1-1-7.初めてのともだち
「あ……、あ、はい。こちらこそ宜しくお願いします。アリアさん」
アリアの向けてきた挨拶に、ティリルはにっこりと小首を傾けて笑顔を返した。
サリアの都で出来た初めての友達。その、目の前の存在に、ティリルは傍目にこそ大人しく見えるよう静かに微笑んでいたが、内心では今にも暴れ出してしまいそうに舞い上がっていた。もし今すぐ自分一人の部屋に籠もれたら、ベッドに飛び込んでころころと身を転がして、くふふふなどと行儀の良くない笑みを零して悶えていただろう。
ましてやティリルは、ユリにあってさえあまり友人の多い方ではない。町から離れた山小屋生活、幼い頃からの遊び相手は専らウェル一人だった。なんだかサリアでの新生活が始まるという実感がようやく湧いてきた。そんなくすぐったさがあった。
「いやぁ、なんだかんだ言っても、魔法使の友達が出来るってのは便利だよね」
くひひ、と品のない笑い方をして、またもアリアは冗談めかしてティリルを見た。
「しかもシアラの娘だって言うんなら、浮遊魔法とか天候操作なんかも簡単な奴ならお手の物でしょ? 今度私が授業抜け出したいときとか、窓からこっそり外に逃がしてよ。ね?」
「で、殿下っ! 何てことを!」
お父上に言いつけますよ、と彼女の決まり文句らしい台詞をメイドが言い、当の本人はけらけらと湿り気のない声で笑う。その笑顔を見れば、そんな話は罪のない冗談だとすぐわかる。けれど、それでもティリルは自分の本当がなんだか後ろめたくて、素直に笑みを返すことが出来なかった。
「あ、その……、私」
「ん? 何真面目に悩んでんのよ。冗談よ、冗談」
「いえ、あの、その……」
怖くて告白できない。バドヴィアの娘だからといって友達になってくれたアリア。自分が魔法が使えないと知って、途端に背を向けられたらと思うと恐怖に体が震える。
言えない。ティリルはきゅっと口を結んで、本当のことを言葉にすることを拒んだ。
「……そ、そうですよね。冗談ですよね。あ、あはははは」
「う、うん。冗談だよ? 何でそんなに深刻になっちゃったの? 大丈夫? ティリル」
「いえっ、いえ、別に深刻になってなんかいないですよ。大丈夫、大丈夫です」
慌てて言い繕うティリルにアリアはまだ訝しげな目線を送り、訳がわからぬと首を傾げてよこしたが、いずれそんなことはどうでもよくなったようだ。数秒もしないうちに彼女はまた笑顔に戻り、世間話の続きを探し始める。
正直なところ、内心の後ろめたさはまるで消えないティリルだったが、いい。大学院で勉強して、次に会うときには胸を張って魔法使だと名乗れるくらいに魔法を身につけておけばいいのだと、強く自分に言い聞かせて終えた。
「ティリルから見て、お母さんってどうだったの?」
「え?」
次なる質問を受け、ティリルはまたも虚を突かれる。
「いや、魔法使としてのシアラ・バドヴィアの話はいくらでも残ってるけど、母親としての彼女の話って殆ど残ってないからさ。家庭ではどんな人だったのか、ちょっと気になってね。魔法を駆使して、掃除と洗濯と料理くらい一遍にこなせちゃったんじゃないの?」
「あ、その……」
今度は隠せない。隠す意味もない。ただアリアの冗談に冗談を返せない心苦しさをのみ感じながら、ティリルは申し訳なく口を開いた。
「私、母のことはよく覚えていないんです。その、私が小さい頃に亡くなってしまいましたから」
「あ……、そ、そうだったんだ。戦争が終わってすぐ失踪したって聞いてたけど、その頃にはもう亡くなってたんだ……。ごめんね、変なこと聞いて」
「いえ、気になさらないでください」
「じゃあ、ティリルはその頃からずっとお父さんと二人暮らし?」
「んー、そうですね。でも父も、私が十歳の頃に旅に出て、そのまままだ帰ってきてませんから――」
「え、じゃあティリル、それからずっと一人だったの?」
「いえ、幼馴染の人の家に居候させてもらってました」
満面に笑みを湛えて言うと、アリアは胸許で拳を握って目を潤ませてきた。はて、この反応は何だろう。ティリルが首を傾げる暇もなく、次の瞬間にはアリアはティリルに抱きつき、ぎゅっと体を抱き締めてきた。
「ふわっ?」思わず間抜けた声を漏らしてしまう。
「……うぅ、ティリル、あなたそんな不憫な目に遭ってきたの?」
「え、あ、え? あの、アリアさん?」
「可哀想に……。ご両親から離れて一人他所の家に居候させられて、毎日毎日僅かな食事しか与えられずに辛い労働を強いられてきたのねぇっ!」
「え、ええっ?」
とんだ妄想劇がアリアの脳内で繰り広げられてしまったらしい。ティリルはすっかり悲劇のヒロイン。想像に勝手に共感したアリアは、続いてティリルの肩をがしっと掴むと。
「もう安心だからね、ティリル。何か困ったり辛いことがあったらいつでも王宮にいらっしゃいね! 私が助けてあげるから!」
「あ、は、はぁ……。ありがとう、ございます」
目に涙を浮かべてじっとティリルの目を見詰め、真剣な声音で言うアリア。その迫力に押され、ティリルはついつい素直に頷いてしまう。
しかしこれもどうやら彼女流の冗談だったらしい。おほんとメイド嬢がひとつ咳払い。
「あの、殿下。そろそろゼーランド様を学院の方にご案内差し上げないといけないお時間なのですが」窘めると、アリアは一転口調を軽くして、
「んあ……。じゃ、しょうがないね。せっかくだからもうちょっと話してたかったけど」
あっさりティリルから手を離し、メイド嬢に向けてういういと頷いた。
「そうですね。学院の生活に慣れたら、後でまたご挨拶に上がります」
「そだね、待ってるよ。王宮と学院とじゃ、なかなか会えること少ないと思うけど……。今度またゆっくりお茶を飲みましょ。窓から逃げる算段も、そのときにでもゆっくり」
「殿下!」
アリアの悪戯顔。メイド嬢の呆れ顔。ティリルは二人の息の合ったやり取りに圧倒されながら、「……そうですね」と相槌を打ってその場を逃げ切った。
「それからさっきも言ったけど、誰かにいじめられるとか何かあったらすぐ私のとこに来なさいね。私が国家権力を駆使してすぐにいじめた奴を国外追放にしてやるから」
「あ、あははは……」
今度は苦笑を口に漏らして返す。内容が内容なので素直に頷くことが難しいのだが、それでもアリアの暖かい友情だけは伝わってくる。授業をサボらせるのはどうかと思うが、自分も早く様々な魔法を身につけて、アリアの力になれるようになりたい。ティリルはそう、強く思った。
「ではゼーランド様、参りましょう」
名残惜しさに駆られながらも、ティリルはメイド嬢に背中を押され、押されるままに部屋を出て行く。
「じゃ、またねん」
明るい声で見送ってくれるアリアの元気な声が、廊下に出て尚響いてきてひどく勇気付けられた。
サリアへの上京、王宮への参上、そしていよいよ立ち入る魔法大学院。初めて尽くしのあれこれに、正直どこか気が滅入っていたところがあったのかもしれない。アリアと出会えて、友達になれて本当に心強くなった。そう感じている自分が、そこにいた。
「すみませんでした」
並んで歩くメイド嬢が、突然に謝ってくる。何を言われたのかティリルはすぐにわからず、きょとんとした顔で横を歩く女性を見返した。
「殿下も、悪気じゃないんです。ただ、国王陛下が少々甘やかされてお育てになったものですから、奔放と申しますか、その。ああいった自由な方になってしまわれて。ゼーランド様に対しても失礼なことを仰っておられましたが、どうかご容赦ください」
「とんでもないです!」
何を謝られたのか理解したティリルは、慌てて両手の平を広げ、首を左右に振った。
「私、アリアさんとお話できてとても楽しかったですよ? 友達が出来てとても嬉しかったです」
「そう言って頂けると安心します」
彼女はにっこり笑って、言葉を続けた。
「王女というお立場から、殿下にはなかなか対等な立場で話をしてくれるご友人がいないんです。どうかゼーランド様、殿下と仲良くして差し上げてください」
メイドは、とても暖かい目を見せた。ああ、きっとこの人は、立場は使用人であっても、アリアのことを自分の娘のように心底から愛しているんだなぁ。そのことに気付いて、ティリルはふと微笑ましい気持ちに満たされた。
同時にふと羨ましくなって、ローザの顔を思い浮かべてしまいもした。いけない。ふるふると首を左右に激しく振って、自分を戒める。ホームシックになるなんて早すぎる。自分はまだ、目的地である魔法大学院にさえ辿り着いていないのだ。




