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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十五節 炎の痕
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1-15-9.ネルヴァン教頭の判決







「あなたたち……、本当に、いい加減にしなさいね」


 教頭が、頭を抱えながら溜息交じりに呟いた。


 ファルハイアは先程自分たちにした話と同じ内容を繰り返した。ここに来てだんまりを決めたり、話を捏造するような悪足搔きも考えられたが、どうやら完全に諦めたらしい。自分が逮捕されても、実家には迷惑をかけたくない。そう思っているのなら、殊勝な心掛けの一欠片くらいは持っていたということだろう。


 にもかかわらず、その言葉は教頭の耳には届かなかった。


「いい加減にしろ、とは? どういう意味ですか?」


 ミスティが、困り顔の中年女性に食って掛かった。


「これだけ明確な証言があるわけですよね? それを聞いて、それに対する答えが『いい加減にしろ』ですか? 先生こそ、いい加減になさいませんか」


「口が過ぎるわよ、ルーティアさん」


 じろと、ミスティを睨みつけるネルヴァン教頭。相変わらず、その顔には好意の欠片も浮かばない。


「ルーティアさん、ゼーランドさん。あなたたちのやり方は、前回も今回もまるで一緒なんです。今度は証拠を用意したつもりなのかもしれませんが、この、縄で縛られ腕に火傷の痕までつけた青年の言葉を真実だと受け止められる人がどれだけいるとお思いなの? どう見ても、彼はあなた方に強要されて偽証してるだけじゃない」


「先生こそ、よく考えてみてください。本物の犯人が、捕らえられもせずに大人しく自白するとお思いですか。火傷はこの縄から逃れようと彼が自分でつけたものです。何より、彼の言葉がもし偽証だとしたら、彼は無実の罪を自ら被って裁かれようとしているわけです。どれほどアルセステ女史に恨みを持った人間でも、自分の人生を盾にして彼女を陥れようなんてまず考えないと思いますけど」


「状況証拠で語っても意味はないの。問題は、彼が真実を話しているという証拠が何もないこと。それがなければ、彼の証言を信じることはできないわ」


「それじゃ、あらゆる証言という証言が成り立たなくなってしまう!」


 無茶苦茶だ、とゼルが声を上げた。


「何が無茶苦茶ですか。偽証しているかもしれない人の話を証拠として考えられるわけがないでしょう」


「偽証しているという証拠もないのにその人物の話を疑うなんて、教頭先生、あなた本当に――」


「それくらいに致しましょう」


 ヒートアップするミスティを、マノンが止めた。穏やかな笑顔で両手を前に揃えて、にこにこと。


「ミストニアさんの故国には、無駄な労力という意味で『猿を説得する』という諺があるそうじゃないですか」


「ライツィハーさん。今、なんと?」


「ああ、すみません。ただいま異文化理解の研究発表の準備をしておりまして、思わず口から零れてしまいましたわ。さぁ、皆さん、もうこの部屋にいる意味はないでしょう」


 雑言を遠回しに残し、さっそく踵を返すマノン。肩をいからせるミスティ、眉間に皺を寄せるゼルもそれぞれ一つ鼻を鳴らすものの、異論なくそれに従う。けれど、誰よりの不満を抱えているのは他ならぬヴァニラ。元より彼女の想いは、既にファルハイアへの怒りから、アルセステへの復讐心に変わっている。ここでファルハイアをどうこうしたところで彼女は満足できないし、まして教頭のこの様子ではファルハイアを放火犯として裁くことすらしないだろう。


「え、えっと、あの、俺はどうすれば……」


 縛られたファルハイアが、戸惑い勝ちに口にする。誰にともない、誰に問えばよいのかすらわからない問い。答える者も即座にはなく、深呼吸が五回はできる程の長い間を置いて、ようやく教頭が一言。


「偽証の罪を裁くわけにはいきません。さっさと出ていきなさい」


 咎めなしと、吐き捨てるように判決した。


 解放を認められたファルハイアは、喜び半分、本当によいのかと戸惑い顔が勝る。誰しもが納得していない、そんな表情で重い脚を引きずる姿を、ただ黙って見守っていた校長が、最後にこう言って見送った。


「もしも、ネルヴァン教頭の言うように君たちが偽証をでっち上げて他の者を陥れようとしたのなら――」


 鋭い目。それに臆する者はいなかったが、校長ですら自分たちを疑っているのかと、そう思わされることへの落胆はあった。


「私は君たちを裁かなければならない。以後、気を付けるように」


 誰も、答えなかった。頷かなかった。


 ただ、ティリルはふと、校長の真意が教頭とは別のところにあるような気がして首を捻った。


「な、なぁ。もうこの縄ほどいてくれよ」


 最初に比べたら随分と情けない声を出すようになった、ファルハイアが語尾を伸ばす。誰も解こうとはしない。憤懣やる方ない、そんな表情を皆、顔に張り付けている。


「なぁ! おいってば! 教頭が言ってただろ、俺に咎めはないって。この縄さっさとほどけって!」


「うるさいな」


 ミスティが怒鳴る。苛立ち交じりの怒声。


 びくっと体を揺らすファルハイアに、しかし優しい声をかける者は誰一人いなかった。


「実際、どうにかしないといけないと思うのですが」


 廊下の突き当りまで歩いたところで、マノンが徐に口を開いた。まぁ、その通りだ。ファルハイアをこの格好のまま、校舎の外を歩かせるわけにはいかない。


「私としては、ぶっちゃけもうそんな奴どうでもいいわ。恨みがあるのはヴァニラじゃない?」


「そうだね。普段足も踏み入れなかった美術室棟を燃やされたからって、感情的になるような理由は正直なところ僕らにはない。でも、ヴァニラさんにはその男を八つ裂きにする権利があると思うよ」


「や、八つ裂きって……」


 大袈裟なゼルの物言いに、ティリルが思わず声を震わせた。そして、しかし、すぐにそう思った自分を戒める。ティリル自身もまた、もしできるならアルセステ達を酷い目に合わせてやりたい、と思っている。その思いは、大事な領域を荒らされた本人でなければわからない。精魂込めた絵を燃やされた苦しみは、ヴァニラにしか感じ得ない。もしヴァニラが本当にこの男を八つ裂きにしたいと思っているなら、少なくともファルハイアは、その気持ちを受け止める義務がある。八つ裂きにされる責務がある。


「そうね。どうなの? ヴァニラはどうしたいの?」


 ミスティが振り向いた。視線の先はヴァニラ。唇を噛み締めて、ヴァニラはファルハイアを睨みつけている。


「……そりゃあ、絶対に許せない。このまま美術室棟へ連れて行って、新しく建てる建物の土台に埋めてやりたいくらいです」


「ちょ、ちょっと待てよっ」


 思い掛けない過激な言葉が出た。ファルハイアが青褪める。八つ裂きよりリアルな表現だったのだろう。


「けど、そんなことしても絵は戻ってこないし。この男だって、八つ裂きにしたって生き埋めにしたって、多分心底からは反省しない。だから、……もういいです」




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