1-18-8.リーラとクリスの学友
「え……、嘘。これ、私……」
思わず、陳腐な感想を口にしてしまう。
本心なのだから仕方ない。とても自分の姿と信じることができない。
なんだか嬉しくなって、鏡の前でくるりと一回転する。それから、昔読んだ小説の主人公のように、軽やかな足取りでステップを踏んでみる。
楽しかった。自分を着飾ることがこんなにも高揚することだとは、ティリルは知らなかった。
くるくると、狭い更衣室で飽きることなく回り続け、その姿を鏡に映し続ける。
「わぁ。ゼーランド先輩ったら、おっとめぇ~」
びくりと、全身を震わせた。鏡の中、自分の後ろに、犬耳をつけたクリスが立っていた。
「わ、ク、クリスさん。びっくりしましたぁ」
「先生がね。そろそろ次の服に着替えてくれって」
「あ、ああ、わかりました」
小さく落胆。もう少しこの服を着ていたかったのに。息を吐くと、クリスがにやにやと口許に笑みを浮かばせる。
「なんだ。鈍くさいくせに気取ってみせてる鼻持ちならない先輩かと思ってたけど、結構かわいいとこあるんですね」
ふぇ、と変な声が漏れた。相変わらず喉に膜を張らない、驚くほど正直な物言い。しかしティリルが本当に驚いたのは、彼女の正直な、ティリルに対する第一印象だ。
「わ、私ってそんな風に見えたんですか?」
「見えた見えた。もう、この人結構性格悪そうだなって思ってましたもん」
あっけらかんと笑って言うクリスに、ティリルは内心小さな傷を負った。自分がそんな印象を与えていたとはまるで自覚がなかった。クリスが自分のどこを切り取って、そう受け取ったのかもわからない。
自分のどこが悪かったのだろう、と黙考していると、さてそれをどう受け取ったのか、やはりクリスが開けっ広げな笑いを湛えながら、ティリルの肩をパンパン叩いてきた。
「やだなぁ先輩、そんなに深刻に受け取らないでくださいよ。私の人を見る目なんて節穴なんだし、初対面の人がどんな中身かなんて一瞥してわかるわけないじゃないですか。私にはそう見えたってだけ。でも実際には第一印象と違ってた。それだけですよぉ」
けらけらと軽い笑いを湛えるクリス。だらしないほどに心の裡を曝け出してよこす笑顔が好ましいとも思えたが、一方でまだまだ慣れないティリルは思いがけない一言を嫌な気持ちで受け取ってしまってもいる。
一言でいえば、相性が良くないのだ。
「まぁでも、そうやってくるくる回りたくなる気持ちはわかりますよ。先輩の本当にかわいいですもんね。私の服、犬耳帽子って。どこの国の衣装だって話ですよ。先生、私のこと嫌いなんじゃないかな」
「あはは。でも、その耳帽子もかわいいですよね?」
「それ、嫌味にしかなってないですよ?」
えっ、いや、全然そんなつもりは……。ぶんぶんと両手を振るティリル。振りながら、どこが嫌味だったのか考えてしまう。自分が言った言葉は心底から褒めたつもりだったので、クリスが嫌味だと受け取った理由までは到底、想像ができなかった。
ふと、隣の教室で音がした。
扉を開く衝突音。
けたたましい叫び声。
バタバタと荒々しい足音。
一体何があったのかと、クリスと顔を見合わせ、準備室の扉を開けた。
「だ、か、ら! とにかく大変なんだって! クリスもいるのか? 二人とも早く来いよ!」
「や、だって……。今先生のモデルやってる最中だし」
「とりあえず、あと二分でレイデン君の素描き終わらせるから、ちょっとだけ待っててくれるかなぁ」
「もう! 先生! 急いでるんだってば!」
教室に、もう一人、見知らない予科生の男子が来ていた。
自分の下からしゃがんで首を覗かせていたクリスが、「ありゃ、カトルじゃん」見知っているらしい相手の名を、口から零した。
「あっ、クリス! なぁクリスちょっと聞いてくれよ!」
こちらに気付いた少年――、カトルが、リーラから狙いを外し、金色に近い短髪頭を突き出したながらクリスのところに駆け寄ってくる。その末の、クリスの面前三センターン位置。非常に――。
「近いんだけど、カトル」
「そんなこと言ってる場合じゃないんだって! 大変なんだから、とにかくこっち来て、掲示板見ろって!」
「掲示板? なんで?」
掲示板と言えば。横で聞きながら、ティリルは胸の内で記憶の扉が開くのを感じ、息を詰まらせた。
普段は白墨で書き込まれる伝達事項。唯一正式に羊皮紙を使って張り出されたあの文言は、数カ月経った今でも忘れることができない。
「やばい告知が出たんだって! お前ら二人が見に行かないとダメなやつ! 早く来いって! ほら先生の落書きのモデルなんて後でいいから!」
そこそこの暴言を吐きつつ、カトルがまずはクリスの手を引く。
「フェイムハールさん? まずは落ち着きなさい。なにがどう大変なのか、掲示板になんと書いてあったのか、今ここであなたが伝えればいいことでしょう」
セリング師が静かに正論を呟いた。どうやらカトル・フェイムハールという名の、その少年は師の言葉を受けて、クリスの腕から力を抜きうぅと呻いた。
「どうしたの? 見てきたのではなかったの? 話してあげればいいのではなくて?」
「だって! 知らない先輩の名前なんて忘れちゃったからさ!」
「知らない先輩?」クリスとリーラが声を揃える。
「リーラが何とかって先輩の部屋に寮室移動になって、クリスの部屋には新しく別の先輩が来るんだって! その、リーラが本科寮に移動っていうから、その、大変だって思って」
先輩の名前を思い出そうとしたためか、少し落ち着いたらしい少年。
穏やかだった教室の中に、静かに衝撃が走った。




