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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第二節 そして魔法大学院へ
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1-2-7.初日が静かに終わり






 それから、急に彼女は真面目な顔つきになって、途端に声を潜めた。右手の人差し指を立て、ティリルの注意を集めて。


「でもね。ひとつだけ注意しておくと、あなたがバドヴィアの娘だっていう話は、誰にも言わないほうがいいと思うの」


「あ、は、はい! それはもう!」


 吹聴する気など元よりティリルにもない。口を滑らせてしまう恐れについては今以上しっかりと気を引き締めなければいけないが、一度した失敗、次からは覚悟も変わってくる。


「わかってます。私だけ特別扱いだなんて、他の人にいいことじゃありませんし」


「え? あ、そういう意味じゃないよ。成績がよかったり、将来有望な学生が、奨学金をもらったり試験を免除されたりするのは当たり前のことだもん。そうじゃなくてさ、私が気にしてるのは、バカな連中が集まってきちゃうってことなの。バドヴィアの娘ってことでティリルのことを珍しがったり、騒ぎ立てたり。きっとすごい魔法が使えるんだろうって勝手に期待してきたり、全然大したことないじゃんって悪口叩いてきたり。無駄に注目を集めたって、絶対いいことないからさ」


 ふんふん、とティリルは真剣な眼差しで構え、ミスティの話に頷き続けた。そうか、そういうことも考えなければいけないのかと、改めて自分の目に鱗が張り付いていたことに気がつく。


 周りに人が大勢いる、ということは、それだけ考えを向けなければいけないこともたくさんあるんだということ。まだまだ自分が、この大都市の中央に建つ大きな魔法大学で生活を送っていける自信を持てていなかった。


 二人して、目の前の皿をきれいにし、それからしばらくもお互いの身の上を話し合い、笑い合うことに時間を割いた。食後の香茶も安くない値段。遠慮はしたのだが、「いいよ、今日くらいは私がおごるよ。お近づきの印にね」と結局ミスティに押し切られて払ってもらうことになってしまった。少しだけ気まずく、けれど本当は、体が震え出しそうなくらいに嬉しかった。




 部屋に帰ってからも、ティリルはミスティとたくさんのことを話した。こんなに、一遍に人と言葉を交わすのは初めてではないかと思えるくらい、口を動かし表情を動かした。


 それから、少しだけ学校のことを話した。まずは明日、ティリルがすべきこと。自分の研究を進める上で、第一に師事する専任教授を選び、挨拶をすること。それから、自分が受ける授業を選びスケジュールを組み立てること。色々なことが決められたら、今度はそれを事務に届け登録しないといけないこと。


 ミスティはそのひと通りを丁寧に、且つ簡潔に話してくれたのだが、結局そのいちいちに実感を持てずにいるティリルの気持ちも、理解してくれているようだった。


「とりあえず、明日の授業の中で行使学専攻の人にオススメのやつ、いくつか紹介しとくね。他のことはまた明日にしよ。今日はもう疲れてるでしょうし、休んだ方がいいよ」


 その言葉に甘えて、ティリルは早々に、カーテンで仕切られただけの自分の部屋に下がることにした。


 自分に使える数少ない魔法のひとつで、備え付けのランプに火を灯し小さく部屋を照らす。


 空っぽの本棚。年代物の傷だらけの机。くたびれた布団のベッド。欅の木で出来た洋服ダンス。最低限のものしかそこにはなかったが、ティリルが生活していくには十分すぎる調度だった。


 僅かな荷を解く。持ってきた洋服を広げ、白い室内用のワンピースに着替える。


 脱いだブラウスとスカート、それからケープをタンスの中に。お気に入りの三冊の本と、父からの手紙の束を本棚に。事務員に渡された冊子を机の上に。そして、ウェルに渡しそびれたままのプレゼントの包みを、大切に机の引き出しにしまう。


 荷ほどきはものの五分で完了してしまう。味気ない、といえば味気ない。しかし新生活の興奮を感じるには十分な空間。ティリルはうんと満足げに頷いて、それからふと机に向かってみた。


 青い背表紙のノートを開いてみる。恐る恐る黒炭ペンを削り、一ページ目に自分の名前を書いてみた。読書家の父のおかげで文字の読み書きは一応覚えているティリルだったが、それでも紙などまだまだ安価ではなく、自分の手で文字を書く機会などほとんどなかった。


 自分の書いた自分の名前が、歪に紙面に躍っている。このままこのノート一冊、自由に自分の文字が書ける。鳥肌が止まらないほどの感動だった。


 高揚を抑えながら一つ深呼吸。静かにペンを置き、ノートを閉じた。胸の高鳴りを負担に感じ始め、もう寝ようと言い聞かせる。


 ゆっくりと立ち上がり、リビングに移動してすぐ隣の部屋を覗き込む。ミスティは机に向かい、何やら分厚い本を開きながら紙に書き物をしていた。魔法学の論理研究を専攻していると聞いた。その研究作業だろうか。邪魔をしないように口だけ動かして、「おやすみなさい」と伝える。


 そして自分の部屋に戻り、ベッドの上、静かに自分の草臥れた体を横たえた。胸の高鳴りは、想外に、五分もせずに静かになった。





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