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おかえりこぐま

作者: 駒村ゆう

 僕を「クマ太郎」と名付けたのは、僕を買った綺麗な女の人の息子だった。

 その子の名前は忘れた。

 棒切れを振りまわしたり、木に登ったりするほうが好きな、やんちゃ坊主だったから、僕はあまりその男の子と話をしたことがない。


 男の子が小学校に入って何年か経った頃、家に友達がたくさん遊びに来ることになって、男の子は大がかりに部屋の片付けをした。

 そして、押入れの奥から僕を見つけた。


 やぁ、ひさしぶり。

 君の名前はなんだっけ?


 男の子はじっと僕を見下ろしていて、僕は逆光で陰る男の子の顔を、ドキドキしながら見上げた。


 それから男の子は僕の手をつかんで、押入れから引きずり出すと、しばらく思案顔をして、外出の準備をはじめた。


 家の隣は公園だった。

 男の子はあたりをキョロキョロ確かめてから、僕を公園の茂みにそっと隠した。

 枯れかけたツツジの花の間から、一瞬見えた男の子の顔。なにを考えてるのか、よく分からなかった。

 それから、一度も僕のほうを振り向かずに、足早に家へ帰ってしまった。


 ぽつねんと、僕は置いてけぼりにされた。


 僕、捨てられたのかな?

 それとも、友達に見つかるのが恥ずかしいから、隠されただけかな?


 どっちかなぁとぼんやり考えていたら、女の子が三人、公園へやってきた。

 みんな僕の持ち主(だった、と言うべき?)と同じくらいの年齢だ。


「ねぇねぇ見て見てー!クマのぬいぐるみ落ちてんで!」

「ほんまや!なんで!?」

「捨てられたんかなぁ、かわいそ」


 てな具合で、僕はすぐに見つかった。

 三人とも好奇心いっぱいの目で僕をながめ、すぐに僕は茂みから取り出された。


「今日夕方から雨降るらしいよなぁ」


 女の子のひとりが言った。


「ほんまや。クマ濡れてまうなぁ」


 別の女の子が言った。


「誰か持って帰ったら?」


 また別の子が言ったときには、女の子たちの決意は固まっていた。


「ジャーンーケーンーで、ポ、ン!」


 三人そろって高らかに叫ぶ。


 結局、僕はその場でジャンケンに勝ち抜いたアカネちゃんという女の子の家に、迎えられることになった。


 うぅん、いいのかな。

 僕にも一応持ち主がいるんだよ。


 と、後ろ髪が引かれる思いがないこともないけれど、どうしようもないよね。

 何と言ってもぬいぐるみだし。

 髪の毛ないし。








 さて、連れてこられたアカネちゃんの部屋。汚いこと汚いこと!


 あの男の子の部屋は、もっと整頓されていたんだけどなぁ。

 にんげんにも色々だ。


 アカネちゃんはまずお母さんに事情を説明して、お母さんは僕をながめて、外の天気を確かめて(ポツポツと雨が降り始めていた)、ため息をついてからこう言った。


「もういちど、公園行ってみよか」


 母娘ふたりで傘を持ち、アカネちゃんは僕も抱えて、公園を歩きまわった。でもだれも僕を探しにはこなかった。

 お母さんは、僕が置いてけぼりにされていた茂みと僕の写真を携帯電話で撮って、知り合いのお母さんたちに聞き取りの連絡をしてくれた。


 それから僕は、アカネちゃんの家で全身を丸洗いされた。


 洗濯機の中のことは思い出したくない。泡とか水とか回転とか…あぁ、悪いけど、これ以上は割愛するよ。






 僕は、なんとなくアカネちゃんの家のぬいぐるみになった。


 そして「クマ次郎」と改名された。

 なんだかおもしろいね。


 アカネちゃんの家には、よくふたりの女の子がやってくる。

 各家の予定のない日は、三人そろってアカネちゃんの部屋で大さわぎをする。ベッドの上で飛び跳ねたり、おもちゃ箱の中身をブチまけたり。とにかく大変な騒ぎだ。


 僕は、おままごとの時間になったら取り出されることが多い。お父さんになったり、ペットになったり、ハンバーグになったりする。

 なかなかひどい扱いだよ。


「みなさーん、片付けの時間やでー」


 夕げの香りがたってくると、お母さんの声がして、僕たちはまたポンポンと在るべきところへ投げまれていく。カモノハシのぬいぐるみはおもちゃ箱。うさぎの人形とその家具のセットは衣装ケース。僕は学習机の下の棚。


 片付けが終わったら、子どもたちはうちに帰る。

 アカネちゃんはダイニングでごはんだ。お味噌汁の香り、焼き魚の香り、炊きたてのご飯の香り。

 どこへ行っても、この時間は家中がいいにおいに包まれるんだね。





「いってきまーす」


 ある日のこと。

 僕がいつものように学習机の下に収まっていたら、アカネちゃんが学校から帰ってきて、僕を水筒とビニールシートと一緒に、リュックの中にギュウギュウに詰め込んだ。


 連れ出された先は公園。

 僕がアカネちゃんに拾われた公園だ。


 公園にはいつもの女の子たちが来ていて、三人はビニールシートの上で、おままごとをはじめた。

 僕は、アカネちゃんに抱えられ、お父さんの役をさせられた。


「ただいま」

「お帰りなさい、クマ次郎さん。あら、その口紅はなに?」

「ギクッ。こ、これは、たまたま電車で付けられたんだ」

「ウソよ!また例のドロボウ猫のところへ行ったのね!ひどい!」


 とまぁ、こんな具合で、最近のおままごとはテレビやアニメの影響を受けすぎだよね。


 アカネちゃんに操作されて、僕は目隠ししてあわわわ言っている。

 ほんとにひどい扱いだよ。


「あ、ヤマトくんや」

「ほんまや。二組のヤマトくん」

「おーい!」


 突然、おままごとが中断された。

 少し離れたところから、ひとりの男の子が面倒くさそうに、でもどこかはにかみながら、僕らのほうへやってきた。


 その顔に僕はギョッとする。

 あの男の子だ。


 そっか。

 ヤマトくんっていうんだね。


 ヤマトくんもすぐに僕に目を止めた。気付いたみたいだ。


「なんやねんお前ら。もう三年やのにごっこ遊びしてんのか。ガキやなー」


 ヤマトくんの言葉に、アカネちゃんが応える。


「はぁ?ままごと馬鹿にしたらあかんで!めっちゃおもろいねんから!」

「そのクマ、お前の?」

「そやでー。この公園で生まれてん」

「はぁ?どういうこと?」

「そこの木の中に捨てられててん」


 アカネちゃんたちが、公園の茂みを指さした。ヤマトくんはしばらく言葉に詰まって、それから「あっそ」と小さく言った。二言三言、女の子たちと話をしてから、男の子ばかりのボール遊びに加わっていった。


 それきりだ。

 








 アカネちゃんは、おもちゃを出すとき、必ず「いってきまーす」って言う。友達ふたりも同じだ。誰から始まって、誰が真似し始めたのかは分からない。

 僕がアカネちゃんの家に来たときには、それはもう定着していた。


「ただいまー」


 アカネちゃんが家に帰り、僕は定位置の学習机に収められた。

 直すときは、「ただいま」とは言われない。変わった習慣だね。



 ただいま。


 小さな声で、言ってみた。

 それから怖くなった。


 ねぇ、アカネちゃん。


 温かい寝床を知ると、ほかの場所では冷たく感じるんだろうね。

 台風みたいな大騒ぎを知ると、誰もいないときを静かと感じるんだね。


 ヤマトくんは今日、公園で僕のほうを何度かチラチラ見ていたけど、結局はなにも言ってこなかった。


 あの日、茂みの奥から見えたヤマトくんは、僕を置いてけぼりにしたんじゃなかったんだね。今なら分かるよ。


 おかしいなぁ。

 ぬいぐるみなのに、胸が痛い。


 なまえを付けてもらったら、呼ばれないとさみしく感じるんだね。


 僕のなまえは、クマ次郎。


 ただいま。


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