に放り出されてしまったようで、体の震えが止まらなかった。


 やはり、昨日の男性が、そもそも自分に何かしらの敵意を持っていたのだろうか。自分を陥れるために、自分の秘密を探り出し、公衆の面前に晒してこんな状況を作り上げたのだろうか。あの三人がこんな風に動き出すことも全て計算ずくで、今頃どこかでほくそ笑んでいるのだろうか。でも、なぜそんなまだるっこしいことを……。


 考えれば考えるほど疑心暗鬼に陥り、黒く染まっていく頭の中が重苦しくて、ティリルは考えるのをやめ、勢いよく枕に顔を埋めた。


 ふと思い出し、机の引き出しを開ける。白い麻布の包み。赤いリボンが結ばれている。自宅から持ってきた、数少ない荷物の一つ。役立たせる機会など、今や全く有り得そうにないのに。


 取り出して、そっと胸に当ててみる。少しだけ、胸の鼓動が治まったような気がして、自然と笑みがこぼれた。


「……情けないなぁ」


 ぽつんと呟いた。


 ヴァニラも、フォルスタも、ダインも、ミスティも。誰もいないこの瞬間に、自分が頼るものがこの部屋にあるということが、ティリルには堪らなく情けなく、そして、暖かかった。





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