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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第二十六節 第62回サリア魔法大学院習得技識披露大会
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1-26 断節 マノン・ライツィハー







 マノンは、ルースと共に旧校舎の一室にいた。木造の、埃の積もった小さな部屋。扉の外には校舎に囲まれた、外灯が一つ立った小さな中庭が置いてある。


 第三種競技の開始は午後。出場者は開会の挨拶に列席すれば、後は自由に過ごしてよい。出場者用の観覧席は、あくまで観覧席。例年の傾向から言っても、第三種の出場者で第一種、二種を暢気に観覧する学生はまずいない。


 静かな、集中できる場所に、ルースはここを選んだ。


 彼がこの場所にどんな思いを抱いているのか。マノンには知る由はなかった。


「……さすがに、こんなとこまで来る奴は誰もいないな」


「だから、ミスティとの密会にはここをよく使っていたんですよね」


「ねぇなんでそういうの知ってるの? ティリルといい、君たち盗み聞きとかよくないって思わないの?」


 由はなかったが、なぜか知っていることもあった。


「盗み聞きなんてしてませんよ。ルースさんに食べられちゃった女の子たちのお話だと、学院内では大体このお部屋を使っていたみたいでしたから、ミスティのときもそうだったのかなぁって」


「どういう統計調査取ってるの? どうやってそんな女の子たちの意見集めてんの?」


「お気に入りなんですね、この場所。まさか本命の懸想相手も、行きずりの遊び相手も構わず連れ込むなんて」


「悪意のある言い方しないで!」


「悪意なんてそんな! 私はただ、ルースさんにとってこの場所は大切な場所なのだろうと」


 今にもかぶりついてきそうなほどの迫力で、大口を開けマノンを睨むルース。ぐるぐると喉を鳴らしてよこすが、結局自分に分がないことは重々承知の上らしい。しばし歯を剥いて睨んできたが、やがて深く諦めの溜息をついて。


「……頼むからミスティには言わないでくれよ」


 俯きながら、依願した。


「何のことだかよくわかりませんが……。まぁ、ミスティには何も言うことはありません。

 それより、競技に向けての心の準備はいかがですか?」


「むしろ邪魔しに来てるのかと思ったよ」


 眉間に皺を寄せ、渋いものでも食べたような顔でマノンを睨むルース。


 もちろんすべては冗談の上だが、押しすぎてしまうのがマノンの悪癖。ここでもいい加減「えへへ」とでも舌を出せばいいものを、ついつい真顔で「何のことやら」と返してしまうから性質が悪い。


「ま、勝ち抜く自信はそこまでないけど」溜息一つ。ルースもそこはわかってくれているようだ。「自分なりのベストを尽くせるくらいには、体調もメンタルも整ってると思うよ。後は運次第じゃないか?」


「では、今回のルールは」


「それも問題ない。風を操る魔法は、得意な方だと思う」


 神妙な面持ちで頷くルース。


 今回の第三種の競技内容は、一言で言えば風船の取り合い。『布風船』と呼ばれる、布袋に火のついた草を入れて浮かべる古典的な風船がある。これが七つ、競技舞台に用意される。選手は手を使わずにそれを自陣に引き寄せる。制限時間後により多くの風船を確保していた者が勝利となる。


 基本的に、風魔法の応酬になる展開が予想されるルールだ。


「なるほど。もう試合展開の想定もある程度できているということですね」


「まだまだ戦術や戦略は詰められてないけどな。少なくとも悪いイメージはないし、ぼんやりとだけど戦い方の展望もいくつかある」


 ぐ、と拳を握るルースに、マノンもゆっくりと頷いた。


 作戦会議では根拠のなさそうな大口も多かった印象だが、ここに来て、具体的に競技の情景を描くことができ、緊迫感も自信も形になってきているのだろう。今の彼のセリフは、地に足がついていたように聞こえた。


「では、アルセステ女史を陥れる作戦は?」


 さらに、聞く。


「そっちは微妙かなぁ」


 ふむぅと顎を触りながら、ルースは首を傾げた。まだ具体的な戦闘準備ができていないらしい。ただし、これについては補助役である自分が担うべき役割もある。ルースの自信が微妙なら、補うためには自分も尽力しなければならない。


「じゃあ、もし作戦が失敗したら、ミスティには『ルースさんは、このお部屋での様々な思い出が蘇ってきて集中できなかったそう』って伝えることにしましょう」


「やめて、お願い」


 うん、そういうことじゃない。


 わかっていてもついこんな冗談を口にしてしまうのが、つくづく、マノンの悪い癖なのだ。


 それからしばらく、ルースは黙り込んだ。手のひらの上で小さな風を、まるで子供がおもちゃをいじるようにして弄び、ぶつぶつと何かを呟いている。


 マノンはルースとの付き合いはそこまで深くはなかったが、それでも彼がこんな表情を滅多に見せてこなかったことは感じられた。随分珍しいものを見せてもらっているのだな、と思うと、……ついついちょっかいを出したくなって、そんな自分の性分を押し隠すのに必死になりながら、持ってきた本を開くことにした。


 さわりと、部屋の空気に違和感を覚える。


 開いた扉もないのに、頬を撫でる風がある。いつの間にか、室内の空気が隅々まで、ルースに掴まれているようだった。練習にしてはなかなかの魔法力。くすりと、マノンは口許を緩ませた。


 やがて、鐘が鳴る。昼食の時間。


「お食事、どうします?」


 本を閉じ、ゆったりと首を(もた)げ、質す。


 反応は、鈍い。入り込んでいたルースがゆっくりと目線を上げ、その焦点を合わせ。さらに三、四拍の間を置いてから、「……ああ」ようやく答えた。


「もうそんな時間か。どうせどこ行っても混んでるだろうし、かったるいな」


「でも何も食べないのも午後に響きますよ」


「そうだな……」


「校内の食堂にします? 外の屋台にします?」


 聞きながら、椅子から徐に立ち上がってポーズを取り。


「それとも、わ、た、し?」


「……いや、そういうのホントいいから」


「そんな! そこら辺の行きずりの女の子は食べられても、私のことは食べられないっていうんですかっ?」


「人聞きが悪すぎる」


 うるうると潤んだ瞳で場の空気を和ませたところで、改めてマノンは満足し机の上の本をカバンにしまい、食事に立つ準備をする。


「さあ行きましょうか」


「その切り替え、いっそ清々しいな」


 嘆息しながら、ルースもゆっくり立ち上がり一つ伸びをする。お褒め頂き光栄ですわとわざとらしく頭を下げ、先に立って廊下側の扉を開けた。どうぞどうぞとルースを通す。ルースの大きな溜息が、倉庫のような小さな部屋に粘っこく残された。


 と、廊下の先。


「こんなところに誰かいるとも思えないですよ?」


「人気がないとこにこそ隠れてるかなとも思ったけど……、あら」


 聞いたような声がした。


「え、ミスティ。ヴァニラも」


「ルースじゃない。こんなとこで、なに?」


 廊下のどん詰まりに位置するこの部屋。二人とも、廊下のどこまで来ようと思っていたのかはわからないが、どうやら人探しか何かの目的だったようだ。


「俺は人に邪魔されないとこで競技に向けたいろいろだよ。魔力をほぐしたりとか、ルールの解釈とか」


「そんなこと言って、人気のないところに私のような幼気な女の子を連れ込むんですから、本当にルースさんって破廉恥な方ですよねぇ」


「むしろお前がセクハラの叩き売りしてきたけどな」


 あれ。応酬してきた。ミスティの前ならさぞ、こんなことを言われて動揺するだろうと思ったのに、これではつまらないではないか。


「大体想像がつくわ。あんたの信頼が低いのは今までの行動からして仕方のないとこだけど、マノンはそういうの容赦なく突くタイプの冗談が得意だからね」


 ああ、なるほど。ミスティの私への信用度合いを見透かした上でのこの余裕だったんですね。納得したマノンは、そうかそうかと大きく頷き、満足を覚えた。


「……何を一人で得心顔してるのよ、気色悪いわね」


「それより、お前らこそこんなとこで何やってんだ? 特にヴァニラは、学院長の見張りが役目だったんじゃないのか?」


「あっ、そう! そうなのよ! 暢気に駄弁ってる場合じゃないわ。あんたたちもちょっと聞きなさい」


「ちょっ、……ミスティ先輩、大丈夫ですか?」


 急に熱を帯びたミスティの袖を引っ張り、不安げに声を潜めるヴァニラ。何よと首を傾げたミスティは、そのあとの内緒話に引き込まれ、こちら側への情報提供が止まってしまった。


 何があったのだろうか。訳の分からないのはマノンもルースと同じ。顔を見合わせ、二人肩を竦めながら内緒話の結論を待った。


「あ? それはないわよ!」


 結論が出たらしい。ミスティが、大きく仰け反って体の前で右手を振った。


「私があいつなら、味方にするのはもっと頼もしい奴を選ぶわ。コイツらじゃ私たちを裏切る甲斐性ないもの」


「そ、そう、ですかね……?」


「何やら楽しそうなお話……」


「随分な言われようってことだけは理解したぜ?」


「ああ、ごめんごめん。あのね、実は――」


 ミスティが、今度はマノンとルースに向けて声を潜めた、その時。


『昼休憩は一時まで。一時から、第三種〝武闘式゛競技を開催致します。なお、以下に呼ぶ出場者は、一度お集まりください。昼食は、補助につく方の分も含めこちらで用意してございます』


 窓の方から、大きな音声でのアナウンスが聞こえてきた。声は聞いた響き。ランツァートとかいうあの女性だろう。恐らく校内全体にこの音量を届けている。ただの拡声魔法とはいえさすがの実力だ。


「あ、嬉しいですね、ルースさん。お昼、用意されているそうですよ」


「ああ、うん、あんまり他の奴と一緒に食いたくもないけどな……」


 特にほとんどがアルセステの仲間だって言うんじゃ――。ぼやきながら、続けて呼ばれる名前を聞き流す。ラヴェンナ・アルセステ、四番目。スティラ・ルート、五番目。シェルラ・アイント、六番目。


「いやもう昼食なんかどうでもいいのよ、それよりもっと大事件があってね!」


 ルース・デルサンク、十二番目。


「とにかく移動しましょう。道すがら伺いますから」


 そして、十七番目。――ティリル・ゼーランド。


「あのゼルの奴がね……、…………え?」


「今、なんか――?」


「なあ、聞いたような名前が」


「十七名、呼ばれたようでしたが」


 四人、目を丸くする。


 そして、聞こえた名前が、気のせいではなかったことを確認する。


 最初に声を上げたのは、誰だったろうか。


 気付くと四人、校庭に向け、競うようにして走り出すのだった。




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