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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第三節 偏屈な専任教員
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1-3-4.学院生活の始まり







 午前中いっぱいは、ティリルはフォルスタの研究室で過ごした。割れたカップの始末だけでなく、零れたお茶で濡れた本を干したり、ついでにと少々部屋の片付けにまで手を出すうちに、小一時間が軽く過ぎてしまった。それでいて、ティリルのカリキュラム作成はものの十分で完成してしまった。フォルスタがなにやら書き物を始めたかと思うと、無造作にティリルに渡し、「ここに書いてある講義は受けたほうがいい」と一方的に言ってのけた。


「あ、でも、ルームメイトにも私が受けたほうがいい授業、というのを書いてもらっているんです」


 思い出したティリルは、ミスティにもらった紙をポケットから取り出し、フォルスタに手渡した。その瞬間は軽く鼻を鳴らして馬鹿にするような表情をして見せたフォルスタだったが、軽く一瞥するとすぐにその紙をティリルに返し、「いいルームメイトを持ったようだな」と呟いた。


 すぐには意味がわからなかったティリルだが、手に渡された二枚の紙をゆっくりと見比べて、その言葉が理解できた。書いてある内容が、ほぼ同じだったのだ。


「君のルームメイト氏が書いてくれたカリキュラムはほぼ完璧だ。ただ、もう一つ私が持っている講義も追加して受けておきたまえ。魔法行使学を究めるためには直截は必要のない内容かもしれないが、魔法行使の上で理解しておくべき論理学もあるのだ」


 わかりました、とティリルは素直に頷いた。


「中には僕も受けている講義があるからね。そのときはよろしく」


 ダインが微笑みかけてくれた。こちらこそよろしくお願いします。素直にそんな言葉が口から漏れた。これから踏み込む未知なる世界に、少しでも知っている人がいる部分がある。そのことがこんなにもティリルの声を明るくさせてくれるなんて、自分でも思ってもみなかった。


 もうひとつ、フォルスタに言われたことがあった。日に一度は、必ずこの研究室を訪れること。それはもちろん大丈夫です、と、特に考えることもなく即答した。


 そうして、気がつくともう昼過ぎだった。


 午後の一つ目にはさっそく、フォルスタが決めたカリキュラムに沿って受講する講義がある。ふと顔を上げたその時間は、ダインの話ではちょうど昼休みの半ば。どこかで昼食をとらねば、と慌ててティリルは研究室を出た。


「いろいろとありがとうございました……、あ、いえ。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」


 扉のところでぺこりと深く頭を下げた。フォルスタは相変わらずの顰め面で、うむとひとつ頷いただけでそれ以上の言葉はくれなかった。代わりにダインが手を振りながら、「君のカリキュラムは、フォルスタ先生が事務の方に登録してくれるからね」と付け足してくれた。大変だろうけど、これから頑張ろうね、とも。


 扉を閉め、外に出ると、隣の研究室に四〇代くらいの女性が入っていくところだった。一瞬体を固めて、とても驚いた顔でまじまじとこちらを睨めつけてくる。ティリルは、何か自分に落ち度があったかとびくびくしながら、軽く会釈して隣をすり抜けた。


 後日ダインにその話をしたところ、フォルスタの研究室に学生がいるのが信じられなかったんだろう、と笑っていた。安心半分、自分の師事した教授の人望にまた別の不安を抱いたのは、ここでは語る必要のない話。




 校庭に面した小さな出店の一つでホットサンドを買って、人通りの少ない道を探して、ベンチで簡単にお腹を満たした。ここまで出会った人たちは、フォルスタのように気難しそうな人もいなくはなかったが、とりあえず皆優しく話しやすい人たちばかりだった。だが、学校の中の全員がそうであると思えるほど、ティリルも楽観的ではない。


 そもそも、知らない人知らないことばかりの場所、というのはそれだけで恐ろしく疲れる。半分も過ぎてしまっていたはずの昼休みも、一人だと案外残りの半分を過ごすのに苦労した。サンドイッチを食べ終えて、講義が行われるという教室へ移動して椅子に座る。教室にはまだ誰もいない。窓の外に時計塔が見える。まだ昼休みは二〇分近くもあるようだ。


 ぼんやりと、時間を空費する。


 こんなところに、一人になれる場所があったとは。つい油断して、うとうととしてしまいそうになる。気合を入れようにも、手許にある文字は、ミスティとフォルスタにもらったカリキュラムの草稿のみ。これからここで行われるのは、「精霊学概論」であるらしいが、その内容がどんなものかは想像の埒外で、たとえ想像力の指先が講義の内容にいささか届いたところで、何かできることが増えるわけでもなかった。


 ぼんやりしていると、いつしか時間が過ぎる。少しずつ、教室の扉を開き中に入ってくる学生が増えていく。それでもすべての席が埋まるほどの受講者はいないようで、最前列に席を取ったティリルの隣に誰かが来ることはなかった。


 時計塔の天辺で鐘が鳴り、教授が教室に入ってきた。


 精霊学概論の教授は、四〇代程度のまだ若々しい、赤髪の男性だった。既にフォルスタの登録申請は行き届いていたようで、赤髪の教授は教室に入ってくるや、まずティリルの存在を確認し、二言三言直接に声を掛けてくれた。曰く、編入の話は聞いている。途中からの参加は楽ではないだろうが、頑張りたまえ、とか。


 優しい言葉をかけてもらえるのは嬉しかったが、教室中の注目を集めるのは背中がこそばゆい。耳の先まで熱くなるのを感じて、ティリルはそっと顔を伏せた。


 魔法行使を専攻したはずのティリルだったが、初めての大学の講義は座学だった。


 事務でもらった分厚いノートを広げ、安物の黒炭のペンで講義の内容を、教授の話を書き留め続ける。学校で授業を受けたことは今までに一度もなかったが、家で読んだ本の中には何度となく「学校」の風景描写が表れた。その真似をしている自分が、なんだかとても可笑しくて、教授が真剣に話している姿を見つめながらついニヤニヤしてしまいそうになった。


 話ははっきり言って。半分も頭に入らなかった。だがティリルのノートは気が付いたら五ページ目まで文字で埋まっていて、整理こそされていなかったが情報量では教室の中の誰のものよりも多くなっていた。


 今までに経験したこともないほどに頭をフル稼働させた負荷と、まるで本の中の世界に入り込んでしまったようなふわふわとした現実感のなさから、講義が終わるやティリルは極端な視界の狭さを実感した。それが終わったと理解するのに、数分を要したほどである。ぼんやりとしているうちに、教師は教室を後にし、学生たちも次々と荷物をまとめていった。もうとっくに鳴り終わった鐘の音が、頭の中の遠いところで暫時、がららんごろろんと鳴り響き。それもようやく鳴りやんだ頃、ティリルがやっと明るい視界を取り戻した頃には、教室には誰もいなくなっていた。


「あ、わ、私も行かなくちゃ……」


 慌てて荷物をまとめ、小走りに教室を出る。一息つく間もない、次は第二校舎の第三魔法研究室へ移動しないといけない。


 次なるカリキュラムをこなすため、ひとまずティリルは今いた校舎を出て、外の路を走り、校内図がないものか捜すことにした。





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