1-24-1.リーラの欲しい服
十一月も後半の闇曜日。ティリルはリーラと街へ出た。洋服が買いたいと言い出す後輩に、ついていくことにしたのだ。
相変わらず、大会への修練と作戦の準備とで、気持ちはずいぶん忙しい。気分転換の意味でも少し体を動かした方がいい。まず自分で、そう感じた。
まだあまり行ったことのない、街の東側。東国機械文明諸国の影響を色濃く受けた、サリアの街の中でも異彩を放つ一角だ。
「この前、先輩が着てた現代アトラクティア文化の服ってあったじゃないですか」
道すがら、リーラが話しかける。今日の彼女は紅葉色のワンピース。辛子色のケープを肩に掛け、可愛らしさをアピールしている。
「……あっ、あの服!」
言われて思い出した。そういえば、ファーレル師の元から着てきてしまってそのままだ。あの日はその足で学院長室に押し込み、部屋に帰って着替える間も、ミスティとの別れに気を取られて心在らずだった。
「すっかり忘れてました。先生に返さないと」
「ああ、うん? いいんですよ、ファーレル先生なんかには別に返さなくても」
軽く笑いながらリーラが言う。どうもリーラと言い、クリスもそうだったが、ファーレル師に対する態度がまるでクラゲの傘のように柔らかい。自分も最近はフォルスタ師に緩やかな対応を取ることがあるなと反省しているが、彼女たちのそれは馴れ馴れしいのを通り越して失礼にすら感じられる。
「そういうわけにはいかないじゃないですか。頂いたわけでもないのに、黙って持ってきちゃってそのままなんて」
当たり前のことを説いて伝えたが、リーラの笑顔は反省の色には染まらない。
「だってあんな衣装の研究だなんて言って、世界中から研究費でいろんな服を集めて、女の子に着せて喜んでる先生なんですよ。変態――とまでは言いませんけど、真面目な人だとはとても思えませんよ」
「そんなこと……。衣装や民俗の研究だって立派な分野だと思いますよ? それにファーレル先生の授業、リーラさんが選んで受けてるんじゃないんですか?」
「それはまぁ、そうなんですけど……」
ごもごもと口ごもる。どうやら心底嫌っているわけではないらしい。師と教え子との距離感を形成しきれず、親兄弟のように無暗に近付きすぎてしまってるのか。そう考えれば、最善ではないかもしれないけれど、悪いことばかりでもないのかもしれない。
「いや、まぁそれはそれとして、あの服の話なんですけど!」そして、無理矢理に話題を戻すリーラ。
「すっごく先輩に似合ってたじゃないですか!」
「え。……そ、そうですか?」
満更でもない。そんな内心を隠し切れなかった。
「ホントですよ! ティリル先輩がすっごく可愛くなって……! あっ、もちろん普段もとってもかわいくてきれいなんですよ! ただその、学院の制服よりさらにさらにきれいで、素敵で……」
リーラの感想だ。普段だったら決して鵜呑みにせず、適当にお礼を言ってあしらうところ。だが、ティリル自身もあの日鏡に映った自分の姿には目を奪われた。褒められたら浮かれてしまうのも仕方ない、と自分で思ってしまう程。すれ違う人に腕をぶつけそうになり、「すみません」と小声で謝罪。ぶつかったわけではなく、相手は謝られたことにすら、気付かなかったようだ。
ふふ、とリーラに笑われる。今度は恥ずかしさに顔を火照らせた。
そのくらい、あの服は自分でも気に入っているのだ。
「それで、同じようなっていうと難しいかもしれないですけど、同じくらいかわいい服を探してみたいなって思って」
「ああ、それで洋服屋さんに行くんですね」
ふんふんと頷く。あのときリーラが着ていたのは、上下が分かれて臍の出るデザインの、ベストとスカートのツーピース。それに透ける布地のマント、と、可愛らしくはあったけれど決して普段使いできるような衣装ではなかった。あの服は師に返したのだろうか。ともあれ、ティリルが着たのと似たようなデザインの服がほしい、と考える気持ちに不思議なところはない。
「こっち側のお店なら、東国の品も結構届いてるんじゃないかって思うんですよ」
「なるほど、わかりました。ぜひかわいい服を探しましょうね!」
拳を握って興奮するリーラに、微笑み追従するティリル。
大通りを馬車が転がっていく。通り過ぎるや、脇に寄っていた歩行者たちが道の中央に膨らんでいく。
遠くで、ボオォと何かの鳴くような音がする。
「ほら、もうすぐそこですよ」
リーラが、ティリルの手を引っ張る。
秋晴れの休日。なんだか素敵な日になりそうだ。ティリルは高揚する心を押さえつけようかと考え、一瞬ののちにその考えの方を封じた。たまには色々忘れて、はしゃいだっていいよね。そう自分に言ってやることにした。
「いやぁ、満足しました!」
大きな布包みを両手にぶら下げ、リーラは満面に笑みを浮かべた。
既に太陽は真南の空に昇っている。午前中いっぱい、買い物に費やしたことになる。
ようやく再び袖を通すことができた、白いブラウスにグレーの薄手のコート。散々地味だとリーラに言われたが、着慣れたいつもの私服を身にまとうことがこんなに安心することなのかと、ティリルは感動さえ覚えていた。
「あのお店、やっぱりよかったですね。かわいい服がいっぱいあって。今度私の服も買いに行こうかなぁ」
「……っていうか、私は最初からリーラさんの服を買いに来たんだとばっかり思ってました」
眉間に皺を寄せながら、ティリルは少し愚痴めいた呟きを零した。
店に入って三時間ほど。リーラはかわいいと思う服を片端から手に取り、かき集めた。まるで店中の服を買い占めようかという勢いに、さすがの店員も鋭い目付きで声をかけてくる――、と思いきや突然表情を崩して「どうぞご自由にご試着ください」と奥の個室を勧めてきた。
結局、リーラの選ぶがままにかれこれ三十回は着替えてみせただろうか。中でも彼女が気に入ったらしい、上下合わせて二十点程度を、リーラは買い上げる宣言をした。破産覚悟の意気込みを感じ取ってしまったティリルは、払わせるわけにはいかないと自分の財布から金を出す決意をする。ほとんど手を付けていなかった国議会からの奨学金を、まさかこんなところで使う羽目になるとは思ってもみなかったが、如何にルームメイトの暴走の末とはいえ、自分の着るものを後輩に買わせるわけにもいかなかった。
「でもティリル先輩ってお金持ちなんですね! 私、明日から水だけでしのぐ覚悟だったんですけど、そんなお金をすんなり払ってくれちゃって!」
「はぁ……。あのねリーラさん、考えなしにお金を使うのはこれっきりにしてくださいね。お店への迷惑もあったから今回は払いましたけど、こんなにたくさんのお洋服、私には必要ないですから」
「必要とかじゃないんです! 私が、先輩に、買いたかったから買おうって思ったんです!」
「それがダメなんです。私の服は私が買いますし、必要があれば私から相談しますから、お願いですからこんなこと二度としないでくださいね」
はぁい、とリーラの返事は風に飛ばされるハンカチのように軽々しい。もう一度、大きく溜息。いつもなら大きな荷物の半分は持ちますよと手を差し出すティリルだったが、この日ばかりはそんな気になれなかった。




