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太陽が頂点に差し掛かる少し前、人で溢れかえる広場の真ん中。
「やっと……」
あちこちの商店から聞こえる声に彼は耳も貸さずに一点を見つめていた。
「あそこに、いる」
後ろ髪だけ伸ばして低い位置で一つにまとめられた銀糸が風に揺れた。
カチリ、と腰のあたりで小さく鳴ったレイピアをそっと撫でて歩みを進める。
視線の先の、小さな診療所へ向かって。
とある日のお昼のこと。
診療所はお昼休みに入り、セラはキッチンに立っていた。大きめの鍋から上がる湯気が前の壁をしっとりと濡らしている。
「ん。味付けは完璧。あとは盛り付けて完成っと。デューイ、上からお皿取ってもらってもいい?」
「承知した」
セラの頭一つ分以上上から聞こえた声の主は吊り戸棚の扉に手をかけた。
「開ける時、気をつ――あ」
「っ……」
遅かった。
ゴンッと鈍い音の発生源は声を詰まらせ額を押さえていた。
「デューイ、大丈夫?ほら、見せて」
数日前からここにいる患者(というより、ほぼ居候)、デュロイ・クリードは自分より背の低い彼女に合わせて少し腰を低くした。
ボサボサだった髪は短く整えられて黒髪がツンツンしている。ヒゲも剃ってさっぱり。おかげで顔がはっきりと見えるようになった。切れ長の闇のような色をした瞳。そして二重で睫毛フサフサ。
この容姿なら女性達の注目の的だろう。そしてものすごーくコンプレックスを刺激される顔でもある。
私もあんな睫毛が欲しかった!
ちなみに服は父のものを着てもらった。ブカブカだろうと思ったが、まさかのピッタリサイズだった。
顔色も良くなってきた頃、セラとゴラードそしてデュロイの三人で再度話し合った。
デュロイ改めデューイは(父曰く、噛みそうだからデューイでいいだろ?と)騎士団の団長というとても凄い立場なのに人を探すという目的のために勝手に抜け出してきた、と。
そして道中で不幸なことに荷物を馬ごと盗まれて無一文。行き先が決まっているわけでもなく、情報を集めながらいろんな町を訪ねているらしい。
このまま放り出すわけにもいかないので、とりあえずうちで世話をすることにしたのはいいが……
「もうっ!扉を開ければおでこをぶつけるし、朝起きたかと思えば階段から落ちてくるし、掃除をお願いしたら身体中ぶつけて痣だらけだし……おでこは腫れてないし、大丈夫ね。あなた、本当に団長様?」
ここまでのドジ(ドジという言葉でいいのかどうか)はそうそういない。ましてやあの騎士団の団長だ。
「町の噂で聞くように文武両道で完璧な人なんだと思ってた」
あとイケメンらしいと女性達がキャッキャしていたのを覚えている。
「どんな噂が流れているのか知らないが、世の中に完璧な人間などいない」
「あなたを見てそれを実感したわ。王都でもこんな感じだったの?」
「いつしか騎士団員は皆、簡易救急セットを持ち歩くようになっていたな」
騎士様達には同情してしまうが、お堅い方々が一斉に懐から救急セットを取り出す様を想像すると笑えてしまう。そして皆が持ち歩いているということは、
「好かれていたのね。みんなに手を差し伸べてもらえるなんて」
ちらりと見たデューイは、数日一緒にいた中で一番柔らかい表情だった。そんな顔をしてもらえる騎士団員が羨ましくなってしまう。
「さて、そろそろいい時間だし、用意しましょっか」
テーブルにセッティングが完了すると同時に扉が大きく開かれた。
「よぉーし、午前もよく働いたぞー!腹が減った!デューイ、ケガ増えてねぇかー?」
大きな声をあげ、伸びをしながらゴリラがのっしのっしと歩いてきた。
「まずするのはケガの心配なのね」
「当たり前だろ。あんだけドジ見せられてりゃ心配にもなる」
「心遣い感謝する、ドクター。大丈夫だ」
「おう。よしよし」
白衣をハンガーにかけてパッツンパッツンのシャツの袖を捲りながら、デューイをちらりと見た。
さっとだが、視診したのだろう。
一応こんなのでも立派な医者だ。腕もいい。なんでこんな小さな診療所にいるのか不思議に思うことがある。
王国お抱えの医者になればもっと稼げるはずなのに。
「「セラちゃーん、お腹空いたぁ」」
少しもずれないユニゾンでやってきたのは、当診療所の看板看護師、双子のサニアとセニア。
金の長い髪にエメラルドの瞳。そして巨乳。違いがあるのは、姉サニアは髪をゆるく巻いて、妹セニアはサラサラストレートだ。
天使のような容姿にボンキュッボンのスタイルで、患者を虜にしている。そんな二人が虜になっているのは――……
「「先生ー!今日も素敵ですね!」」
「ついさっきまで会ってたろ」
「「一瞬も離れたくないんですー」」
ゴリラに夢中な天使が二人。
美女と野獣だ。
父ゴラードを間に左にサニア、右にセニアがいつものポジションである。
父も慣れていて両腕が巨乳に埋もれてても何のその。
「いつ見てもワイルドで素敵なんですもの。ね、セニア」
「全てが素敵よね、サニア」
「残念だが、俺の心にはいつも嫁がいるんだな。ほら、飯食って午後に備えるぞー」
サッ、と拘束を解いて柏手を一つ。手が大きいから音がよく響く。
その音が合図となってみんなが同じく手を合わせる。
「「「「「いただきます」」」」」
暖かな日差しに暖かい食事。暖かい食卓。
私は幸せだよ。お母さん。
「でねぇ、あのおじいさんがまた来ましたのよ。もうとっくに骨折なんか治ってるのに。私とセニアにずーっと話しかけてきますの」
「先生が忙しいとき見計らってくるのよ。セラちゃんを呼ぼうとしたらそそくさと帰るの」
お昼時は大抵双子が話の中心になる。あの人はこうだ、この人はこうだ、と。
ちなみにデューイが会話に入ってくることはほとんどない。
艶やかな桃色の唇をペロリと舌で舐めてサニアが再び口を開く。
ただ食事するだけでどうしたらここまで色気を出せるのだろうか。
今度教えてもらおう。
「ただやっぱり息子さん夫婦はなかなか顔を出せてないみたいですの」
「あー、ついこの間店開いたっつー息子な。パン屋だったか?だいぶ繁盛してるらしいな」
「そうなの。昨日ね、サニアと一緒に行ってみたんだけど、すっごい混んでてね」
食後のコーヒーに口をつけた双子は揃って小さく溜息ついた。
伏せられたエメラルドはカップを見つめている。
「やっぱ、寂しいのかなぁ」
「……だろうな。奥さんが亡くなってだいぶ経つとはいえ、悲しみが消えたわけじゃねぇし、寂しいという感情は注意しないといけねぇ。犯罪につながる場合もある。最悪自ら命を……って場合もな。ただ、家族のことは簡単に踏み込んでいいものじゃねぇ」
治療と一言で言っても心の治療もあるわけだが、なにを、どこまでを『治療』と呼ぶのか。
「難しいね」
セラの呟きはコーヒーの湯気とともに消えていった。
「さぁて!飯も食ったし、セラは片付け頼むな。俺とサニア、セニアは午後の準備。デューイはじっとしてろ。…………どうした?」
お皿を片し終わったデューイがじっと扉を見つめて近付く。一歩一歩ゆっくりと。
「誰か来たの?何も音はしなかったけど」
「大丈夫。ただ、少し離れていた方がいい」
デューイの低く柔らかい声はとても落ち着いていた。
いつもならぶつかるはずの椅子やテーブルをスルスルと避けていく。
ゴラードは不安げな双子を背後に隠すように立って少しずつ後ろへ下がっていった。
「離れてって……なん」
バンッ
大きな音が鼓膜を揺らす。
乱暴に開けられた扉は外れて床に倒れた。
「やっと、見つけた」
皆の視線の先で銀糸が踊った。