1-1-3.国王陛下と香茶の葉
中央に立つのは、緑のマントと白い礼装を着こなし、茶色い髪に王冠を掲げた年のいった壮年。向かって右側に立つのは、やはり白い礼装を身にまとった、深い皺と白い髪髭が立派な老人。手には数枚の紙束を携えている。左の人物だけ礼装ではなく、浅い緑のローブに身を包んだ、赤茶色の髪を長く伸ばして少々だらしない身なりと表情をした、青年。国王陛下は中央の壮年だろうと、一目でわかった。
まさか国王の他に更に自分の前に立つ人物がいるとは思っていなかった。想像以上の威圧感に、ティリルはまるで猫に睨まれたハムスターのように、体を固まらせ思考のネジをどこかに飛ばしてしまう。
「待たせてしまい申し訳ない。私が、当代ソルザランド王国国王、エルミア=ソル・ハーグだ。見知り置き願いたい」
中央の壮年が、一歩前に出て恭しく一礼する。
「こちらの男は当国国議会をまとめる主席宰相、バルダ・ルクソール。こちらの若い男が宮廷魔法使の位を任せているセラード・ネスティロイだ。今回の件に関しては彼らも関わりがあるゆえ、同席を求めた次第。貴殿にもご理解願いたい」
更に国王は随伴した両名の紹介もしてくれ、合わせて両脇の男たちが軽く会釈をくれた。だがティリルは何も、目線でさえ何も答えることが出来ず、ただただ「あ……」だの「あぅ……」だのと意味の含まれない音を喉から漏らすばかりであった。
「失礼ながら改めて確認致したい。貴殿が、ゼーランド女史に相違ないかな」
問われて瞬間、ティリルの思考の歯車がひとつだけ噛み合う。まだ自分は挨拶さえしていない。思い至るやそれが失礼極まることだと急に認識され始めて、勢いよくソファから跳ね上がり直立して声を上ずらせた。
「お、おまぬ、お招き頂き、ま、誠にありがとうぞんぢ……、存じますっ! わ、私、えっとティ、ティリル・ゼーランドともおし……、申しますっ!」
「はは、随分と堅くなっておいでのようだな」
まるで回っていないティリルの舌に、国王は微笑んで言葉をくれる。
「緊張なさる必要はない。貴殿を試したいだとか、検分したいなどと考えているわけではないのだ。まぁ力を抜いて、腰を下ろしたまえ。我々も座らせて頂くとしよう」
穏やかな口調でエルム王は言い、右手を広げてティリルにソファを勧めた。そしてまず、自身がティリルの正面に座る。合わせて、宰相ルクソールが国王の左手側のソファにゆっくりと腰を落とし、右手側のソファには魔法使ネスティロイが気怠げに身を放り落とす。結局ティリルは一番後。震えが治まらない足をどうにか言い聞かせて、さっきまで座っていた柔らかいソファにもう一度腰を沈めた。
タイミングを見計らって、先程のメイドがトレーを手にもう一度姿を現す。ティリルが出された香茶と焼き菓子、同じものをまずエルム王の前へ。そしてルクソールとネスティロイの前にも、深く礼をしながらカップと皿を並べていく。ティリルの前には先程出してもらったまま手付かずのお茶とお菓子が残っていたが、メイドはティリルの顔も覗き込み、「温かいものとお取替えしましょうか」と聞いてくれる。
「あ、だ、大丈夫です。すみませんっ!」
まさか自分に声がかけられると思っていなかったティリルは、慌てて声を絞り出し両手を左右に振る。やはり緊張が解けていないのだろう、声が上ずってしまった。微笑んで室を出ていくメイドを横目に、ティリルは喉を潤すため、またいい加減出されたものを残すのも失礼かと思いティーカップに手を伸ばして口をつけた。
すっと、甘い香りが鼻に抜けた。きょとんと目を丸くして、温くなった香茶を見詰める。
「……あ、美味しい」思わず呟いた。
「私の一番好きな葉だ」
誇らしげに、王が微笑んだ。一国の王でも香茶の味にこだわる、自分やローザと同じようなところがあるのか。そう気付いて、ティリルは少しだけ安堵し、初めてエルム王に笑顔を返すことが出来た。
「さて」同様に香茶を一口啜ってから、国王の目がすっと鋭くなる。「改めて、貴殿への支援の話を始めよう、ゼーランド殿。まずは私の招聘に応じて頂けたこと、礼を言う」
「え、あ、いえ、そんなっ!」
唐突にエルム王に頭を下げられ、逆にティリルは強い困惑を覚える。
「お礼を言うのは、私の方です。その、私、自分が都の大学院に入れるなんて、ましてや自分が魔法使になれるかもしれないだなんて考えたこともありませんでした。私がサリアに来られたのも、魔法の勉強が出来るのも、全部エルム王様のおかげだって伺っています」
「いや。今回の件はここにいる者を初めとした王国議会で正式に結論を下したプロジェクトでな。ゼーランド殿一人の問題ではなく、いずれこのことが王国の発展につながるであろうと、我々は考えているのだ」
「え……?」首を傾げる。
「それについては私から説明いたしましょう」
会話に割って入るのはルクソール。ティーカップを手に香茶の香りを愉しんでいた様子だったが、ここからは自分の領分だとばかりにカップを置き、豊かな白い顎鬚を右手で撫でながら言葉を紡ぎ始めた。
「我がソルザランド王国は、二十年前のエネア大戦終戦後、国際社会に対して特に軍備の縮小と文化発展の推進という二点を働きかけながら国政を展開しております。そのことはご存知ですか」
ふるふると首を横に振る。難しい政治の話などティリルの知るところではない。と言おうか、今の話が政治に関わることだというレベルでさえ、ティリルは理解していなかった。
「では少々、ご説明いたしましょう。
古くからも我が国は専守防衛と独立自治とを国政の礎に据え、同時に周辺諸国に対しては共存共栄を唱えた外交を行って参りました。ですが実際には歴史上に何度となく、他国、特に北のバルテ帝国や東のグランディア王国の侵略を受け、武力に訴えた排斥を繰り返すことを已む無くさせられてきました。その不本意な歴史の繰り返しを、先の大戦を契機にして断ち切り、今までとは異なった文化的発展の時代を迎えたい、武力ではなく文化文明の力を持って互いに切磋琢磨し合い高みを目指す時代を迎えたい、というのが我が国の打ち立てた新しい国政方針。そしてエネア連盟に提出した各国への要請であるのです」
ルクソールの舌は、滑らかに言葉を紡いだ。
どれだけの話を聞いていても、ティリルにはまるでちんぷんかんぷん。頭の中を右から左に流れていく言葉たちに、せめて理解している振りくらいはと「はぁ……、はぁ」と生返事を付け足してみていたが、やはり誤魔化せるものでもなかったらしい。ソファにふんぞり返って両手を頭の上に組んでいたネスティロイが、面倒くさそうに口を挟んできた。
「要するに、戦争はやめて、これからはお勉強の成績でお国の強さ偉さを決めましょうってことだ」
「……ネスティロイ殿。極論はお控え頂きたい」
相変わらずの鋭い目付きでルクソールがネスティロイを睨んだ。申し訳ないけれど、ティリルは魔法使の言葉の方が、何となくでも話がわかったような気がした。そういう理解の仕方はまずいのだろうか?
「ともかく。そのような国政の元、我々は戦後の二十年間を文化の発展、学業の奨励、特に魔法学研究の進展の面に力を入れて国を動かして参りました。
その中で我々には、どうしてもその力と技術とを国の文化の発展のために注いで欲しいと願って已まないものがありました。しかしそのものは、その所在からしてどうしても明確にすることが出来ずにいたのです」
「――それが、シアラ・バドヴィアの力だ」
最後の言葉はエルム王のもの。腕を組み、不機嫌そうにも見えるほど顔を顰めて口を開くその様子からは、なにやら感極まって我慢が出来なくなった内心が見て取れる。




