1-4-5.ミスティの昔馴染
ふと、辺りが騒々しくなった。研究棟の玄関の前、通路を避けた辺りで話をしていた二人。その騒々しさは、どうやら研究棟の中から響いてきているらしい、と気付いた。「うるさい連中がいるなぁ、どこのどいつよ」と、腕組みしながら息を吐いたミスティが、気になったのか玄関口から首を覗かせ中を見た。そして、あっと声を上げる。
「どうしたんですか?」
ティリルも中を見た。階段をゆっくりと降りてくる、六、七人の男女の集団。いや、男女と言うには割合が偏りすぎているか。背が高く顔立ちの整った、黄色に染めたツンツン髪の男性一人を囲むようにして、大人数の女性が姦しく笑ったりしゃべったりしている。
正直苦手な雰囲気なので、関わらずにやり過ごしたいな、とティリルは思った。だが、ミスティはそうは思ってくれなかったようだ。
「ちょっとルース! あんた何してんのよ」
「え、あれ、ミスティじゃん。こんなとこで会うなんて奇遇だな!」
ティリルは既に首を玄関から引っ込めていたので表情はわからなかった。ただ思ったより人懐こい、男性の低い声音が、こちらにまではっきりと聞こえる大きさで響いてきた。
「奇遇じゃないっ。早く出ていきなさい。ここは研究棟なのよ?」
「知ってるよ。それが何」
「あんたたちみたいなのがやたらめったらうるさくしてたら、迷惑でしょって言ってんの」
最初から出てくるつもりだったのだろう。階段を下りた集団は、そのまま研究棟の入り口を出、ミスティの前に屯する。これはこれで迷惑なようにも思う。
だがそもそも、青年はミスティの言っていることを本気で理解していないのか、きょとんとした顔をしたままだし、周りの女性たちは「何この女」「めんどくさっ」とこそこそ悪態をついている。何某にも、気を向ける素振りなど欠片もない。
「うるさくなんかしてねえよ。普通に話をしながら歩いてただけだって。途中誰ともすれ違わなかったし、通行の妨げになることもなかったと思うぜ」
「どうだか。自分たちのことしか見えてないんだから、わかるわけないわよ」
「酷ぇなあ、そんなことねーって? これでも一応周りには目を配ってんだ。そうでないと、かわいい女の子見逃しちゃうじゃん」
にやにやと笑いながら、そんなことを平然と言ってのける青年――、ミスティはルースと呼んだか。後ろの女性たちが、その言葉にきゃーきゃーと甲高い声を発する。曰く「なによ、これ以上まだかわいい子を探そうっていうの? その分もっと私たちを大事にしなさいよ」云々。
まるで住む世界の違う人たちの会話に、ティリルはなるべく身を丸く、小さくしていたつもりだったが。
「で、ミスティが隠してても見えちゃうわけなんだけど、そっちのかわいい子は誰さん?」
見つかった。内心で、くうんと仔犬の鳴き声のような声を上げた。
「ダメよ。この子はあんたには紹介したげない。あんたみたいな遊び人とは違って純朴な子なんだから、ちょっかい出さないであげて」
「えー、別に何もしないよ俺。ただちょっと挨拶したいだけじゃん。ねぇ、そこの子?」
「え、あ、えーと、あ、その……」
直接言葉を振られ、返答に困惑するティリル。ミスティが「相手にしなくていいのよ」と聞こえるように言ってくれるが、一体完全に無視を決め込んでしまってよいものか。それもさすがに、態度が悪すぎるのではないかと悩んでしまう。と。
「あれ、あたしこの子知ってる。実習で何にもできなくて、涙目で突っ立ってた子でしょ」
ギクン、と、背骨が鳴った。折れたかと思うような音がした。まさか同じ実習を受けている人に見つかるなんて、しかも自分が覚えられているなんて思ってもいなかった。
「なんかすごい簡単な課題だったのにこの子全然ダメで、しかも先生もこんな子にかかりっきりだから他の人たち何にも出来ないまま無駄な時間過ごしてたのよね。ほんっと迷惑だったわよ」
「え、ウソぉ。なにその自分勝手な態度」
「それ先生に贔屓されてんじゃないの?」
ぼそぼそと、あからさまに聞こえる声で雑言を飛ばしてくる女性たち。ミスティがティリルを守るように立ち、何かを言ってくれようとしたが、なんとルースが口を開くのが先だった。
「まぁまぁ君たち。言いたいことがあるのはわかったけど、彼女みたいな子にももっと優しくしてあげられるくらい、君たちはいい女だろ? その美しい笑顔で、『がんばってね』って励ましてあげようよ」
えー、ルースがそう言うんなら……。もう、ルースはほんとに優しいなぁ。間断なく降りかかる黄色い援護射撃。
「えっと、君、えーっと、その名前くらい聞かせてもらってもいいかな?」
「え、あ、えっと、ティリル、です。ティリル・ゼーランド……」
「ティリルちゃんか。かわいらしい名前だね。ね、今度の闇曜、遊びに行かない?」
「……え?」
「授業でうまくいかなかったって彼女たちが言ってたけど、たまにはそんなこともあるだろうしさ。みんなで遊んで、嫌なことぱあーっと忘れて、また頑張ればいいんだよ、ね」
「あ、えっと、その、え……」
えー、なによルース、そんな子誘うのぉ? 背景の声が俄かに気色ばむ。ルースが鈍感なのか、わかっていて気にしていないのか、彼女らの不満の視線はティリルの顔に集められている。
困惑するティリルのことを、またしても守ってくれるミスティ。
「ふざけてんじゃないわよ。ティリルをあんたの女遊びに巻き込まないで!」
「は? 女遊びとか? そんなつもりじゃねぇよ。単にみんなで遊んだ方が気分転換になるよって誘ってるだけじゃんか」
「じゃああんた、おんなじように悩んでる男がいたら、そうやって誘ってあげるわけ?」
「冗談。男に優しくして何になるんだよ」
堂々とした物言い。思わず、きょとんと目を丸くしてしまう。
風貌に似合わず穏やかそうな口調と態度で、その実、その内面のなんと軽薄なことか。遊び人然とした風貌そのままではないか。
「別にミスティを誘ってるわけじゃないんだし、俺はぜひティリルさんから返事を聞きたいな」
「……はぁ。あんたホント面倒な男ね。いいからティリル、断ってやって」
「あ、う、うん。えっと、その、お誘いは有難いのですが、今回は私は――」
「えー」
ほぼミスティが言わせてんじゃん、と口を尖らせつつも、それ以上しつこくはしてこない。むしろ、ほら本人がヤダって言ってんだから早く行こ、なんて後ろからルースを引っ張ろうとする女性陣に成すすべなく連れて行かれ、「じゃ、じゃあまた今度ね!」と手を振るのが精いっぱい。
きゃいきゃいと騒ぎたてながら中庭の方に向かっていった一団を見送りつつ、ティリルはどっと疲れを感じ、大きく一つ溜息をついた。
「ごめんね。あのバカが変なこと言ってて。悪いヤツじゃないんだけど、なんて言うかバカなのよね」
「あ、いえいえ」
ミスティが謝ることじゃないですよ。あははと笑いを添えながら、答える。答えながらふと、「友達なの?」と聞いてみた。
「友達、ってか、腐れ縁ていうか……。同期だから、入学したての頃はよく話したりしてたんだけど、前はあんなじゃなかったんだけどね。なんか最近は勉強もろくにしないでひたすら遊び回ってるみたい。ホントどうしようもないんだ」
ふうん、と頷いた。
ティリルにとってのウェルのような存在か。もう少し希薄で、距離を置いた友達だろうか。ウェルが突然あんな風になったらちょっと嫌だなぁ、と何となく思った。




