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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第二十一節 大会出場の手続きと、挨拶
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1-21-5.ゲリオス・エルダール、そしてスパイヤー







「ゲリオス・エルダール。五二歳、男。サリア生まれのサリア育ち。生粋のソルザランド産魔法使だね。幼い頃から魔法の才の片鱗を見せ、十七の年で大学院に入学。首席の成績で卒業してる。とはいえ時勢はちょうどエネア戦争開戦期。戦端に送られるばかりならと、魔法使志望の数自体が減っていた時期でもあった。

 そんな時勢で、彼はむしろ、戦争に参加し武勲を立てたいと公言して憚らないような人間だった。時勢と本人の希望は合致し、卒業後は国王軍に就任する。そんな彼が初めて派遣されたのが九〇一年アケミオスの戦い。二度目は九〇五年ランドラルグの戦い。けど、どちらも戦局的にはソルザランド軍の敗北。本人はどちらの戦いでもからがら逃げ出し生き延びるけど、結局その後は華々しい表舞台たる戦場には呼ばれることなく、物資補給や捕虜の輸送のような裏方仕事に回されてばかりだったらしい。

 戦後、自分の不甲斐なさを省みたのか、軍が縮小され任を解かれた後は五年ほど世界を巡る旅に出る。その道中どんなことがあったかは聞いたことがある人間を見つけられなかったけれど、旅から帰った彼は見違えるほど魔法の実力が向上してたらしい。

 エルダールは宮廷魔法使の職を求めて城に上がるも、当時の就任者に敗れ下城。魔法大学院で就職先を見つけ、研究者として名を上げて、今では学院一の実力と人気を誇る行使学指導教員となる」


 返ってきた解説は、期待していたものよりもずっと詳細で緻密だった。突然聞かれたからこんな略歴しか伝えられないけれど……。ゼルは言う。時間があれば、更に込み入ったプロフィールが把握できたのだろうか。想像すると少々怖い。


「いえ、いえ! 十分です。これくらいで」


「そう。で? エルダール先生がどうかしたのか?」


「ああいえ、魔法大会の出場準備のときにご挨拶する機会があって、それでちょっと気になったもので」


 たまたま見つけた授業の合間。見た目は廊下の立ち話。誰に聞かれているかもわからない中、あまり込み入った事情を報告するのは危険だ。そう判断した。


「ああ、そういや魔法大会に出るんだってな。結構意外だよ、ティリル、そういうのに興味なさそうだと思ってた」


「あ、はは。実は私も意外です。学院に来る前の私だったら、絶対に興味持ちませんでした」


「なるほどねえ。成長したってわけ?」


 にんまりと口許を緩めて、ティリルを見つめるゼル。最初に会った時には同じ広場にいるだけで緊張してた子が、いやいやずいぶん変わったもんだ。茶化しながらそんなことを言うゼルに、胸の辺りがむず痒くなる。


 まるで子の成長を見守ってでもいるような視線に、しかし嫌な気はしなかった。


「まぁなんにせよ、エルダール師は悪い人間じゃないと思うよ。良い人間でもないけど。功名心が強くて、でも理想の自分になかなか辿り着けなくて、今でもまだ少年のような野心と承認欲求を持ち続けている。そんな人さ」


「し、辛辣な評価ですね」


「事実だよ。たぶん面と向かって本人に聞いてもすんなり認めてくれるんじゃないかな。唯一の僕の推測である『悪い人じゃない』っていう部分が間違ってなかったら」


 なるほど、と頷く。


 ふむふむと考え込むティリルに、ゼルはもう一言だけ付け足した。


「繰り返すけど、悪い人じゃないけど良い人でもないと思うから、例の女の悪だくみには十分気を付けるべきだね。それは確かだ」


「え、例の女って――」聞き返そうとして、にんまりとした微笑み顔に言葉を奪われる。そりゃそうか。こんな場所ではと先程は説明を省いたけれど、ティリルが人を気にする理由など、今はもう黙っていてもすぐにわかる。そういうことか。


「つくづく、自分が嫌いになりそうです……」


 深く、溜息をつく。


 自分が、人を気にする理由がそれ、という事実に、近頃よく感じている自己嫌悪を今一度思い出す。


「どうしてさ」ゼルは意外そうな顔で、意外な返事をくれた。「自分を攻撃する相手に対して警戒するのは当然だよ。むしろしない方が無防備で危なかしい。ティリルのその防衛本能は、当たり前のものだし、ちゃんと自分を守ろうとしてる。誇っていいものだよ」


 思いがけぬ評価に、ティリルは口許が緩むのを感じた。


 ゼルの目は、とても柔らかく、暖かかった。まるで父親が娘を見守るときのそれのように。驚きも、戸惑いも、もちろん抱いた。だが、自分の中の黒い想いを肯定してもらった、実は安堵が一番大きい。


「ありがとうございます」


 だから、謝礼が口をついた。


 ゼルは静かに笑う。笑って、ん、と頷く。


「ホントに、そういう思いは大切だから。嫌な気分にもなるかもしれないけど、最後まで失くしちゃだめだよ」


 無暗な優しさで、そして付け足した。


 大きな声ではいと答える。そして興に乗ったティリルは、もう一つ質問を追加することにした。


「もう一人、スパイヤーっていう方のこと、ご存じないですか?」


 実のところ、心に棘が刺さらなければ、エルダールよりよほど気になった名前。だが、これから会う機会もあるだろうからと、意識的に後回しでもよいと思ってしまっていた名前だった。


 饒舌なゼルの勢いに乗って、気が付けば口から名前が転がり出ていた。


「スパイヤー? それも先生?」


「あ、いえ。本科の三年生だそうです。大会実行委員会のメンバーらしいんですけど、昨日はいらっしゃらなくて。ただ、私のことをご存知らしいんですよね」


「そりゃま、ティリルは言っちゃえば有名人だし、知ってるからって何かあるとも思えないけど――。とりあえず、その名前は聞いたことないなぁ」


「そうですか」


 嘆息した。


 人柄を聞いただけのエルダール師について、あれほど詳細な説明をくれたゼルだ。同学年の学生のことも大概把握しているかと期待していたが、やはり知らない人物はいるらしい。それはそうだと納得し、それ以上の質問を飲み込んだ。


 ふと、鐘が鳴る、


「ああまずい、もう行かなきゃ」


 俄かにゼルが慌て始めた。


「あ、ご、ごめんなさい! 私……」


「続きはまた今度! ミスティたちも混ぜてみんなでしようぜ」


 わたわたと慌てるティリルに颯爽と背中を見せ、見せるかと思いきや顔と手の平を後ろに向けてまたなと挨拶してくれる。


 授業が始まり人気のなくなった廊下に、一人佇む。さて、自分も動こう。次に何をしようかと考えながら、とりあえずティリルも廊下の端に向け歩き出した。



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