明星沈みて火は上る
精靈サザンカの防御が解除されて龍吾たちの目に飛び込んできたのは、変わり果てた地獄だった。
ついさっきまであった新緑の香りは命が焼け焦げる臭いへ変わり、澄み渡っていた夜空は燻る炎が昇り立たせる黒煙に覆われている。
あまりに唐突で、あまりにも一瞬で、あまりにも激変した世界に、霧奈はしばらくの間地平線の彼方まで続く焦土を呆然と眺めていた。
「……は? え……? な……何これ……も、森は? ここ……どこなの?」
「雛月、大丈夫か」
「大丈夫です。しかし……何という威力でしょう。これほどの規模、これほどの威力。生半可な訓練や学習で得られるものではありません。何よりも……!」
雛月は忌々しげに眼下で対峙する神無と輝夜たちを見下ろす。
未だに神無の顔に魔力切れを示す黒いヒビは出ていない。それはつまり、まだ何発か終符を発動出来るという意味でもある。
「おい、どうした? 何よりも……何なんだ?」
「神無は魔力切れになっていません。あの調子なら、数発は先ほどの終符を放てるでしょう」
「……それって、さっきの核爆発みたいな技をまた出せるってこと? 冗談じゃない! あんなのバカスカ出してたら日本がブッ壊れちゃうわ!
ねえ、ちょっと。もうこうなったら四の五の言ってられないわ。アンタはさっき無理って言ってたけど、さっきの神々しいコ出しなさい」
「おいテメェ、約束を破る気か!」
「約束もへったくれもないでしょう! 雪下、アンタだって見えるでしょう、この無残な姿を! こんなヤバい技が後数発も来るかもしれないってのよ! 約束を破ってでもアイツを止めさせないと、今度こそ日本が終わるわ!」
「ダメだ。そうしたら雛月はどうなる! お前は日本を守りたいのかもしれんが、俺も同じくらい雛月も輝夜も死なせたくない。お前が雛月に無理強いするなら、俺はお前を殺すぞ!」
龍吾が雛月の前に出て霧奈から庇う。
霧奈は両手を広げ、呆れたようにその場をウロウロとしている。
そうして龍吾を指差しながら、苦々しい思いを吐露した。
「……ねえ雪下。アンタだって薄々察してんじゃないの? ぶっちゃけこのままだと神無に勝てる可能性はゼロだって。それに、そこまでその子を庇うなら私はアンタに一つ聞くけどさ。
さっきの神々しい子を使わせてくれないなら、あの神無を、一体誰がどうやって倒すのよ?」
龍吾の目が泳ぐ。霧奈の読みは当たっており、問いの答えは口から出てこない。
ボタンを使えば神無なぞ造作もなく倒せるだろう。
しかしそうなれば雛月の魔力は完全に枯渇し、彼女は絶命する。それだけは龍吾は避けたいと強く思っている。
だが、神無を倒す手立ては今現在何もない。
情勢は不利の一途。冥も段々と余裕がなくなり、輝夜に至ってはもう立つことすらままならない。春子と秋子の二人をもってしても、神無には敵うとは思えない。
あらゆる方法を脳内で模索しても、浮かんでくるのはどれも非現実的なものばかり。
すると突如、龍吾たちのいる道路道の下から歪に揺らめく紫色の炎が刃となって噴き上がった。それと同時に地面から黒紫色に燃え盛る炎が球体状にポツポツと湧き出した。
「ちょっ! こ、これも神無の能力ってヤツ?!」
「……いいえ違います。これは恐らく冥の能力です」
雛月の読み通り炎の球体を出したのは冥であった。球体はゆっくりと浮かんでいくと、龍吾たちには目もくれず坂下の神無目掛けて突進していった。
「違うのね、ならよかった……じゃなくて! あの胸のデカいヤツが、こうも大技を使うってことは相当追い詰められているってことじゃない? それで神無の方は……!」
霧奈が眼下に目をやると、依然として神無は健在だった。それどころか表情には余裕を感じられ、身体からはわずかにではあるが赤黒い雷が迸っている。
「全然余裕じゃん……。ああこれはマズイわ。めっちゃヤバいわ。ガチでヤバいわ。ねえちょっと、あの神々しいコを出せないとなれば、いよいよ地球も私たちもお終いじゃない? 何か秘策なり腹案なりないの?」
雛月は「それは……」と、ごもっていて明確な解決策を見出せていない。状況は刻一刻と悪化する一方であり、雛月の脳裏には龍吾の静止を振り切ってでもボタンを顕現すべきかと考えるほどだ。
「……あぁっ、もう……! どうすりゃあいいのよ! もう月の連中でも異世界人でも誰でもいいから、アイツをぶっ倒すか連れ帰ってよお!」
切羽詰まった霧奈の嘆きが口から漏れた、その瞬間だった。
龍吾の脳内に稲妻の貫くが如き衝撃が走った。
「おい、お前今なんて言った」
「あ? だから、あの神無を誰でもいいからぶっ倒すか連れ帰ってくれって言ったのよ」
龍吾は雛月の首元を見る。
曇りのない金の光沢が眩い、風の流れを思わせる形の首飾りが、周囲で燻る炎の煌めきを反射していた。
そこで蘇る古い記憶。
輝夜と出会って間もない数ヶ月前の、ある記憶が色鮮やかに蘇り、危機的な状況を打破する一縷の策を導き出す。
「……それだ。その方法があった」
「なに? 何を言ってんの雪下」
「おい、ちょっと俺の話を聞け。もしかしたらこの状況を一変出来るかもしれない」
※
「……マジでそんなことが出来るの?」
「理屈の上では可能ですが……。しかし……しかし、いくらなんでも危険です!」
「そう言うと思ったよ。だけどこうする以外にあの神無を倒す手段はないだろう?」
龍吾の思いついた一計は、ボタンが顕現出来ない状況下で唯一希望のある策だった。
その内容とは、雛月が月界から来た当初から付けている首飾りに扮した強制帰還装置を神無に使い、月界へ帰そうという作戦だった。
前衛に霧奈と雛月による囮を使って、油断したところを龍吾が神無に装置を取り付け起動し、神無を月界へ帰す段取りだ。
しかし雛月の言う通り、その作戦はハイが三つ付くほどのリスキーなものでもある。
だがそれ以外で有効な策はないし、思いつく前に神無が輝夜たちを倒してしまいかねない。そして、再び神無の終符が発動すれば、今度こそ日本も地球もお終いである。
「でもさ、一つ聞きたいんだけど、どうして私も前に出なきゃいけないの? いやまあ私は今靈体だから、人間のときに比べりゃあ死に難い身体だけどさ」
「お前が本当に神無と組んでないか確かめるためだ。それ以上の理由がいるか?」
「まだ言うの? だから私はアイツとは組んでないって!」
「じゃあ聞くが、お前は一体誰の手によって蘇ったんだ?」
霧奈は言葉に詰まった。無論彼女を靈体化したのは、神無ではなく神楽である。
しかし神楽の名を言うことが出来ない以上、自身の潔白を証明することは事実上不可能だ。
「……イヤな男ね、アンタ」
「そうかい。で、どうすんだ。やるのか、やらないのか。俺はやるぞ」
苦虫を噛み潰したような顔の霧奈なぞ眼中にないようにあしらう龍吾は、すでに雛月が首に付けていた首飾りを手にしていて、後はその時を待っているだけである。
雛月も不安を隠しきれてはいないが、それ以上龍吾を制止しようとは思っていなさそうだった。
「……どうするもこうするも、やるしかないでしょうがよ!」
※
劣勢状態の戦いは、時間を追うごとに悪化していくばかりだった。
すでに輝夜は魔力切れ一歩手前で命の危機に瀕してもいるので、戦う以前に動くことすら出来ていない。
冥はまだ魔力体力共に余裕があるものの、決定打を見出せていない上に徐々にではあるが神無の攻撃の前に押され気味である。
冥の能力とレーザーブレードの出力を上げての合わせ技により、巨体となった対のレーザーブレードと神無の大剣が鍔迫り合う。
火花が散水し、目が眩むほどの光が輝く中で神無はいとも容易く冥との拮抗を崩し、大剣を振るった。
防御に回った闇から伝わる超重量。
重心を落として踏ん張っているはずの冥の体が軽々と宙に浮く。
微かな火花を散らしながら路面に着地した冥が目線を上げると、神無の神逆器である目が光りだし、地面と空から巨大な光柱が爆ぜり、降り注いだ。
天地を問わない死の爆撃。
周囲の闇をかき集めて守りに転用し、攻撃を防ぐも、意趣返しといわんばかりに神無は攻め立てる。
重厚で正確な、ブレのない剣撃。
天地と目の前からの多方攻撃はついに防ぐことが出来ず、攻撃を弾いた僅か一瞬、死角から爆ぜた光線の柱が冥の体を焼いた。
戦意と集中力が掻き乱れたその瞬間を神無は見逃さず、手にした凶刃で冥を貫いた。
冥の顔が苦悶に歪む。
すかさず神無は大剣を振り上げ、地面が陥没するほどの勢いで叩き付けた。
衝撃で意識が霞み、負傷も重なって冥は気絶した。
そこへ死角から春子の一閃が神無へと煌めいた。が、神無はまるで見えているかのように一閃を避けると、凹凸の滑らかな脚で垂直に蹴り上げた。
強靭な意識が辛うじて春子の体に残るも、硬直した体に神無の正確な拳と脚による怒涛の乱舞が直撃した。
体を貫く剛の一撃。脆くか弱い人間の骨には土台耐えられる衝撃ではなく、乱舞の直撃した部位の骨は漏れなく粉砕されていき、春子は溶けた舗装壁に吹っ飛んだ。
世界に不気味な沈黙が染み渡る。
蒸し暑い煉獄の世界の中で、神無が四つん這いになっている輝夜の頭部を軽々と持ち上げた。
「無様なものだな、輝夜。そんな体たらくを晒している内に、見ろ。お前の仲間は皆尽く敗れ去った」
輝夜の目から射抜くような殺気が神無を貫く。指一本と動かすことの出来ない輝夜の最後の抵抗の前に、神無は一瞬だがすくんだ。
「……目つきだけは一丁前だな。だがもう遅い。お前は月でも地球でも! 無様を晒して無意味な死を遂げるのだ。死ね! 輝夜!」
かざした大剣を今正に突き刺そうとしたその時、神無に電流が走る。
顔を向けると、目線の先には幾つもの試験管が投げられていた。
試験管が神無に当たって割れると、中から激臭が外界へと放たれた。が、神無は微動だにしない。
人間相手なら即座に身動きが出来なくなる激毒の真っ只中にいるのに、顔色一つ変えずにゆらりと目の前へ立ち塞がる神無に、霧奈は完全に凍らされた。
(怖ッッええぇ! なにこの殺気と空気……人間じゃないわよコイツ!)
「何だ貴様。新手か? ふむ……地球の毒如きで私を倒せると踏んで奇襲を仕掛けたか。なるほど、人間らしいやり方だ。実に卑屈で、実にせせこましい」
「……おうよ、それがまさしく人間でしょうに」
恐怖に慄いていた霧奈の目が光を取り戻し、目の前に対峙する巨悪へ挑発的な言葉を投げつけていく。
「力も能力もアンタらに劣る人間がここまで生き延びれたのは、単にその卑屈でせせこましい性質あってのものよ。
アンタ、これをレフェリーが見ている大衆試合と勘違いしてない? 冗談、これは殺し合いよ。卑怯も正々堂々もあるかっての。勝ちを取るためなら、このせせこましき人間、喜んで卑怯なやり方で勝ちを奪わせてもらうわ。勝てば官軍負ければ賊軍ってね。人間を舐めんじゃねえよ、クソ野郎」
「……見るに忍びないほどの虚勢だな。……しかし……何か妙だ。人間風情が単身で策もなく私の前に出て見栄を切るなぞ余程のバカか、自惚れの過ぎた餓鬼程度だろう。
それに……貴様……靈化しているな? なれば主人がいるはずだ。その主人は……」
無造作に輝夜を放り捨てると、おもむろに手にした大剣を上げて勢いよく虚空へ振り回した。
すると虚空から野太い金属音が轟き、姿を隠していた雛月の姿が染み渡るように現れた。
間髪入れずに雛月の首を締め上げ、神無は軽々と持ち上げる。
「やはりいたか、金魚の糞め。人間を靈化させてまで私を討とうとは、つくづくお前も輝夜も堕ち果てた醜婦だな━━」
「━━うるせえぞブス!」
誰のものでない声に神無が振り向くと、彼女の顔面に鉄拳が飛んできた。
精靈サザンカによって、存在を完全に抹消していた龍吾が姿を現す。
龍吾は生まれて初めて女を殴った。ジェンダーや女性についてとやかく言われるこのご時世でも、彼は神無を殴らずにはいられなかった。
それだけ輝夜と雛月をバカにされたことが、彼にとっては許せなかったのである。
無論彼の一撃は、神無には全く効いていない。だがそんなことは龍吾も承知の上。
のけ反った一瞬を見計らい、神無の手に雛月の首飾りを装着させてスイッチを押すと、龍吾は在らん限りの力で雛月を抱き寄せた。
「この、虫ケラが━━」
瞬時に沸騰した神無が龍吾と雛月に手を伸ばそうとした瞬間、手に付けていた装置が完全に起動し、神無は光に飲まれて消えた。
「……や、やったか?」
「……はい。神無は、もう地球にはいません。作戦成功です……」
「り……龍吾……? ひな……月……も……だい……じょうぶ?」
虫の息となった輝夜の絞り出すような声に気づいた二人は、可能な限りの魔力譲渡と最大限の治療を行った。
予期せぬ形で呆気なく死闘は終結し、多大な犠牲を出しながらも地球の危機は一先ずは去ったのであった。
※
月に帰された神無は、一人呆然としながらどことも知らぬ月界の辺境に立っていた。
負けた。
ただその事実がジワジワと神無の内を蝕む。
しかもその負けた相手は、あろうことか虫ケラ同然に見下していた人間によってもたらされたという皮肉。
「……こんな……こんなバカな。こんなはずはある訳がない……ッ!」
怒りと悔恨が激情に転生して燃え盛る。
わななき、歯を食いしばる神無が「こんなはずは!」と吠えたそのとき、神無の背後から重々しい音と共に重力の波動が神無の体を両断した。
吹き飛び、鈍い音を立てて転げ落ちた神無の上半身。下半身は、その強大な重力波を直に浴びたことで粉々に砕け散った。半身だけとなった神無の目線の先には、静かに怒り佇む月詠がいた。
「わざわざ死に戻るとは奇異な方ですね。ですが好都合です。お前だけは、何が何でも私の手で殺さなければ気が済まないのですから」
華奢な見た目に反し月詠は神無を片手で軽々と持ち上げると、仰向けの状態に倒した。
「お前のこれまでの横暴。流してきた血。そして私の愛する朔に手をかけたこと。最期の一瞬まで神妙に味わいなさい」
息も絶え絶えな神無の真上に周りの空間が一点に集中すると、一切の光沢がない真っ黒な球体が現れた。
ピンポン玉ほどの大きさの球はゆっくりと神無の元へと降下していくと、神無の上半身が徐々に地面へとめり込んでいく。
「ぐっ……ううぅぅっ! つ、月詠! 貴様!! 貴様ァ!!」
球が一センチ、また一センチと落ちていく度に、神無の体に味わったことのない重力が加わっていく。
「やめろ! 私を殺せば、この月界は混沌に陥るぞ! 貴様とて知っているはずだ。無政府の世を願うあの俗物の集い。月宮解放軍がこれ幸いと牙を剥くことを! 順を履き違えるな月詠! お前が今討つべきはこの私ではない!」
「違えだろぉ? こういうときは先に恋人に手ぇかけたことを詫びるモンだろう」
潰れ砕けゆく神無の視線に入ってきたのは、赤い巫女服をまとった精靈『ホオズキ』だった。
最後の最後でホオズキと月詠が連んでいたことに気付いた神無は、元の体積の半分以下にまで縮んだ身で慟哭を上げる。
「この……駄婦どもがぁぁぁッッ!!」
魔王の断末魔の叫びは超重力球によって掻き消けされ、神無の身体は水風船が割れたような音を出して全潰した。
覚束ない足取りで遅れてやって来た朔は不自然にドス黒く潰れた一角を見て、神無が死んだことを悟った。
「終わり……ましたね。全部」
「いいえ。我が愛する者よ、まだ最後に残っているものがあります」
「残っているもの? 一体何が……」
『朔隊長! 聞こえますでしょうか! 至急ご返信下さい! 朔隊長!』
突如起動した通信画面には切羽詰まった面持ちの兵士が一人。
もうすでに予期していたと言わんばかりに諦観している月詠を背にしながら、何も知らない朔は物々しい雰囲気にただならぬことを予想しながら応答した。
「こちら朔。どうしましたか」
兵士が話す。朔の顔が次第に強張っていく。
邪悪は去ったはずだった。
しかし世界を焦がす炎の色は、より煌びやかに、より醜悪に燃えだしていた。
世界の夜明けは、未だ、遠い。




