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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
序章 第三節 物語は嵐の夜から
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0-3-4.旅立ちの朝




「――お話は、決まりましたでしょうか」


 タイミングを計りながらクリランシが口を開いた。正直、邪魔された気分。しかし彼を待たせてしまっていたのも事実だったので、ティリルはきっと男の顔を見据え直してもう一度決意を堅くした。


「はい。私、サリアに、魔法学校に行きます。私、王様のご期待に添えるかどうかは全然自信がないですけど……。でも、魔法が使えるようになりたい。魔法の勉強をして、自分がどこまで出来るかを試してみたいんです。

 お願いします。私をサリアに連れて行ってください」


 まっすぐに目を向け、男に決心を告げる。クリランシは静かに微笑み、『わかりました』と一言。それで話は決まった。


「それでは、出立は一週間後ということで宜しいでしょうか。それとももう少しお早くの出発と致しますか?」


「え――」


「先ほども申し上げましたとおり、私自身は一週間ほどユリ市に滞在する予定で参りました。ティリル様にもお心の準備や旅支度をなさるお時間は必要だと考えておりましたし、悪ければお話自体に頷いて頂けないかとも覚悟しておりましたから。

 ですので一週間ほどは出発までのお時間を取ることができますが、どう致しましょう。もちろんティリル様がお望みでしたら、明日に出発することも出来ます」


 話の早さに、ティリルは頭の中が整理しきれなくなり、言葉を詰まらせた。


 行くと決めたら、今度は行かなければならない。当たり前の話だ。そんな当たり前のことが、しかしなかなか体で理解できていない。それでも、いやだからこそ。


「……では、明日」


 自分の心がどんな想いを抱くものか、少しは理解しているつもり。考える時間を持てば持つほど怖じてしまう。やっぱり辞めようか、と後ろを向いてしまう。行くのなら早い方がいい。思い悩む不安が生じないうちに、ここを発つのが正しい。ティリルの判断だった。


「わかりました。では明日の――、……あまり焦ってもいけませんので、お昼過ぎくらいに出発致しましょうか」


 嵐が止めば、ですけれどね。男が付け足す。


 そういえば外は嵐だった。先まで風雨の音に慄き体を震わせていたのが嘘のよう。まだ家はぎしぎしと風に軋み音を立てているのに、今はもうその声音がまるで気にならない。いや、ひょっとしたらその風音自体、少しは弱くなっているのかもしれない。


「……わかりました。よろしくお願いします」


 立って、頭を下げる。使者への挨拶、と同時に、自らの決意の最終確認でもあった。


 クリランシは黙ってにっこりと頷き。まだカップに残っていた香茶を徐に飲み干した。


 そして、彼も立ち上がる。


「こちらこそよろしくお願い致します。

 それでは私はこれで失礼致しますので、ティリル様は明日までに身支度の方をお済ませになってください」


「え、今から、町へ降りるんですか?」


「ええ、もちろん。まさかご厄介になるわけにも参りませんから」


「でも……」


 既に、クリランシは出て行こうという体勢。ティリルがちらりと目を向けるのと同時に、ローザが立ち上がってそれを引き止めた。


「どうぞ一晩泊まっていらしてください。外は嵐です。今からでは大変でしょう」


「いえ、それはできません。ご迷惑を掛けるわけには参りませんし、いくつか宿に雑事も残してきていますから」


 言い残して、男はさっさと玄関に足を進めた。こういうときの気遣いに関してはローザもなかなか引くことがないのだが、男はローザに二の句を告げる暇も与えず動き出してしまう。ティリルにとって、差し伸べた親切を断られたローザがあっさりと引き下がるのを見るのは、なかなかに意外だった。


「では、明日」


 濡れたマントを再び羽織り、それだけ言い残してクリランシはあっさりと去ってしまう。玄関まで見送りに出たティリルとローザ。一瞬開いた扉から飛び込んでくる雨と風は、やはり先ほどより勢いを弱くした様子。


 男が来て、帰るまでのほんの短い間が、途端に夢を見ていたかのように思え出す。


 けれど。


 これで。


 もしかして。


 自分が追いかけることができるかもしれないということ。そのための一歩を踏み出すことが出来るのかもしれないということは、呆けた頭でもよく理解できていた。そしてそのことが、ひたすらに嬉しかった。




 嵐の後は、空が澄み渡る。


 心地良い春風と鮮やかな蒼天の下。それがティリルの旅立ちの景色となった。


 日が南天を過ぎた頃、使者殿が再び現れた。財産の少ない少女は、旅の荷物をまとめるのに大した時間を要さず、午前の時間の殆どを物思いに費やした。ローザは朝から忙しなく働き回っていた。旅立ちを前にした少女は、気を紛らす目的もあって手伝いたいと申し出たのだが、拒まれた。気遣いが、しかしこのときばかりは少しだけ淋しい。並んで働くその合間に、長く自分を世話してくれたローザと言葉を交わすことがしたかった。


「では、ティリル様をお預かりします」


 すっかり乾いたマントを背に羽織り、クリランシがローザに向かって頭を下げた。


 彼の横に立って、ティリルもローザに控えめな笑顔を向ける。まとめた旅支度は至って軽装。いつものよそ行きの、白いブラウスと黒いロングスカート、そして肩に羽織った黒い短いケープ。左手には、紐で口を縛った布の袋。中には着替えを一組と、お気に入りの本を三冊ほど。父が旅先から送ってくれている手紙の束。なけなしの小遣いを詰め込んだ財布。最後に、赤いリボンのかかった白い小さい布包みを、未練がましく放り込んである。右手は空。薬指にはガラス玉と安金で出来たおもちゃの指環。子供の頃、幼馴染にプレゼントしてもらったささやかな宝物――。


 いざ家を離れるという段になって、まとめた荷物がこれだけ、というのは我がことながら驚きだった。幼馴染が旅立ちの際に背負い袋一杯に詰め込んでいた荷物と比べて、自分が酷く薄っぺらな人間であるような気がして、ほんの少しだけ悔しかった。


「行ってきますね、おばさん」


 気を取り直して笑顔で挨拶。


「えぇ、行ってらっしゃい」


 返ってくるローザの口調は、まるでちょっと町まで遊びに行く子供たちに向けたものと同じ響き。淡白な見送りの言葉が、なんだか暖かい。


「向こうに着いたらお手紙書きますから」


「ありがとう。楽しみにしているわ。

 ああそうそう。落ち着いたらまず、こちらからも手紙を送れるよう送り先を教えてちょうだい。あなたのお父さんから手紙が届いたら、送ってあげないといけないものね」


「あ、はい――」


 ローザの提案が嬉しくて、また一つティリルは頭を下げる。失念していた。家を、ユリを離れたら、月に一度か二度届く父からの手紙も受け取れなくなってしまうところ。いつも近況の確認のみのつまらない文章でしかないのだが、読めなくてもいいとはやはり思えない。


「その、じゃあ、よろしくお願いします! お父さんからの手紙のことも。それからもし私が出かけている間にお父さんが帰ってきちゃったら、ローザおばさん、どうか相手をしてあげてくださいね」


「ええ、わかったわ」


 くすくすと笑いながらローザ。少し「父親の娘」ぶってみたのは確かだが、笑うほど可笑しかったろうか。ティリルは少し恥ずかしくなって、顔を赤く染めながら小さく顔を下げた。


「さて、それでは参りましょうか」


 クリランシが、ティリルの顔を見る。名残は惜しく感じるが、ティリルも頷いた。


 では、ともう一度だけローザに頭を下げて踵を返す。住み慣れた家に背を向けて、見慣れた景観を目に焼き付ける。


 今日が晴れていて良かった。暖かな、穏やかな光と風を受け、ティリルは、これから踏み入れる新しい世界に自分が高揚と緊張を感じていることに気付く。


 それが、心地よかった。



挿絵(By みてみん)

     illustrations by 八雲キズナ様


 八雲キズナさまからイラストを頂きました。

 旅立ちのイメージ、とのこと。ありがとうございました!

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