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プロローグ:作り物の笑顔

「…であるから、先ほど問2で求めた解をこちらに代入すると…」

12時前、初夏の少し強すぎるくらいの日差しが、窓際から顔の左半分をジリジリと焼いていくような感触が心地よい。

ほどよい空腹感がエッセンスとなり、いつも以上に居眠りが捗る昼前の小さな至福の時間だった。

こくこくと舟を漕いでいた頭が勢い余って机にガツンとぶつかる。

結構派手な音が鳴ったようで、隣や前後に座っている連中が一斉にぎょっとした顔で私に視線を向ける。


が、気にしない。むしろその夢うつつのまま顔を机へうつぶせにし、より深い眠りの体制へと移行していく。

ちらり、と視界の端に苦虫を噛み潰したような教師の顔が見えた気がした。

どうでもいい。昨日食べたお惣菜のポテトフライに付け合わせられていたパセリよりどうでもいいことだ。

どうでもいいがパセリは嫌いなので残した。


「…よし、それでは本日の授業はこれで終了する。次の授業冒頭で小テストを行うので、各自予習復習をしっかりと行っておくように」

その教師の宣言と同時に今まで大人しく授業を聞いていたか、あるいは聞いているふりをしていた連中がガタガタと音を立て立ち上がり、寿命の差し迫った蝉のように一斉に喚き始めた。


昼どこで食う、とかどこそこの店の新メニュー美味しいらしいよ、とかいうお決まりの会話と、昼食を得るために足早に購買部へ向かうパタパタという音が私の至福の眠りを妨げる。

お前は競歩でインターハイでも狙ってるのか、と心中で不快な足音に対して毒づきながら、伏せた顔をゆっくりと上げた。


「おい、伊波さんやっと起きたぞ」「ほら、行ってこい!今日こそ男見せるんだろ!」「う、うん…」

覚醒途中のぼんやりとした意識の中、三人ほどの男子の声が耳に入った。


これまでにも幾度となくよぎった嫌な予感が頭に浮かぶ。

一瞬気づかなかった振りをしてさっさとこの教室から出てしまおうかとも考えたが、どちらにせよ早いか遅いかの話だと思いなおし小さく溜息をついてその場にステイした。

「明日しなくちゃいけないことは今日やらないと2倍面倒になる」が私のモットーなのだ。


「あ、あの…伊波さん!もし良かったらこれ、受け取ってもらえませんか?」

三人の内、一番気弱そうで小柄な男子が声をかけてきた。

見ると、手に小さな箱のようなものを持っている。箱は綺麗な柄の包み紙でラッピングされ、その上にはこれまた小さな手紙のようなものが置かれ赤いリボンで結ばれていた。


「これを私に?ありがとう、嬉しいな」

私は差し出されたプレゼントを素直に受け取ると、全身から精一杯の活力を絞り出し目の前の小柄男子に向けて渾身の作り笑顔を振りまいてみせた。


「あ、ありがとうございます!!」

小柄男子は作り笑顔の私を見ながら、作り物らしい所などどこにもない果汁100%ジュース並みに純粋な笑顔を浮かべて、何度もお辞儀をした後に二人の友人のもとへ走っていった。

「やった、やったよ!」「おう、よく頑張ったな!」「かっこよかったぞ!」

小柄男子と友人二人の歓喜を尻目に、私はプレゼントをバッグにしまうと昼食をとるためスタスタと足早に教室を後にする。


「伊波さん、まーたプレゼントもらってるよ」

「男子も学習しないよね、伊波さんに貢いだところでそれ以上絶対に発展しないってのに…」

「てかさ、伊波さんって彼氏いないのになんで告られても全部断るわけ?」

「きっと彼氏なんかより居眠りするのが好きなんでしょ、ほら、何しろ『眠り姫』なんだからさ」


すでに後にした教室から、クラスの女子が私についてやっかみ半分で勝手に憶測を巡らせ、クスクスと笑いものにする声が聞こえる。


『眠り姫』。


肩につく程度の長さの黒髪に碧眼、(あくまで他人からの評価の受け売りであり自認したことは一度も無いが)人形のように整った顔立ちという特異な外見でありながら、自分以外の存在の一切と距離を置くように、学校にいる時間の内およそ7割を無為に眠りこけて過ごしている…

そんな私…伊波碧を指して男子からは憧れを、女子からは皮肉を込めて呼ばれるあだ名。


私は別にそれらの誹りに対してわざわざ食って掛かったり、反論したりするつもりはなかった。

というか、彼女らが冗談っぽく話している内容の大半は事実だ。

私はこれまで両手では数えきれない程度の男性から明らかな好意をもって贈り物や告白をされたが、タダの一度たりとも「それ以上」のステップへ進んだことはなかったし、そもそも「そんな気」が起きたことさえ全くなかった。


その最大の要因は彼女らが言うように、私が彼氏よりも睡眠をより欲していること…より正確に言えば睡眠という停滞行為、当座における複雑思考の放棄への欲求の強さに対して彼氏や男性…もっと言えば友人といった人間関係への志向があまりにも弱いことにある。


一体どうしてそんなにも歪んだ精神構造が打ち立てられてしまったのか。

未だ寝惚けから抜け切れていない頭で考えてみると、やはり思考回路は5年前…まだ私が中学生だったころの、忘れがたい「あの記憶」へと辿り着く。


幼少の頃から、他の同級生たちとは比べるまでもなく恵まれた環境の中にあった。

一流大学を出、世界でも有数の規模を誇る機械製品メーカーのエンジニアとして、その才能と人格を以て社会に貢献し続けてきた誇り高き父。

その父を献身的に支えながら、娘である私にも惜しみなく愛情を注いでくれた、フランス人と日本人のハーフである心優しく美しい母。


私は生まれた瞬間から、模範として尊敬すべき二人の人物と常に共にあった。常に両親の背中を追い、両親のようにならんと努力し、両親を心から愛していた。両親も、そんな私の姿をいつも微笑ましく見守ってくれていた。


だけど5年前のあの日、両親は私の目の前からあっさりと居なくなった。


交通事故だった。


私だけが助かった。


同じ乗用車に乗っていたのに。


まだ何も成し遂げていない私なんかより、絶対に生きていなくちゃいけない人達だったのに。


人生の目標をいっぺんに失った私は、それからまもなく人との関わりを絶った。

気づいたら絶っていた、という方が正しいかもしれない。

数多かった友人ともほとんど口を利かなくなり、気づけば学校では居眠りで無為に時間を浪費するばかり。どこからか『眠り姫』というアダ名が生まれ、定着するのもそう遅い話ではなかった。


目標を失い、模範を失い、理想を失い、未来を失った私に残ったのは、触れれば直ちに凍りついてしまうほどに冷え切った心と、一面にかかった霧のせいで一歩先の景色もまるで見えない現実だけだった。


以上、回想おわり。


学校を出たは良いものの、特に行きたい店も思いつかなかったので立ち竦む。

それからほぼ条件反射に近いスムーズさでスマホを取り出すと、スリープを解除しアニメキャラの描かれたアイコンをタップした。


目標を失うと同時に、大抵の物事への興味・関心も私の中から消え失せた。


寝る、ということはすなわちその場における思考・行動を放棄し無為に時間を浪費することだが、ソーシャルゲームにもそれに近いものがある。

単純作業で複雑思考を塗りつぶし、「暇つぶし」という名目で当面の行動を放棄・スキップする。

言わば人生のすべてが「暇」とでも形容すべき現状な私にとって、何も考えずに身を委ねられる選択肢…逃げ道となるソーシャルゲームはある意味で心地よいものだった。


スマホをポチポチと操作しながら歩き慣れた道を進んでいく。すると突然、「ズボッ」と何かに嵌まるような感覚があり、足がピクリとも動かなくなった。


「あ…?」

今まで経験したことのない感触に戸惑い反射的に足元に視線を落とすと、そこにあるはずの自分の足は既にくるぶしのあたりまで掻き消えており、代わりにその真下にはテレビや本なんかで見るブラックホールが、写真まんまな姿で存在していた。


「なにこれ…」

あまりの非現実的な出来事に、泣きわめくことも、叫び出すことも、周囲に助けを求めることもできずただ呆然とブラックホールへ飲み込まれていく己の肉体を眺める。身体が欠損していっているというのに不思議と痛みはまったくなく、それどころか周囲で人が騒ぎ出す様子もまるでない。どうやら、この現象は自分以外の人間には全く感知できないらしい。


やがてふともも、腹、胸と次々に上へ向かって肉体が消滅していき、首から上だけが残る状態となった。まだ消滅は止まらない。顎、唇、鼻…ブラックホールは次々と器官を吸い込んでいく。そして、消滅の波はついに眼へと到達し…数秒後、視界と音のすべてが消え、意識を保ったまま私の世界は完全な暗闇へと堕ちていった。


※ハーメルンさんとの同時投稿です

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