1-1-5.対するティリルの意向は
両の拳を膝に乗せ、体を冷たく凍らせて、下唇を強く噛みながらごくりと唾を飲み込む。
それでも、結局。
「……わかり、……ました。立派な魔法使になって、王様のお力になれるように努力すること、約束いたします」
自分の中の一体どこにこんな強い気持があったのか。自分の将来を賭けてまで、魔法使になりたいという気持が一体どこから生まれるのか。自分でもわからない。ただ、強い焦燥に後押しされた決意が、気付いたら自分にその言葉を紡がせていた。
エルム王は、ほぅとひとつ息を吐いて応じた。ルクソール宰相も同じく息を吐いたが、彼の溜息には関心や感嘆よりも、達成感や満足感といった個人的な充足感の方が強く込められているようだった。
ネスティロイは、初めて身を乗り出して膝の上に頬杖をつき、ティリルの顔を覗き込んでまじまじと観察してきた。そして、半ば呆れたように鼻を鳴らして、「臆病な田舎娘かと思ったが、一応肝は据わってるんだな」と、どこかつまらなげな声で呟いた。
「まぁ、自分から王宮に関わりたいなんて、ロクなもんじゃないけどな」
そして、そんな興味もほんの一瞬すぐに殺がれた様子で、小さく嘲笑してまたソファに身を沈めてしまう。彼が何を言いたいのか、自分のことをどう思っているのか、ティリルにはさっぱりわからなかった。
「では、ゼーランド殿。すまないが、少しの間契約の手続きに付き合ってもらおう。
我々ソルザランド王国及びハーグ王家は、ティリル・ゼーランドの魔法大学院に於ける修練と研鑽に関して、そしてサリア市内における生活に関して必要な経費その他の物質的援助を、全面的に行うことを約す。ティリル・ゼーランドは、魔法大学院に於いて魔法使としての力を高め自らの才能を開花させて、王国と王家のためにその力を捧げることを約せ」
形式張って、エルム王が宣する。合わせて宰相が立ち上がり、ペンと一枚の紙とを用意して、王の前に置いた。いまや見ることは珍しい、子羊の皮で作られた高級紙。国王がまずそれに何やらを書き、続いてティリルに差し出された。
何かの本で見たことはあった、正式な契約の紙だった。
「署名をしてくれ。それで、奨学に関する契約が成立する」
言われ、ペンを持つ。紙には先程国王が宣した言葉と同じ内容の文章が書かれ、下段には今書かれたばかりの王の名前。そしてその更に下には、恐らくティリルの名前を書くべき空欄が用意されていた。
ペンを持つ手が震える。今日一番の緊張。けれど、王様に会うときと違って恐れや気後れはなかった。
契約者の一、エルミア=ソル・ハーグ
契約者の二、ティリル・ゼーランド
今まで書いた中で一番歪んだ自分の名前が、そこに書き記された。
「うむ。契約はここに結ばれた」
ティリルが王に紙を返すと、エルム王は満足そうに微笑み、契約書を宰相に渡した。それから、それが政治家のやり方なのだろうか。立ち上がって右手を伸ばし、ティリルに握手を求めてきた。慌てて、ティリルもそれに応じ、手を伸ばす。国王の手は見た目はごつごつしていて大きかったが、意外とやわらかく滑らかだった。
「では、ゼーランド殿。我々はこれにて失礼させて頂く。貴殿は早速大学院に向かい、一刻も早く講義と訓練に参加できるよう努めてくれ」
「あ、は、はい」
握手を解くと、王はそのまま室を出て行く素振りを見せた。
王の挙動に合わせて、ルクソールとネスティロイも立ち上がる。会見の時間はこれで終わりのようで、ティリルはようやく、背筋からすっと力が抜けていくのを感じた。
「いや、話が出来てよかった。貴殿という人間が、信頼に足る人物だと理解できた」
「あ……、ありがとう、ございます」
最後に言い残して退室するエルム王に、ティリルは深々と頭を下げる。次いでルクソールが無言で部屋を出、最後にネスティロイがにやりと笑って言葉を付していった。
「あんたは面白そうな素材だな。バドヴィアの娘ってのがホントなら、まっすぐに訓練していけばいい魔法使になるだろうさ。だから余計に、国政なんかに巻き込まれて関わって欲しくはないんだけどな。ま、あんたが選ぶ道に文句も言えないな」
どこか楽しそうに、どこかつまらなそうに。そしてネスティロイも部屋を出て行った。結局最後まで、ティリルはネスティロイが何を言いたかったのかよくわからなかった。
三人が謁見の間を出て行き、扉が閉められるや、途端に糸が切れたマリオネットのようにティリルの体から力が抜け、ソファに崩れ落ちた。ふぅと息をついて、一口香茶を口に含む。すっかり冷めてしまった香茶は、それでもやっぱり清々しい香りと甘やかな味わいで、すっとティリルの心を落ち着かせてくれた。
国王一行を見送りに扉の外に出て行ったメイドが、数瞬して、再び戻ってきた。三人分のカップを片付けながら、穏やかな笑顔をティリルに向けてくれる。
「お疲れ様でした」
「あ、あはは、その、ありがとうございます」
何と答えていいのかわからず、とりあえずそんな間の抜けた言葉を返す。
「ゼーランド様を魔法大学院にご案内するために、馬車が表玄関にて待機しているのですが……。歩けそうですか?」
ソファに沈み込んだ様子を、腰が抜けたとでも受け取られたか。気を遣われたティリルは笑い声を喉元で転がして。
「大丈夫、大丈夫です。別に動けないわけじゃないんです。ただ、その……」
少し遠慮がちに、ティーカップを差し出した。
「……お茶のお代わりを、いただいてもいいでしょうか……?」
メイドはにっこりと微笑んで、はいとカップを受け取った。




