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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第五節 身の上が暴露されて
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1-5-2.ヴァニラに全てを話して







「人のいるとこに行くのはやめよ。そうだ、美術室ならこの時間はきっと誰もいないから、案内しますね」


 手を引かれるままに、ティリルはヴァニラの後をついて歩いた。


 どこをどう歩いたのか分からない。


 気が付くとティリルは、見たことのない風景の中にいた。どこかの校舎の裏手。王宮に隣接する、五メトリはあろうかという高い壁のすぐ脇。古めかしい、木造の色のくすんだ小さな小屋が、そこにぽつんと建っていた。


 導かれるままに中に入る。絵具の匂いが鼻にまとわりつく。中には十に満たない程度の画架が立っており、さらにそのうちの五脚ちょっとのものには描きかけらしき絵が乗せられていた。


 普段のティリルだったら、この風景にもう少し興味を抱いたろうが、今はその余裕はなかった。


「汚いとこだけど、とりあえずそこら辺に座っていて。お茶くらい入れるから」


 そう言って、ヴァニラは奥の扉の先へ入って行った。ほどなく、戻ってくる。暖かい香茶の入ったカップを二つ、それからビスケットの乗ったお皿をひとつ、手に持ちながら。


「さっきのあの人、知り合いって感じじゃなかったですよね。誰なんだか、思い当たったりする?」


 そのお茶を、ティリルの前に置くか置かないかのタイミング。さっそくヴァニラは、気になる話を切り出してきた。まだ興奮冷めやらぬティリルは、体の震えこそ治まってはいたが、気持ちの整理は全然付いていなかった。


「あ、えと、あの、その……。全然、わからないです。全く知らない方でしたし、なぜ突然にあんなことを言われたのか……」


 ティーカップで手を温めながら、目線をお茶の表面に向ける。水面が小刻みに揺れていて、それ自体も湯気に隠れて見え辛かった。


「そもそもあれは本当の話だったの? ティリルがシアラ・バドヴィアの娘っていうのは」


「……はい。ええと、 恐らく本当なんだと思います」


「恐らく?」


 心の中の言葉が、全く加工できないまま、そのままの形で飛び出してきてしまう。


 恐らく、などとつけなければよいのに。その方が、話を混乱させずにすんなり終わらせられるのに。


「その、私、母のことをほとんど何も知らないんです。物心ついた時には父と二人暮らしでしたし、幼い頃に家の近所に越してきた幼馴染がいるんですけど、そちらも母子家庭で。私と私の父と、幼馴染とそのお母さんと、家は違いましたけど、四人で家族、みたいな感覚だったんです」


「ふうん、なるほど……。ああ、そういえばバドヴィアって戦争が終わったらすぐに行方知れずになったって話だものね」


「そうですね。父は、母のことは亡くなったとしか教えてくれませんでした。私にとっては、幼馴染のお母さんの方がもうすっかり自分にとっての母でしたし、子供心に疑問を抱かなかった事柄に、大きくなってから不思議に思うこともありませんでした。

 そして五年くらい前に、父もまた旅に出ると言い残し、どこかへ行ってしまいました。私は幼馴染の家に預けられて、今度は本当にその家の子供みたいに育てられるようになりました。幼馴染とも、まるで本当の兄妹のようにして過ごしてきました。

 父は家を出てから一度も、帰ってきたことはありません。ふた月に一度くらい、手紙を送ってくれるだけでした。他愛のないことばかり書いてあって、肝心な話は何もわからないままですけど……。でも私は、その手紙が途切れずにずっと届いてくれるから、お父さんとはずっとつながっているんだって、信じてこられたんです」


 ぽつぽつと、日記をひも解くようにゆっくりと、ティリルは自らの過去を語った。


 ここまで語る必要がないことは、わかっているつもりだった。なのに、言葉が堰を切って止まらなくなっていた。ヴァニラだから話せるのか? 自問して、さらに問う。ミスティにも話したことがないような昔話なのに?


「そうなんだ……。あ、でも、そうしたらいつ自分がバドヴィアの娘だって知ったの?」


「それは、大学に入る一週間くらい前のことです。ウェルも――、幼馴染も、旅に出てしまって、また私の周りから人がいなくなっちゃった、って思っていた頃、私の許にもお城から使いの方が来て下さって。で、私がシアラ・バドヴィアの娘だから、都の大学で魔法の勉強をしないかって言って下さって。

 それで私、ぜひ大学で勉強して立派な魔法使になりたいって思って、来たんです」


 そうなんだ……。小さく嘆息するヴァニラのその声が、なんだか遠く聞こえた。


 しばし、沈黙が流れた。温かい香茶が、手の器の中で冷めていくのを感じる。


「いろいろ聞いちゃってごめんね。ティリルがそんな複雑な事情を背負ってこの学校に来てるなんて、知らなかったから……」


「いえ、謝って頂くことじゃないですよ。私の方こそ、今まで何も話してなくてごめんなさい。あまり人に吹聴して回るようなことでもないと思ったので」


「それはそうだよね。うん、だから、聞いちゃった方がごめんだよ、やっぱり」


 謝罪のラリーが続く。その先に何かあるとは思えず、ティリルはそこで言葉を噤んだ。それよりも、あの男性が誰だったのか。そのことがティリルの心を支配し始めた。どこの誰とも知らない、初めて見る男性。それが、自分のことを知っていて、自分の名前を呼んでいた。あまつさえ、誰にも言っていないはずの、自分の秘密を知っていた。改めて考えて、不安が、恐怖に変化し始めた。


「あの人のこと考えてる?」


 ヴァニラが、質問した。なぜわかったのだろう、と首を傾げ、気が付いた。自分が自分の身体を強く抱きしめていたこと。何を考えていたかなど、ヴァニラにも筒抜けだったろう。


「なんだか怖くなっちゃって……」


「そうだよね。突然来て声かけてくなんて、ちょっと不審者だし」


「……私、どうしたらいいんだろう……」


 うーん、と、ヴァニラが唸る。その声が、少しだけティリルを安心させてくれた。


「とりあえず、いろんな授業で友達を作った方がいいかな。私もいつでも傍にいてあげられるわけじゃないし、事情を話して一緒に行動してくれる人がいると安心かも。私もなるべく、側にいてあげたいと思うけどね」


 明るい声でヴァニラは提案してくれた。指を振り、にんまりと何かを含んだ笑顔を向け。冗談めかしてティリルを安心させてくれようとしているのが伝わってきて、とてもありがたくその気持ちが沁み渡ってきたが、不安は拭えなかった。


 友達なんて、そうそう簡単に作れるものじゃない。もし作れるのなら、その人とはもう今とっくに友達になっているはずだ。


 なんとなく自分の気持ちがうわつべりしているような気がして、ティリルはお茶を一口、大きくごくんと喉を鳴らして飲んだ。胸の上の辺りに、引っかかって痛くなった。


「気を付ける……、しかないですよね」立ち上がって、私もう行きますね、と努めて明るく、笑った。「ここでこうしていてもしょうがないし、ヴァニラさんのおかげで少し落ち着けたので。午後の授業の前に一度先生の研究室に行って、今日のことを話して来ようと思います」


「ああ、そうだね。それがいいかも」


 ヴァニラも頷く。ほっこりとした微笑みでティリルを励まそうとしてくれているのがわかる。気持ちが、嬉しかった。





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