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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第三節 偏屈な専任教員
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1-3-5.疲れの果ての眠りへ、静かに







 二つ目の授業を終えると、時刻は四時半を過ぎた。


 それから再びフォルスタ師の研究室に向かい、今日受けた授業の反省を告げた。ティリルの話を聞き、そのノートを眺め、口を開きかけた師の表情は重苦しかった。その口を遮ったのはダイン。


「先生、今日は初日です。疲れ切った頭にこれ以上詰め込んでも効果ないですよ」


 その言葉に、フォルスタも納得したのだろう。開きかけた口から、ただ一言「そうだな。今日はゆっくり休むのが先か」とだけ漏らし、ノートを返してくれた。


 ありがとうございます、と頭を下げて研究室を出る。


 扉を閉めた瞬間、ようやく、一日が終わったと、ティリルは骨の髄から実感した。緊張の糸が切れた音が、耳の奥に響いたような気がして、思わずドアの前にへたりこんでしまった。いけない、部屋に戻るまでは、まだ気を抜いてはいけない。


 壁にもたれるようにして立ち上がり、よろよろと歩き出す。


 来た時には高々五分の道のりが、帰りはまるで峠を一つ越えなければいけない山道のように重い。ようやく帰ってきた学生寮の自分の部屋。扉を開いて中に入るや、今度こそ自分の心を完全に解き、その場に座り込んで倒れてしまった。


「お帰りー……って、ど、どうしたのティリル!」


 奥の自室から出てきたミスティが、地面に頬を押しつけて倒れているティリルの様子を見、慌てて駆け寄ってくる。


「だ、だい、だいじょぶ、です……。ただ、ちょっと気が抜けて立ち上がれなくなっちゃって……」


「え、あ、ああ。そっか。疲れが出ちゃったのね。じゃあその様子だと、一日しっかり頑張ってこられたんだ」


「あ、は、はあ。たぶん、その……」


「うんうん。まぁ、一日気を張ってれば疲れは出ちゃうよね。ほら、とりあえず立てる? ベッドまでいきなよ、後のことはいいからさ」


 ええ、そうします……。よろよろと立ちあがり、のろのろと自分の部屋に向かうティリル。ついつい敬語を使ってしまっていることに、気付いてはいたが謝る余裕もなかった。


 ミスティに見守られ、カーテンをまくって自室に入る。そこで、えっと息を飲んだ。


 簡素だった部屋。その机の上には羽ペンや黒インク、大量のノートと高価な筆記用具が揃えられている。ほとんど空っぽだった書棚には、見るからに貴重そうな、難解そうな本が並べられ、棚の半分以上を埋めてしまっていた。衣装ダンスの引き出しも、恐る恐る開いてみると、下段には制服が見て取れるだけで三、四着。それ以外のシックなドレスが、きれいに折り畳まれて数着。しっかりと収められていた。


「昼間、お城の人が来てね。とりあえず必要なものを置いていくって。足りなければまたいつでも追加を用意するからってさ」


 ぼんやりと立ち尽くすティリルに、ミスティはほいと小さな革袋を手渡した。首を傾げながら中を開いてみて、また床に倒れ込みそうになる。一千ランス紙幣が数十枚。ぱっと見ただけでもざっと五十枚近くは入っている。


「え、……こ、こんなに……?」


「へぇ。こりゃちょっとした財産ね。半年分の学費だって賄えちゃうじゃない」


 横からミスティが覗き込み、軽く息を吐く。


「あ、そ、そっか。そうですよね! これって、学費として置いていってくださったんだ! なぁんだ、そっか!」


「うんにゃ。お城の人の話じゃ、生活費として渡してほしいって。預かってほしいってさ。すごいね。毎日高いほうの食堂に通っても二割も使えないよ。こんだけの大金ぽんと置いてっちゃうんだからさ、やっぱお城の人たちってのは感覚が違うよねぇ」


 目眩がした。正直なところ、これほどの大金を前にしてあっけらかんと笑っていられるミスティの感覚も、自分とは十分にずれていると感じた。人事だから、笑っていられるのだろうか。


「……なんだかどっと疲れが出ちゃいました……」


「ああ、そうだよね。

 ま、細かいこと確認するのはまた明日にして、今日はとりあえず休みなよ。ご飯食べる? それとも寝ちゃう?」


「……すみません。ちょっと、横になります。頭痛がしてきちゃって」


「あはは、気の小さい子だねぇ」


 ま、受講初日だし、疲れるのはしょうがないやね。そう笑って、ミスティは部屋を出て行った。


「私は夜更かしするからさ。何かあったらいつでも声掛けてね」


「すみません。ありがとうござ――、あ、えっとその、ありがとう、ミスティ」


「あはははは!」


 最後に気付いて訂正した敬語。抱腹されてしまった。


 ミスティが出て行った部屋。ゆっくりと制服を脱ぎ、脱いだものを椅子の背凭れにかけた。部屋着を着るのも億劫になり、下着のまま、ベッドに潜り込む。


 一日目からこれで、自分はやっていけるのだろうか。そんな不安が、過らなかったと言えば嘘になる。だがそんな不安に心中を支配される暇もなく、ティリルはあっという間に、眠りの中に落ちて行ってしまった。




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