1-27-5.リーラの反省会
自室に戻ると、昼だというのに随分暗かった。
リーラさん。呼びかけるとどだんと大きな音がして、カーテンで区切られた部屋から転がるようにリーラが出てきた。
「ティ、ティリルせんぱぁい……」
泣き腫らした赤い目にもう一度たっぷりと涙を溜め、床に膝を付きながらリーラが抱き着いてきた。ちょうどティリルの腿の辺り。ぐしぐしと押し付けられる顔が、どうにもくすぐったい。
「リ、リーラさん、どうしたんですかっ」
「よ、よか……、よがった……、ですぅっ」
しゃくりをあげ、うまく言葉を紡げずに、それでも必死に喜びを伝えようとしてくれる。何をそんなに感激しているのか、ティリルにはすぐにはわからなかったが、直情過ぎるリーラの動作と表情には思わず頬を緩めてしまう。何が何だかはわからぬままに、取るものも取りあえずティリルはリーラの頭を撫でてやった。
「ごめ、……ごめんなさい。せんぱい、私が、あんな薬を飲ませたから……」
「謝ることないですよ」
幼子のように泣きじゃくるルームメイトに、ティリルは優しく声をかける。
「リーラさんが、私のことを考えて、それでああ言ってくれたんでしょう? 結果的にリーラさんは騙されたのかもしれませんけど、結果的に私は何ともない。怪我もしませんでしたし、アルセステさんにも勝てましたし、今も魔法が使えます」
リーラの肩を抱いていた左手をそっと持ち上げ、手の平に念を向ける。小さな氷の塊が、きらりきらりと肌の上を転がった。目が覚めてから初めて使った魔法。それでも、精霊が答えてくれるという確信めいた自信があった。
結局大会の前と、自分が使える魔法の威力は大きく変化していない。アルセステを破った最後の魔法も、もう一度やれと言われたら、きっとできない。だが、それでも。ティリルは、確かに自分の中に魔法の才が眠っていると確信を持つことができた。人からもらった名声が、今は未熟でも、確かに胸を張ってよいものだと受け止めることができた。
だからそれを、リーラに伝えたかった。
「リーラさん。私、あなたにも、みんなにも感謝してるんです。あの人は、昨日、あの試合で私を殺すつもりだったのかもしれません。みんなの協力がなかったら、私は今、こうして生きていなかったかもしれません。再起不能の大怪我を負わされたかもしれませんし、あるいはなけなしの魔法も奪われて、学院にいる資格も奪われて追い出されていたかもしれません。
リーラさん。私、みんながいて、一緒に戦ってくれたから、今自分がここでこうして立っていられるんだって思ってます。そのみんなには、リーラさんもちゃんと入ってるんです」
手の平の氷をしゅわりと蒸発させ、両手でリーラの肩を抱き、そっと自分の体からリーラを引き剥がした。まだ涙の乾かぬリーラと、目線を合わせようとしゃがみ込む。正面から向き合って、ぐしゃぐしゃの顔と向かい合って、そして、伝える。
「ありがとうございます。リーラさん」
途端、ぼんやりとティリルの顔を見つめ返していたあどけない涙顔が、またぞろくしゃりと歪んで濡れた。
うわぁん、と、顔の高さが同じくなった後輩が、ティリルの首に手をかけて抱き着きながら泣きじゃくる。ぽんぽんと背中を叩いて慰めるティリル。妹どころか、身近に年下の友人もいたことのなかったティリルは、こうやって、自分に甘えてくれる相手をあやすのは、ひょっとしたら人生で初めてのことかもしれない。
小さな背中が、とても愛おしかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
ようやく少し落ち着いたリーラ。泣き止んで、やっと開いた口で、まだまだひたすらに謝る。
「……あんな奴にもらったものを、少しだって信用しちゃいけなかったのに。そもそもあんな奴から何かを受け取ること自体、しちゃいけないことだったのに……」
「いいんですよ。もういいんです。気にしないでください。リーラさんは何も悪くないんです。悪いことを企んでいたのは全部アルセステさんだったんですから」
「でも、でも……」
今度はリーラが、ティリルから体を離し、目の合う距離に顔を置いた。赤い目がとても赤く、腫れぼったく、一体昨夜からどれ程泣いてくれたのかと心配になるほど。
「私、本当に迂闊でした。先輩にこんなに優しい言葉をかけてもらう資格ない。下手したら、先輩のこと死なせちゃってたかもしれないんですもん。私、もうティリル先輩の傍にいる資格ない。ティリル先輩にやさしくしてもらう資格、ないんです」
「そんなこと言わないで!」
自然に、声が跳ねた。まるでリーラを叱りつけるように、自分の喉を飛び出した言葉。リーラがぴたりと表情を止め、跫音に襲われた鼠のように、不安げにじっとティリルを見つめた。
ティリルは一つ、決意をした。
「リーラさん。……ううん、リーラ。私、あなたのこと大好きよ。嘘じゃない、ホントのこと」
リーラの泣き顔が、ほんのりと喜色を帯び始める。
「あなたに出会えたこと、この学院に来てよかったことの中でも、とりわけ大きなことだって思ってるわ。ミスティと離れて、最初は悲しかったけど、代わりのルームメイトがあなただったから淋しさもそれほど大きくなかったんだと思う。あなたはいつも私に大きな好意をくれて、たまにそれが大きすぎて私も困っちゃうこともあったけど、そういうのも合わせて全部、とっても大切な日々だったわ。そしてそれは、これからもずっと続くって信じてるの。
ねぇ、リーラ。私アルセステさんにはいろんなものを奪われたって思ってるの。大好きだった先生も。友達が心血注いだ作品も、その作品に向けた友達の努力も。せっかく、ようやくあの人に勝ったって、私今とっても喜んでいるのに、これ以上あの人に何か奪われたくない。これ以上何かを奪わせるなんて、絶対許せないし認めたくないの。
ねぇ、リーラ。お願い。これからも、私と一緒にいて。私と遊んで、私を困らせて。どうか、お願いします」
まっすぐに彼女の目を見つめる。
思い出すのは、ヴァニラの絵が燃えた夜。自分を責めていたティリルの心に、ミスティの言葉がとても沁みた。同じように、ティリルもリーラを救いたい。自分を責めるリーラに、今度はティリルが「必要だ」と言ってあげるのだ、そう考えて、口調を変えた。
「ティリル、先輩……」
「もうすぐ冬休みでしょ? お互いおうちに帰る前に、また一日くらい、街へ遊びに行こうよ。みんなで一緒も楽しいかもしれない。リーラさんがいないとつまんないよ」
笑いかけると、何度目か、リーラの顔がまたしてもくしゃくしゃに歪んだ。
瞳から涙が溢れ、堪え切れないとやがて激しく嗚咽する。けれど、口許は、嬉しそうな笑みも湛えていた。
きっと伝わった。何度目かの涙を受け止め、胸を貸しながら頭を優しく撫でてやりながら、そんな安堵が胸の裡を覆っていった。
昼の鐘が、部屋の外、鳴り響く。皆はまだ食堂にいるのだろうか。今度はリーラも交えて昨日の話をしたいなと、ティリルはなんとなく思ったのだった。




