0-2-2.ウェルの買い物
「それで、どこに行くの?」
歩き始めたウェルと並んで足を動かし、聞く。
「ん。ちょっと、あっちの方に」
「……別に方角を聞いてるわけじゃないんだけど」
頬を膨らませてウェルの横顔を覗き込む。ウェルは答えない。
ガタガタと目の前の道を、牛に引かれた荷車が通り過ぎていく。
「なぁに? 言いにくいことなの?」
まだ、返事は来ない。その横顔は、何と話すべきかと随分悩んでいる様子だった。
もう少し訊ねてみるかと考えて、やめる。最初から全く話をする気がないなら、ウェルだってわざわざティリルを町に連れてきたりはしないだろう。いずれ話してくれる。そう信じて、今これ以上の詰問をするのは控えることにした。
しばらく歩いて、ようやくウェルの足が止まる。町を横断するメインストリートからひとつ裏道に入ったところ。奥に建つ、寂れた小さな刃物屋。ボロボロに色褪せた看板、傷だらけの壁、くすんだ入り口。全貌を眺めれば眺めるほど怪しげな雰囲気を匂わせる、汚らしい構えの店だった。
「……こんなお店で買い物するの?」
「ああ」
ティリルの言葉に、ようやく返事が届く。
「何買うの?」
「……」
そして、また途切れた。ウェルはそのまま黙って店の中に入っていってしまう。
「あ、ちょっと待ってよ」
後を追って小走りになる。
中は外に増して暗く、埃に塗れていた。
壁一面に掛けられているのは、様々な剣。片手で振り回せるサイズの短剣から、ティリルの丈よりもある長刀まで。真ん中に置かれたショーケースの中には、日常でも使える庖丁やペーパーナイフまで。
豊富な品揃えも、けれどあまり手入れのない内装と、そもそもの物の血腥さから冷ややかな緊張感しかもたらさない。背筋が冷たく震えるのを感じたティリルは、壁際に寄って品物を見定めているウェルの傍に駆け、怯える子供のように彼の服の裾を掴んで安堵を求めた。
「ね、ねぇ。こんなところで何を買うのよぅ? 剣ならお父さんにもらったやつがあるじゃない。それじゃ不満なの?」
「――や、剣じゃない。ナイフが欲しいんだ」
「ナイフ? ナイフだってうちにあるよ。あれ、まだまだ十分使えるよ?」
「家庭用のナイフじゃなくてさ。もっとしっかりした――」
ふっと、ウェルが背伸びをして、高いところに飾られていたナイフを一振り手に取った。柄も刃もごつくてずっしりとした見た目。かなり大き目のハンティングナイフだった。ティリルが家で握ったことのあるナイフとは、迫力も重量感もまるで違う。
「こういうのが欲しいんだ」
「わ、すごい……。これって狩りとかに使うやつだよね。初めて見たけど」
「ああ、まぁそうだな。狩りにも使えるだろうな」
鞘からナイフを抜き、刃の様子や握り具合を検分するウェル。その目はいつになく真剣で、幼馴染のティリルでさえ近寄り難く思ってしまうほど。いや、幼馴染のティリルだからこそ、か……。
「何でそんなナイフ買うの? 狩りでも始めるつもり?」
ウェルはいつも、剣の鍛錬と称して森の中で剣を握る時間を作っていた。師匠のユイスと向き合っていた幼少の頃からの習慣。だがその時間を、実際に狩りをして獣を獲るということに充てることはあまりなかった。
「そういうわけじゃないんだけど」
答えながら、ウェルはナイフの確認を終える。どうやら、品物はウェルの目に適ったらしい。ごつい見た目のナイフはウェルに大事そうに握られ、店の奥に一層埃っぽく構えられたカウンターへと運ばれる。
人の姿のないカウンター。その前に立ってウェルが「おぉい」と声をかけると、奥の部屋から店員がのっそりと現れた。
会計が淡々と済まされていく。横で見ていたティリルは、そのあっさりとしたやりとりに現実感を見い出せなくて、唖然としてしまっていた。ウェルの財布から軽々しく取り出される紙幣の束。彼はそのナイフの代価に、一万五千ランスもの大金を呆気なく店員に渡したのだった。
「……毎度ぉ」
のったりとした店員は、最後まで愛想なく受け答え、そしてまた奥の部屋へと下がっていってしまった。ウェルは買ったナイフを腰のベルトに提げ、やはり淡々と財布をポケットにしまう。そして市場での買い物の袋を背負い直すと、よし、と一仕事終えた体でようやくティリルに目を向けてきた。
「用事は終わったよ。昼飯食べに――」
「なんで?」
ぽかんと開けた口を、どうにか動かしてティリル。
「なんでそのナイフ、そんなに高いの? ……うぅん、それより、なんでウェルがそんなに高いナイフ、買えるの? それに狩りはしないって、じゃあなんで買う必要があるの?」
「いや、その……。ずっと買いたいって思っててさ。もう何年も、小遣いから少しずつ貯金してたんだ。ようやく買えるだけ、溜まったんだよ」
「や、だから、なんでそんなに欲しかったの? 私そんな話、一度も聞いてないよ」
「ん、わかってる。言わなかったしな。
……言う機会がなかったんだ。これからちゃんと説明しようと思ってるんだけど、その前に飯にしないか? 俺もちょっと腹が減ってきたよ」
腹をさすりながら微笑するウェルは、しかしまだ何かを話し渋っているような表情も垣間見せている。まだ、何かを勿体つけたがっているらしい。
ティリルにしてみればもう十分勿体つけられた。空腹も忘れるほどに頭の中も胸中もかき乱され、食事より先に説明をして欲しいというのが本音ではあったが、しかし確かにこの店の中にいつまでも居座っているのも気分の落ち着くものではない。仕方なくウェルの提案に頷き、掴んだウェルのシャツの裾をそっと手放して、薄汚い刃物屋を後にしたのだった。
前を歩くウェルの背中は、いつもと変わらない。掴んだシャツを放しても、ウェルがどこかに行ってしまうことはない。抱く不安の何と馬鹿馬鹿しいことかと、ティリルは懸命に自分の胸中を笑い飛ばそうとしていた。