1-23-5.大会準備室での、邂逅
って、ここでお手紙が終われたらよかったんですけれど。
楽しいご報告もあれば、あんまり楽しくないご報告も、やっぱりあります。お伝えしなくてもいいことなのかもしれませんけれど、ローザおばさんにはこの学院で私に起こったことを全部、ご報告したいと思うので、お手紙には書かせてください。
ルートさん――、アルセステさんといつも一緒にいる、スティラ・ルートさんと、あの後もう一度二人きりで話をしました。愉快な話ではありません。ゼルさんの提案で、大会でアルセステさんの悪巧みに対抗するため、その取り巻きであるルートさんを篭絡し、敵の情報を探ろうというのです。そんなことを目的に誰かと近付きになろうなんて、本当に考えるだけで心苦しい。できればやりたくなんてありません。
けれど、仕方がないです。彼女たちをそのままにしておけば、ラクナグ先生やヴァニラさんのような被害者を増やしてしまうに違いありません。言い出してくれたのはゼルさんでしたけど、確かに、いい加減この辺りで彼女たちをどうにかしないといけないのだと思います。そして、彼女たちが常に卑怯な手段に訴えてくる以上、私も何かしら嫌な手段に頼らざるを得ないのだと思います。
嫌な考え方ですね。だけど実際、私がルートさんにした話は、本当に自分で自分が嫌になるくらいの内容だったんです。
ただ、ルートさんはそんな私の考えも、全部わかってたようにも思います。それくらい、あの人の微笑みは、こう言ってしまうのは本当に失礼なのかもしれませんが……、不気味でした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ルートと接触を取る。
考えるだけで気の重いことだが、無事ルースを仲間に迎え、大会に向けて他に自分ができる準備はと言えば、もうそれだけになった。
だが、覚悟を決めて拳を握ったはいいものの、いざと思うとこの課題は存外難しい。元々、話をまとめること自体が、存外でもなんでもなく難しい。盲点はそこではなく、ルート一人を呼び出すこと、の難易度だ。
そもそもなぜあの時にルートは一人でいたのか。改めてそんなことを疑問に思ってしまうほど、いざと狙うと彼女が一人でいるタイミングが見つからない。アルセステやアイントの目が光る中で、ルート一人を呼び出す合図など送れるはずもない。
ちらちらとわざとらしく目線を向けていれば、先程もアルセステに「何か用?」と睨まれた。いつもならにやにやとべとついた笑顔で告げられる嘲りのセリフが、今は苛立ちを共にした斥けの響きとして放たれる。あれ以降、相変わらずアルセステは自分に対してよくわからない敵意を剥いているのだなぁと実感をするものの、それは本題の解決には全くつながらない。
さて、どうしたものか。ふむと考え込み策を練る。そうそう急には良案は浮かばない。ゼルやミスティに相談してみるか。ミスティはあまり無理をするなと言いそうだ。できなければできないで、他の作戦をゼルに考えさせればいい、と。それに、今は何となくミスティには相談を持ち掛けにくかった。
ゼルに直接聞いたら、何か良い考えをくれるか、それとも手伝ってくれるだろうか。
うだうだと考えながら、その日もとりあえずは実行委員準備室にやってきた。
「やぁ君か。本当に熱心だな」
扉を開けると、真っ先にネライエが挨拶をくれた。中には人影が二つ、三つ。いつ来ても、最初にティリルが参加申請しに来たときほどの人数は見たことがない。ネライエの話では、たまには全員そろっての会議も行っているらしいのだが、ひょっとして放課後の時間ではないのか、毎日に近い頻度で通っているティリルが、その場に鉢合わせする機会は今のところまだないのだった。
「今日はペンタグリヤ師がいらしている。よければ話を聞いていくといい」
ネライエが視線を向けた先。机に向かって何やら小さな石を十ほどいじっている、白髪の老師の姿がある。
名を呼ばれて一瞬だけ顔を上げた、その表情は、一言でいえば威嚇。以前に挨拶をした時は温厚な印象だったペンタグリヤ師が、こんな顔も見せるのかと驚くほどだった。どうやら小石いじりに相当神経を使っているらしい。
「あ、はい。でも、今日はちょっとネライエさんにご相談を」
師の威嚇にネライエは気付いていないらしく、仕方なくティリルは話を逸らすために、そんな導入を口にする羽目になってしまった。
「俺に? どんなことだ」
「ええと、その……。ほ、他の大会参加者の方についてのことなんですけど……」
開いた口を乾かしながら、ティリルは二の句を探した。言いかけてしまったのは自分だが、ルートとのことをネライエに相談するのはどう考えても下策だろう。
目を泳がせていると、部屋の扉がノックされた。
「開いているぞ」
ネライエの返答とともに、部屋の扉が開く。廊下に立っていたのは、考えもしなかった顔だった。
「失礼します。――あら?」
アルセステ。
そして、アイントとルートも当然のように。
今の今、正に彼女のことを考えていたティリルは、思わずあっと声を漏らしてしまった。
慌てて口を両手で塞ぐが、アルセステは横目ににやりと微笑みかけるだけ。アルセステに対する驚きが漏れたものと、勝手に勘違いしてくれたらしい。
「実行委員長。少しお話があるのですが、よろしいですか?」
「お? 今日は盛況だな」
知った相手への冗談交じりの対応。白い歯をも見せて笑うネライエに爽やかさも感じたが、ティリルは、彼とアルセステとの距離の近さをより強く印象に残した。
参加者の顔と名前は憶えておかねばならぬ実行委員長の責務か、そもそものアルセステという人物の知名度か。……それだけではないようにも思えて、胸中がもやもやした。
「悪いがアルセステさん、少し待ってもらえるか。先約があるんだ」
アルセステを制し、改めてティリルに笑顔を向けるネライエ。
ああ、自分のことかと思い至り、慌てて両手を振る。
「いえ! 私の方は全然! あとでいいですし、何なら別の方に相談してみますから!」
もやもやしている場合ではなかった。
俄雨に傘屋、というわけでもないのだが、話題の先の続け方に困っていたティリルとしては、アルセステの登場は助かった形であった。
一瞬怪訝な顔を見せたが、ネライエはふむ、と喉を鳴らし、ではと早々にアルセステたちに向き直る。一方のアルセステはと見ると、顔を顰めながら辛うじて「どうも」と頭を下げていた。ルートとアイントは口は開かなかった。
狭い部屋。聞こうとしなくとも、彼らの声は耳に入ってしまう。なるべく聞きたくもなかったのだが、どうやらアルセステの話ではなく、ルートとアイント、二人の大会出場に向けた手続きについて話しているらしいことは把握できてしまう。
できれば僅かでもいい、ルートと言葉を交わしたかったが、それは難しいようだった。
本当に、彼女たちを引き剥がすのは難しい。十分足らず話をして、さっさと室を出て行く彼女たちの様子を見送りながら、ティリルは小さく溜息をついた。




