1-4-4.沈んだ気持ちはなかなか浮かばず
翌日は、午前中の授業はない。フォルスタ師の研究室を訪れたティリルは、さっそく師に、昨日の復習を言い渡された。
「ラクナグ先生は無骨だが、基礎魔法実習の第一人者でその実力は確かだ。お前がもし本当に第一線の魔法使になることを望むなら、彼から基礎を学ぶことは不可欠だろう」
ティリルは、沈黙で答えた。理屈はわかるが、感情がラクナグ師を、あの授業を拒んでいた。
「……私、人並み程度にも魔法を使うことができなくて……。自分にシアラ・バドヴィアの血が流れていると聞いて、ここで勉強をすればそれなりの魔法使になることができるかと期待していたんですが……。やっぱり、無理なんでしょうか」
「お前がどれだけの勉強をした。まだ何もしていないだろうが」
言葉を詰まらせた。確かにそうだ。たかだか一週間、まだろくに行使学の修練を行ったわけではない。そもそもその修練の方法もわかっていない。
「ですが、あの厳しい先生の許で私、やっていく自信が……」
「とりあえず、昨日言われた課題をもう一度やってみろ。私も見てやろう」
わかりました……、と力なく呟く。そして念じる、氷の召喚。
「――精霊さん、お願いします。私の掌に、氷の欠片をください――」
いつものように、小声で、口の端に囁く。
器のように広げた両の手に、雨粒ほどの小さな氷がひとつ、浮かび上がった。しかしそんなものは、手の平の熱ですぐに溶けてしまう。何度も繰り返し試してみたが、結果は全て同じだった。
「昨日も同様だったのか?」
「……はい」
ふむぅ、と皺の寄った額をさらに歪ませて、フォルスタが息を深く吐いた。椅子に座ってじっくりと、ぎょろついた目でティリルの両手の器を見詰めている。なんと言われるのか、緊張して待った。なかなか言葉がもらえず、自然、体がどんどんと強張っていく。
不意にその緊張を破ったのは、背後からの声。
「問題があるようには見えないけどなぁ」
「ふぇっ?」
突然のことに驚き、飛び上がって振り向く。誰もいないと思っていたそこには、いつ入ってきたのか、ダインが腕組みをしながら立っていた。
「ああ、驚かしちゃってごめん。ティリルが真剣に魔法を使ってたから、邪魔しないように静かにしてたんだけど。でも、別に何も、気になるところはなかったなぁ。ねぇ、先生?」
そ、そうですか……、と声を震わせながら俯くティリル。まだばくばく言っている心臓をゆっくりと抑え込みながら、ダインの表情を怖々覗き込む。
「うーん……、でも、何も問題がないとなると、やっぱり才能が原因なのかなぁ。バドヴィアの才を受け継いでいないのか、あるいは……」
「ダイン。黙れ」不意に、フォルスタが冷たい声を響かせた。ティリルの方が背筋を凍らせてしまいそうな、緊張感の漂う声。一方でダインはまるで堪えた様子がなく、軽い調子で「失礼しました」と、頭を撫でながら苦笑いした。
「ひとまずはダインの言う通り、やり方に問題はなさそうだ。ただ、ひとつ気がかりなことはある。ひょっとしたら、というレベルだが……。その話はラグナク先生に伝えておくから、一度師にも実習外の時間でしっかりと見て頂いた方がいいだろうな。師の研究室に行って、お前自身からも話をしてきなさい」
「え、……あ、は、はい」
一人、何かに合点を得た、と言いたげなフォルスタ。だがその内容を教えてくれる様子はないようだ。憂鬱になる。その上、またあの厳しいラクナグ師の許へ、個別指導を受けに行かなければいけないなんて。
いや、考え方を変えよう、とティリルは意を決する。個別指導であれば、他の人の時間を無駄にする必要はない。授業中に怒鳴られ、詰られるよりずっと良い。……かも、しれない。
「今日のお前のカリキュラムは――、午後に一つだけか。ちょうどいい、その授業が終わったらラグナク師の研究室へ行け。それまでに、私から説明しておくから」
「……はい、わかりました」
考え方を変えてみても、気分はなかなか上がらない。そしてそれを、フォルスタ師やダインに隠すことすら、今のティリルには難しかった。
午前中、講義がないのならしばらくここで本でも読んでいくかと問われたが、ティリルはそれを断った。少し、一人になって考え事をしたかった。また夕方に来ますとだけ返事をして、静かに研究室の扉を開けた。よっぽど、心配そうに自分を見つめてくれるダインの視線が、嬉しくも腹立たしかった。
とぼとぼと廊下を歩き、何度目かの溜息をつく。階段を下り、研究棟の外へ出たところで、背後から呼び止められた。外で会うのは珍しい、黒髪の優しげな笑顔が、そこにあった。
「ミスティ……」
「その様子だと、まだ落ち込んでるな。まぁ、昨日の今日でそんなにすぐに立ち直れないか」
「ミスティ、私、どうすればいいのか……」
泣きそうな声が、胸の奥からこぼれ出た。情けない声に、自分が嫌になる。
ミスティは、ぽんぽんとティリルの頭を撫でながら、
「どうもこうもないよ。今までどおり、魔法の訓練をしっかり積んでいけばいいんだよ。まずは、効率の良いやり方を覚えて、身につける。ダメなところがないかどうか、先生に聞いて確認する」
「ダメなところばかりだって言われたら……?」
「一つずつ直してく。焦ることはないでしょ? それに、ティリルはやり方がまずいって言われたわけじゃないんじゃないの?」
それは、そうだけど。その句が接げずただ黙り込むのみになってしまう。
「フォルスタ先生のところに行ってきたんじゃないの? 先生はなんて?」
「それが――」
ティリルはミスティに、今言われてきた話を伝えた。自分には意味のわからない話で、とても自信を取り戻すには至らなかったが、フォルスタは何か気付くことがあったようだった。
「なんだ。じゃあ、先生の言葉を信じればいいじゃない。ティリルにも、私にもわからないようなこと、先生なら気付けるのかもしれないんだしさ。とにかく今は何もわからない状況なんだから、言われたことをやっていけばいいのよ」
ティリルの肩に手を落とし、優しく撫でながら力強く笑い飛ばすミスティ。ティリルはまるで幼児のように、下唇を口の中に丸めこんで泣きそうな顔をして見せた。




