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待って。
ちょっと待って。
「貴様、何者だ」
だから待って。というか助けておいてなんですが、あなたこそ何者ですか。
今日は休診日で様子を見に来て顔を濡れタオルで拭こうと思ったら突然目を開けて人を押し倒して……押し倒すって言ったらピンクな感じに聞こえるけど、実際は床に頬が押し付けられて痛いし、後ろ手にされて掴まれている両手首も痛い。
ピンクな雰囲気とは程遠い。それどころか私は真っ青。
全身に空気がビリビリ刺さるような感じ。これって殺気ってやつだろうか。
「ここはどこだ」
ここは私の家で診療所で……
って説明しなきゃならないのはわかってるんだけど声が出ない。
襲われた時は大声を出せって昔から教わってるけど無理です。
助けて。誰か助けて。
「兄ちゃん。気持ちはわかるが、その辺にしとけ」
聞き慣れた低い声がこの時は神の声に聞こえた。
急に軽くなった体をひょいと抱え上げたゴリ……父はざっと私の状態を視診した後にカルテでさっきまで私にのしかかっていた彼の頭をペシペシと叩いている。
「見知らぬところでピリピリするのは仕方ねぇが、まず聞け。ここはデンネって町で、ここは小せえ診療所だ。俺はゴラード・エーベルト。こっちは娘のセラだ」
次は座り込んだ私の頭をペシペシし出した。少しイラッとするけど黙っていよう。それよりも彼は大丈夫だろうか。髪と同じ、漆黒の瞳を見開いて固まっている。
「その顔はあれだな?俺が入って来たことに気付かなかったから驚いてんだろ。ただ鈍ってるだけじゃねぇか?とりあえず先に色々喋らせてもらうぞ」
全部わかってるような言い方をする父は私の隣に腰を下ろした。黒髪の彼と私たちが向き合う形だ。
直接床に座ることになってしまい、彼には申し訳ない。
この部屋にも小さいテーブルセットを用意すべきか。
「まずだな、お前は3日ほど前の雨降りの夜、この近くの路地裏で倒れてたところをセラに拾われた。医者としては放っておくわけにもいかんからな。患者用のベッドが一杯だったからここに運んだ。で、お前さんは過労と栄養不足だな。王都からまともに休まないでここまで来ただろ。馬鹿だな」
王都。
その言葉を聞いた途端、彼の眉間に深いシワが刻まれた。
「ん?あぁ、なんでわかったんだってか。そりゃあ、あれだ。診察も着替えも必要だからそのときに見たんだ。身体つきだとかあちこちにある古い刀傷。それに左上腕の刺青。そんな変わった刺青入れるやつなんて王弟に忠誠誓ったやつだけだろ」
「刺青……あのトカゲみたいなやつ?」
着替えさせるときに見えた、尾がくるんと丸まって手(というか指先?)が二股に分かれた生き物の刺青だった。
「トカゲじゃねぇよ。カメレオンだ。王弟はカメレオンが好きでな。密かに兵士達の間では王弟派はカメレオンの刺青。兄……ようは国王だな。国王派は蛇の刺青を入れるってのを一部でやってんだ。でも別に派閥争いとかじゃない。王弟が王位継ぐ気がないのは周知の事実だ。単なる人気投票みたいなやつだな。よくあるだろ。好きなアイドルのイメージカラーのアイテムを身につけるやつ。そんな感じだ。堅物な国王か穏和な王弟かって」
「何故、そこまで知っている」
ようやく口を開いた彼の声は掠れていた。
「30年くらい前だったか……俺に医療を教えてくれた先生が前王と仲が良くてな。良く往診していて、それについて行ってたんだ。あの頃10代だった俺は年齢の近い兵士と直ぐに打ち解けた。そこで聞いたんだ。5年くらいついて行ってたな。ゼオル・ハルディンって名前聞いたことあるだろ」
「ドクターの名だ。ドクターには世話になっている」
「あのジジイ、まだ往診行ってんのか。しぶといな。もう相当な歳だろ」
ゼオル・ハルディン。ずっと昔に会ったことがあるはず。
顔は覚えていないが、確か豪快な笑い方をする人だった。ガッハッハと笑いながら髪をぐちゃぐちゃにされたのを覚えている。
ドクターに相当心を許していたのか、彼の纏う雰囲気が少し和らいだ気がする。
「本当にドクターの弟子なのか」
「不安なら戻ったときジジイに聞いてみろ」
後ろに手をつきダラける父を漆黒の瞳がじっと見つめた。心の奥まで見透かされそうで落ち着かないが、父は至って普通だ。
そういえば前に聞いたことがある。どうしてそんなに冷静なのかと。すると父は
医者は色んな患者に会う。罵倒されることもあるし襲われることもある。そういう時はまず自分が冷静でいなきゃならねぇ。
そう言って母の写真を前にお酒を煽った父は悲しそうだった。
きっと本音は違う。大事な妻を亡くしたことに比べたらどれも大したことないんじゃないだろうか。それほど父は母を愛していた。
「……いや、あなたは信頼できそうだ。治療してくれたことに感謝と、数多の失礼を謝罪する。すまなかった」
「俺らを信用していいのか?」
「嘘をついていないと見た」
「そりゃあ有難い。で、名前を聞いていいか?カルテも未だ名無しなんでな」
彼は姿勢を正して一度頭を下げた。
「名乗らずに失礼した。俺はヴェルネル国騎士団団長デュロイ・クリード。人を探している」
顔を上げた彼、デュロイの瞳には強い光が見えた。
人を探している……嗚呼、なんか面倒なことに関わりそうな予感。