1-3-3.フォルスタに師事し
「その、えっと、私、昨日編入してきたばかりなんです。だから、手続きとかまだよくわかっていなくって……。ルームメイトに教えてもらって、今日やらなければならないことをどうにか頭に詰め込んでいるところなんですけれど……」
「編入? こんな時期にか?」
「は、はい。その、先日、国王様からお話を頂いて、私をこの学校に推薦してくださると言ってくださったので、それで――」
「……王陛下の?」
ようやく、フォルスタの手が止まった。徐に顔を上げ、ティリルの顔を改めて睨めつけて、ふむと眉を顰める。
「不思議な話だな。一体王陛下は、あんたのどこにそんな価値を見出したというんだね?」
「それは……」
ぎろり、と、蛙のような目で睨視してくるフォルスタ。
言うべきか、逡巡する。だが言わずにいられる話ではない。目の前の男を、師と仰ぐつもりなら当然だ。
「国王様が私を推薦してくださったのは、私がシアラ・バドヴィアの娘だから、ということでした」
「なんだとっ?」
ばん、と机を両手で叩いて、フォルスタが跳ね起きた。積んであった本の山が崩れ、カップが床に落ちて割れた。だが、そんな瑣末事は目の端にも入らないらしい。脇に侍っていた青年も、もはや呆然とティリルのことを見つめ、師の動転ぶりにも気が回らないようだ。
「それは本当なのか。お前は本当に、あの伝説の魔法使、シアラ・バドヴィアの血を引いている、というのか……?」
震える声で、フォルスタが問うた。
ティリルの中の答えは、いまだに形を変えていない。
「本当かどうかは、私にもわかりません。私には、母の記憶はないんです。ただ、国王様にはっきりとそう言って頂いて、その言葉を信じて自分を試してみようと思ったんです。それで、国王様のご厚意に甘え、ここに編入してきたんです」
「お母上の記憶が、ない?」
青年が言葉を発した。口からこぼれ出た疑念には、幼少に片親を失くした少女に気遣う余裕は、見当たらなかった。
「いや、バドヴィアの失踪時期を考えれば、辻褄は合っている……。彼女が歴史の表舞台から姿を消したのが、およそ十五年前。失礼だが、その頃君は三つ、四つほども年を数えていなかっただろう?」
「え、あ、私ですか? はい。年は十六です」
「うむ。それに、すぐに気付かなかった私も迂闊だった。明確な記録があるわけではないが、バドヴィアは先の戦争の終盤で、敵同士として怪盗ゼーランドと出会っている」
机の上に握った拳を静かに震わせながら、フォルスタはぶつぶつと記憶を手繰ってゆく。怪盗? 誰のことだろう。父の親戚だろうか。
「なるほど、わかった。君がバドヴィアのご息女だというのは、証拠はないにしても実しやかな話だというわけだな。それは、事情も知らずに無礼な態度をとってしまったのは私の方だったようだな。申し訳なかった。謹んで謝罪しよう」
「え、いえ、そんな。謝って頂くようなことは……」
「それで、改めて問おう、ティリル・ゼーランド君。君はこれから私の元で、魔法行使学の修練に励んでくれるというのかね」
「はい。それはもう。それをお願いしたくてこちらに伺ったんですから」
「学問に対する篤い姿勢を、見せてくれるんだろうね」
「も、もちろんです!」
問われ、背筋が伸びてしまう。
ようやくフォルスタの視線を自分に向けさせることができて、満足半分。この先に彼が見せる厳しさこそ本物だ、と身震いしてしまう。
「よかったじゃないですか、先生。やる気のある学生が来てくれて。
いやね、君。さっきまではフォルスタ先生の冷たい態度に驚いたと思うんだけど、あれは先生の悪い癖なんで、気にしないであげてね。このところやる気のない学生が多すぎるって言って、ああやって意地悪して追い返しちゃうんだ」
フォルスタとティリルの会話に区切りがつくのを待っていた、とばかりに、青年がゆっくりとティリルに歩み寄ってきた。本当にゆっくりと、床の本たちを避け、跨ぎ、ときに崩しながら。そして目の前まで来て、今度はさあと、今来た道をティリルを連れて戻ろうとする。
「あ、そう言えば自己紹介が遅れたね。僕は、ダイン・ベルトゥード。さっきも言ったけど、フォルスタ先生の助手で、先生の唯一の専属学生なんだ。今日から、唯一じゃなくなったけどね」
はははと朗らかに笑うダイン。厳しそうなフォルスタ師に比べ、先輩であるダインは随分と懐っこい。だが、その明るい笑いに笑顔を返す余裕が、ティリルにはなかった。なにせ一面の本の海。ダインが露払いをしてくれているとはいえ、なるべく傷つけないように歩こうと思うと、どうしても神経を使わざるを得ない。
「あ、そこ、カップが割れてるから気をつけてね」気付いていたなら片づければいいのに、と思いながら、ようやくティリルはフォルスタ師の脇に辿り着く。いろいろな意味で、ずいぶん長い道のりだった気がした。
「では改めて、よろしく、ゼーランド殿」
フォルスタが立ち上がり、自分の方を見、右手を差し出してくれた。
「あ、はい! こちらこそよろしくお願いします!」
その手を握り返す。立ち上がったフォルスタは小柄で、ティリルよりもう幾分背が低く、痩せてもいた。ただ、やはりそのぎょろついた目付きから受ける厳めしい印象が、どうにもティリルの肩を強張らせた。
「では、さっそく君のカリキュラムを作成するとしよう」
「は、はい!」
ここに来て、最高潮の緊張。びしっと背筋が伸びる音が聞こえた気がする。
フォルスタは一歩、体の向きを変えようと足を上げ、足許でパキリと音を立てた何かに気付くそぶりを見せ、徐に。
「……カップの破片を片付けてから、君のカリキュラムを作成するとしよう」
そう、溜息をついた。




