1-5-1.唐突に明かされた素性
「はい、じゃあゼーランド君。ガーランドが提唱した精霊説に則って、四大精霊の名称を挙げてみてもらえるかな?」
「あ、はい。ええと、火の精霊サランディア、水の精霊ウォーディア、風の精霊サイファ、土の精霊ノルミナです」
「よしよし。大正解! よく復習しているね」
ありがとうございます、と頭を下げて着席する。
謙遜するほどの話でもない。この先生はいつでも誰のことでも褒めちぎるのだ。
「ガーランドが命名したこの四大精霊は、元々はウェンデ王国の民間伝承に出てくる妖精の名前からとった、とされているわけだけど、ではなぜハーシア人だったガーランドがウェンデの妖精の名前を参考にしたか、ってところに、実は彼が精霊説を思いついたきっかけが隠されているんだね。これについてだけど――」
勢い付けて教師がさらにしゃべろうと息を吸った瞬間、鐘が鳴った。ゴアォン、ゴアォンと街中に響く、いつもの大音響。
「ありゃ、残念。時間になっちゃった。じゃ、続きはまた今度。みんな復習を忘れないようにね」
朗らかにそう言って、教師は足早に教室を出ていく。一際大きな鐘の音は、首都の全土に昼の刻限を告げる印。残念、などと言っている教師の口許にも、早く食堂に行かなければと浮足立った様子がはっきり刻まれていた。
苦笑しながら、ティリルはゆっくりと筆記具を片付ける。
「お腹減りましたよー。早く食堂行こう!」
隣席のヴァニラが両腕を上に伸ばして、伸びをしながらティリルに笑いかけてくる。
確認したところ、ティリルはヴァニラと週に三つほど、同じ授業を取っていた。そしてそのうち二つが昼休み前のものであり、最低でも週に二度は一緒に昼食を取る機会が作れるようになったのだった。
「はい、行きましょう。私今日、どうしてもジャガイモのポタージュが食べたくて!」
「あ、いいですね。私もそれ頼もうかな」
すっかり仲が良くなった、とティリルは感じている。少なくとも、ヴァニラの口調から少しずつ敬語が減りつつあるのは本当で、距離が縮まっているのかな。ミスティも私の敬語が嫌だって言ってたその気持ちがちょっとわかってきたな、などと考えたりもした。
ざわついた教室の中。鞄の中に物をしまい、さてそろそろ立ち上がろうというタイミング。一人の青年が、扉を開けて飛び込んできた。
「ねえ、ここにゼーランドさんっている?」
唐突に名を呼ばれて、体が固まる。身動きを止めたのは教室中の人間が同じく。ただ他の人たちは「なんだこいつは?」という訝った目付きがほとんどで、そこに緊張感はほとんど走っていなかった。
「あれ、ゼーランドさんここじゃなかった? もう行っちゃったのかな?」
「あ、は、はい。ゼーランドは私ですけど」
訳の分らぬまま、名乗る。聞かない振りをした方が安全かとも思ったが、一方で重要な伝言があるのかもしれなかったし、なによりこの男が何者なのか、知りたいと思う気持ちが強かった。
短い栗色の髪をオールバックに固め、額を広く示した、少しにやけた表情の青年。会った記憶はなかったが、どこかで知られる機会があったのだろうか。
「あ、君がそうか! へぇ、見た目普通の人なんだね」
どういう意味だろう。近付いてくる青年に対し、眉間にしわを寄せた。
ヴァニラがすっと、ティリルを庇うように男性との間に入ってくれる。怪しい奴だ、とは彼女も感じているようだ。
続く青年の言葉で、ティリルの息が止まる。
「シアラ・バドヴィアの娘なんでしょ? すっごい魔法の才能とか持ってんだよね!」
ざわっと、教室中の空気が数度冷え込んだのを感じた。
背中に、肩に、前髪に。好機の視線が突き刺さってくるのがわかる。遠巻きに、ひそひそと様子を窺う声が発せられているのが聞こえる。ミスティの助言が、頭に浮かんできた。
『あなたがバドヴィアの娘だっていう話は、誰にも言わないほうがいいと思う。無駄に注目を集めたって、絶対いいことないからさ』
たった一人のルームメイトと、直接師事している二人の師。ダインも数えたとしても、校内でそのことを伝えた相手は五人を上回らないはずなのに。
なぜ、目の前の見ず知らずの男がそのことを知っているのか。
そして、その事実が教室中に露見してしまったこれから先、どんな影響があるのか。
自分の前に立ってくれていたヴァニラは、数瞬ぽかんと立ち尽くしたのち、青年の顔とティリルの顔を交互に見、訳がわからないという表情を浮かべた。
「え、……え? あ、う……、え?」戸惑いの音が、友人の喉から漏れる。
ぞくっとした。ヴァニラに今どんな思いをさせているのか。自分に対してどんな感情を抱かれているのか。想像するのが怖かった。根拠も論拠も何もなく、ただ大事な友達を独り失ってしまうのではないか。そんな不安が、的外れに付きまとった。
「……あれ? 間違えた? ティリル・ゼーランドさんだよね? バドヴィアの娘だっていうのは、あれ嘘だったのかな?」
青年が、戸惑いながら訊ね直す。空気が読めなそうな青年だったが、さすがに教室中に走る緊張感には気付いたらしい。
「え、あ、いえ、その……、嘘ではない、はず、ですけど」
思わず答えてしまう。青年に答える義理はない。傍らにヴァニラがいなければ、嘘で切り抜ける機転も回ったかもしれない。
「わ、やっぱりそうなんだ! すげぇ。バドヴィアの娘が本当に、俺と同じ学校にいるなんて! 感動しちゃうな。ね、何か魔法使って見せてよ」
子供のように無邪気にはしゃぐ青年。周囲でざわざわとさざめき始める、同じ講義を取った者たち。彼らが呟く言葉のいちいちに、気付く様子もない。
「バドヴィアの娘? あの娘が?」
「冗談でしょ。私あの娘が行使学実習で最後まで残されてたの知ってるよ」
「うん、まともに魔法使ってるとこ、見たことないよね」
聞かなくてもよい雑言ほど、耳によく届いてしまう。
肩を震わせるティリルの様子にいち早く気づいてくれたヴァニラ。その表情が変わった。はしゃぎ回る青年の胸を右腕でぐっと押し留め、冷たく拒絶する。
「すみませんが、私たちもう行かなくちゃ。何かご用があるわけでもなさそうですし、どいて頂けますか」
あ、いや、用なら――。何かを言いかけた青年に、しかしそれ以上口を開かせず、さらに彼のことを押してティリルに顔を向ける。「行こ」と端的に。それでティリルは、金縛りから解放された。
慌てて荷物を持ち、立ち上がる。そしてヴァニラの後について、逃げるように教室を後にした。
「あ、ちょっと待ってよー。まだ話は……」
扉が閉まると同時に、青年の声は聞こえなくなる。途端に、言い知れぬ恐怖が全身を支配して、震えが止まらなくなった。思わず両腕で自分の身体を抱く。ヴァニラが、「大丈夫?」と気遣ってくれた。




