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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第二十六節 第62回サリア魔法大学院習得技識披露大会
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1-26 断節 ルース・デルサンク(後)







 ――と。


「……ンだとっ?」


 ルースの一番近くにあった風船が一つ、強烈な雨に打たれひしゃげて地に落ちた。


 雨、と呼ぶべきか。風船一つ分の面積だけを埋める、文字通り『バケツをひっくり返したような』滝のような水。それが、量にしたらバケツ十杯分ほどか。もっとか。二秒近くは落ち続けていたように感じる。


 その奥で、アルセステの口許が蠢くのが見えた。


「ちッ」


 不意を打てるなど、思い上がりということか。


 しかし、わざと風船を壊すなど、一体何の意味があるのか。意図がわからず、ルースは金縛りに遭ったように身動きを忘れてしまう。


 と。


 広がった水溜まりから、ぷくりぷくりと土の泡が膨らむ。まるで水が沸騰するように。


「……っ! 嘘だろっ!」


 パパパンッ!と弾ける音が連なり、泥の球がルースめがけて飛んでくる。


 風を操り、弾丸を左に逸らす。一方で自分は右へ跳び、地面に身を投げた。


 一回転してどうにか足の裏を地に。


 だがそのルースを追い詰めるように、今度は風船を二つ、点火し燃え上がらせながら、風を操りルースに向かって突進させた。


 襲い掛かってくる炎の塊を、これもまた必死に体勢を整え、後ろに跳んで避けた。


「おいおいっ、この試合は風船の取り合いだぞ! 風船潰しながら相手を攻撃って、スタイル荒み過ぎじゃねーかっ?」


 声量に気遣わず文句を吐き捨てるルース。アルセステにも聞こえただろうが、ゆらり背を伸ばし不敵に笑む彼女は、反応を一切示さない。


「ったく。こりゃさっさと決めた方がいいな」


 片膝を突き、腰を落とした姿勢。


 目前には燃える風船の残骸。


 少し離れて、大きな泥溜まり。


 フィールドが少しずつ、アルセステの意に従って作り変えられている。


 風船の残りは八。うちの五つがアルセステ側の陣に浮かんでいる。一つは中央の境界線上。ルースの側に、生きた風船は二つしかない。


「見とけよ、はあっ!」


 攻守交代。


 元よりチンタラ遊ぶつもりなどなかったが、この女を相手に不用意に時間をかけるのは危険極まる。一気に勝負をつけるつもりだ。


 操るは上空。試合開始直後から練っていた、冷たい空気の渦。


 実行委員が校庭を覆う形で張っている温暖魔法の外郭を破ると、冷たい空気が支えを失うように試合場に降ってくる。


 少しだけ軌道を整え、降ってくる冷気の塊をアルセステにぶつける。瞬間的な突風で彼女の動きを止め、また、その分で波紋のように周囲に広がる暖気の流れを使い、残る風船を掻き集める作戦だった。


 降ってきた冷気が、舞台を揺るがす。


 審判や、背後のマノンが風に反応する。一部の観客たちも、顔を腕で守ったり、身の回りのものが飛ばされないように荷物を抱え込んだりしている。


 何、彼らにまず吹きかかるのは弾かれた暖気。上空の冬の冷気を一身に受けるアルセステに比べれば、春の風を受ける程度のものだ。


「はっはぁ、派手にしすぎちゃったかな」


 巻き上がる砂塵。


 その中央で、アルセステは冷気に凍えているに違いない。


 吹き飛ぶ風船を、空気の流れを微調整しながら集め、七つまでを自分の脇に寄せた時、胸にあった小さな違和感が、危機感に変わった。


「は? ……嘘だろ」


 まるで陽炎が見える程。


 アルセステの体は、冷気から彼女を守るような熱気に包まれていた。


 ほんの数秒耐えればよいだけ、とはいえこの熱量は異常だ。生半可の気圧では、冷気の塊に押し潰され霧散してしまうはず。


 まるで鎧のように魔法の空気を纏うその姿。彼女の実力の高さを物語っていた。


 ――いや。本当に実力なのか?


 疑念が過ぎる。その不意を突くように、目の前の泥が再び泡立ち始めた。


「ルースさんっ!」


 マノンの声が耳を揺する。


 気付くのが遅れた。しまったと。目を瞠ったときには既に遅く。弾けるような音が八回、パパパパ……と鳴り響いた。


 七つが正確に風船を撃ち抜き、八つ目がルースの腹に的中した。


 呼吸が止まる衝撃。


 嘔吐などする余裕もなく、胃の中身が直接押し出されるような鋭い圧迫感。


 辛うじて、僅かに唾液を吐き出す程度で済んだが、眩暈と痛みはどうにかなるものではなく、その場に蹲ってしまった。


「あぁ寒かったわ。ホント、酷い試合だったわね」


 アルセステが口を開いた。


 唯一残った風船を、悠々と微風など遊ばせながら、自陣に運んでいく。


 その作業は風に任せ、本人はゆるりと歩を進めて、這い蹲るルースの前にやってくる。


 一つ残った風船がアルセステの得点領域に到達し、審判が試合の結果を告げた。


 歓声が、沸いた。


「全く。随分なタイミングでの反旗だったわね。私もつい慌ててしまったわ」


 歓声の中、しゃがみこんで、外には聞こえない程の成長で囁く。それとも、元々から画策していたのかしら? 冷たい声音で。


「……まあ、前もって計画してたんだろうな。俺んとこに話が来たところで、他の連中も懐柔されてるんだろうってのは読めたし」


 かすれる声で、せいぜい強がる。


「ふぅん。それでも他の連中は、この私に逆らおうなんて馬鹿なこと考えなかったみたいだけど……。あなたは違うのね」


「脅されるようなことはないし、(すか)されても気持ちは動かなかったんだ。お前らの考えなんてずいぶん浅薄だなって思ったんだけど、いやここまで実力もあるとは思わなかった。油断したよ」


「油断してなけりゃ、勝てたと?」


「いやぁどうだろう。こっちがもっと真面目に三年間頑張ってりゃ、勝ち目はあったと思うけどな」


 自嘲する。


 一瞬、ルースの言葉を挑発とも受け取ったらしいアルセステだったが、その言葉の意味がわからなかったようで、眉を顰め、小さく鼻を鳴らした。


「したんだろ? 不正」


 聞く。


 確証はない。ただ、違和感の正体がそうでもないと説明がつかない。ブランクさえなければ、アルセステの不正も全て看破し、その上で勝利できた。自嘲の内訳はその悔しさが八割だ。


 アルセステは顔色を変えない。だが、くすりと笑うだけで否定もしなかった。


 十分だ。


 自分の力試しはここまで。


 敵わなかったことで、満足もした。


 ここからは、ミスティの望むとおり、ティリルの力になろう。


 罠だとしても自分が陥るだけ。ゼルの策略に従って、ゼルの白黒をはっきりさせよう。


「あー、と審判。ちょっといいかな」


 腹をさすりながらゆっくりと立ち上がり、アルセステの怪訝な視線を無視して緑の服をまとった審判役の教員に近付く。


 沸き上がる観客が、少しずつ異変に気付き、声を静める。


「試合中、どうにも魔法が使い辛くてなんだろうって思ってたんだけど、今ポケットの中を探ったらこんなもんが入っててさ」



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